縄文時代は、大体、今より一万年~二千年前(関東地方では)のほぼ八千年間と考えられている。もちろん、この年代についても異論はあるが、要するに現在の科学の水準から求めた結果である。さて、このような長い間であるから、その年代をいくつかに区切ることが普通になされている。考古学ではこの区分に土器編年を用い、
○○式から
○○式までは早期というように時期区分を行っている。ところで、前の項でも述べたとおり、縄文時代には先土器時代と異なるいくつかの時代的特色を有している。また、生活上の遺物は前代よりはるかに種類に富んでもいる。であるから、この時代の性格を決定づける主要な要素(狩猟、漁撈、採集に用いる道具の移り変わり)をもって時期区分をするのが妥当ではある。これは、土器中心でやってきた日本考古学の当然の結果ともいえるのであるが、この方法が現在においても用いられているのにはそれなりの理由がある。日本の縄文土器(とりわけ東日本)は装飾に富んでいて、実に多種多様のものがみられる。このことは、単に使用するのみならず、十分鑑賞に耐える美術品としての価値も有しているといえよう。また、各地、各時期にわたって、普遍的に存在し、地域々々によって独自性が強くみとめられる。つまり、それが破片であっても、人目をひきやすく、古いとか、新しいとか、また、どこかの地方のものであるといった新旧と地域差をみるときに非常に有効だということである。加えて、条件のよい地なら、畑を歩けば大概土器片の一個位は拾うことができるであろう。この土器を分類、整理し、その新旧を検討することが日本考古学の主要な研究課題となったことは十分すぎる理由があるといってよい(図6)。そして、古いものから新しいものへと並べられた編年表は、土器の移り変わりに応じて、草創期~晩期まで、六期に大きく分けられ、さらに地域ごと(たとえば関東地方とか東北地方とかいうように)に各期とも細分されている。関東地方では表2の考え方が一般的に採用されている。この土器編年の示すものを現代にあてはめてみよう。車社会といわれる今日であるから、たとえば昭和
○○年代を例にとってみると、その当時の車の特徴、あるいは、その時代の自動車産業をリードした会社の名称をもってするのがふさわしいかと思われる。しかし、これでは、長い年月を対象にする縄文時代と比較してみた場合、どうも実感としてピンとこないところがある。それゆえ、普通単純に比較する場合、明治―大正―昭和はそれぞれ、加曽利E―堀之内―加曽利Bというように考えてもよいであろう。明治、大正がそれぞれの年数が異るように、加曽利E期や堀之内期もその年数は異っていたはずである。土器編年が単に時間の区切りとして用いているのだということが理解できただろうか。
図6 各期の縄文土器 (1/12)
時期 | 型 式 名 |
草 創 期 | | 豆粒文土器 |
| 隆線文系土器 |
| 爪形文土器 |
| 多縄文系土器 |
| 表裏縄文土器(大谷寺Ⅲ) |
早
期 | (撚文系土器) | 井草Ⅰ |
井草Ⅱ |
夏島 |
稲荷台 |
花輪台 |
(沈線文系土器) | 三戸 |
田戸下層 |
田戸上層 |
(条痕文系土器) | 子母口 |
野島 |
鵜ケ島台 |
茅山下層 |
茅山上層 |
〔下吉井・打越・神之木台〕 |
前
期 | | 花積下層 |
| 関山Ⅰ(二ツ木) |
| 関山Ⅱ |
| 黒浜(植房) |
| 諸磯a 浮島Ⅰ |
| 諸磯b 浮島Ⅱ |
| 諸磯c 浮島Ⅲ |
| 十三菩提 興津 |
中
期 | | 五領ケ台Ⅰ |
| 下小野 |
| 五領ケ台Ⅱ |
| 阿玉台Ⅰa |
| 勝坂Ⅰ 阿玉台Ⅰb |
| 阿玉台Ⅱ |
| 勝坂2 阿玉台Ⅲ |
| 阿玉台Ⅳ |
| 勝坂3 |
| 中 峠 |
| 加曽利EJ |
| 加曽利EⅡ |
| 加曽利EⅢ |
| 加曽利EⅣ |
後
期 | | 称名寺 |
| 堀之内1 |
| 堀之内2 |
| 加曽利B1 |
| 加曽利B2 |
| 加曽利B3 |
| 〔曽谷〕 |
| 安行1 |
| 安行2 |
晩
期 | | 安行3a |
| 安行3b(姥山2式) |
| 安行3c |
| 前浦・安行3d |
| 千網 |
| 荒海 |