「戦国時代に見える地名で、利根川支流鹿島川の最上流域、台地上に位置する千葉市土気町の一帯」である。『本土寺過去帳』の二十一日の項に「土気酒井伯耆守殿、隆賢位、永正十七(一五二〇)年庚辰四月」、九日の項に「土気酒井小太郎母儀、妙含霊、天正二十(一五九二)壬辰九月宮ノ下ニテ」との記事がある。これは土気城主の酒井氏に関するものであるが、酒井定隆以来、土気郷(本郷)を拠点として近隣に勢力を張った。天正十九年(一五九一)に発給された徳川家康の朱印状には、「土気本郷」(本寿寺)、「土気之郷」(県神社)などの記載の記録がある。