一郷は五〇戸をもってせよと規定されている。戸とはもちろん現在の家族とは異って、血縁関係で結ばれた数家族と考えてよい。この戸を郷戸と呼び、郷戸を構成する家族の単位を房戸(ぼうこ)と呼んだのである。ひとつの身近な例(下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍(こせき)―現在の東京都江戸川区に当る)を示しておこう(表6)。
表6 大嶋郷の戸籍
文献より知られる状況は発掘調査の成果とどう対応するのであろうか。奈良時代の遺跡としては、大網山田台遺跡群を挙げることができる(図32)。既に本調査が終了した、宮山遺跡(大網山田台No.10遺跡内、住居跡四九戸検出)を始めとして、多くの集落跡が金谷郷の台地上に存在することが確認調査の結果より明らかになっている。隣の東金市、及び、千葉市土気地区においても奈良時代の集落跡は広く確認されているので、古墳時代に引きつづいて一層の開発の進展が予想される。また、海岸平野への働きかけもこの期より再開されたようで、上貝塚では若干の土器片の出土をみている。おそらく、台地上の調査報告書が公けになった段階で、当町における奈良時代の様相の一端が明らかになるであろう。
図32 奈良時代の住居跡(大網山田台No.4遺跡)