(3) 山辺保

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 前引の『荘園志料』によれば、「山辺保、文明九年(一四七七)の文書に出でて、保内に田馬郷(たまごう)あり。相模報国寺領なり。今郡中に田間村存す。」と記されている。この田馬郷を中心とする山辺保は、元来、玉崎神社(東金市田間)付属の郷村であったものと推測される。
 享徳二十六年の年号を有する九月十日付の『報国寺々領目録』に「上総国山辺保田馬郷、休畊庵領当乱来不知行」とあり、文明九年の『浄光明寺文書』は「上総国山辺保」とのみ記録している(『相州古文書』4)。