一 七里法華の源流

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 上総衆酒井氏領国下における注目すべきうごきのひとつは、日蓮宗日什門流(にちじゅうもんりゅう)(京都妙満寺を中心とする)の新たな抬頭である。
 このころの日蓮宗は京都を中心に繁栄をみせたが、とりわけ日什門流は南北朝・室町期に積極的な伝道でしられた玄妙日什によっておこされ、法派の相承を直接日蓮にもとめる新しい教団であった。
 応仁の乱の京都をあとにした妙満寺一六世日泰は、活発な伝道を東国で展開し、ことには、このころ酒井氏が日泰と法縁をむすび保護を加えたこともあって、天台、真言の伝統二宗と新興禅宗がしめていたこの地方の教勢は大きな変化をとげ日什門流の新天地が開拓された。
 この結果、東上総には備前法華と対比される独特の皆法華の信仰が形成され、のちには七里法華とよばれるようになった。これは七里結界(けっかい)という聖域観をもとにうまれた独特の呼称であろう。
 この地は近世においても日什門流の信仰・学問の揺籃の地となり、上総十ヵ寺の成立をみ、また不受不施派の活動をみたことは興味ある歴史のうごきである。
 ここでは酒井氏との関連で日什門流の発展をたどり、すすんで近世の東上総を中心とした同門流のうごきにふれてしめくくりたい。
 七里法華の研究は以前もあり、また新しい成果もある。大別すれば、(一)中世仏教史の一端としてとりあげているもの―川添昭二「中世仏教における日蓮教団の展開」(『宗教史』昭和四十一年)、藤井学「中世仏教の展開(その三)」(『日本仏教史』2中世篇 昭和五十三年) (二)日蓮宗の教団史の立場にたっているもの―長谷川義一「心了院日泰と七里法華」(『什門教学伝統誌』昭和三十三年) 立正大学日蓮教学研究所編「心了院日泰と上総七里法華」(『日蓮教団史』上 昭和五十五年) 窪田哲城「七里法華と日泰上人」(『日什と弟子たち』昭和五十二年) (三)地方史研究の活動からうまれたもの―小川力也「上総七里法華」 池田宏樹「諸書にみえる七里法華について」 川名登「房総の戦国武将・酒井氏の史実と伝説」(『房総の郷土史』第三号昭和五十年) 栗原東洋「日蓮宗寺院と地域構造」 小川力也「上総七里法華の形成」(『日蓮―房総における宗派と文化―』昭和五十五年)