大竹村

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 大竹村は、寛文八年時点の関口作左衛門代官領二三石と旗本曲淵助之丞四〇七石余の二給支配から、途中代官領が消えて、曲淵氏による一給支配となる。
 武田氏家臣曲淵吉景(よしかげ)の長男吉清が別家して興したのが、大竹村を知行した曲淵氏の祖である。とくに四代〓隆(のりたか)が寛文九年の小普請から出発して、大番、新番などを勤め、元禄十二年には御目付まで進み、知行地も上総国山辺・武射両郡で三二〇石を知行し、翌十三年には綱吉女である鶴姫君の用人となり、上総国山辺・長柄・武射三郡にて一〇〇〇石を加増されている。さらに同十五年に五〇〇石を加えられ、都合二〇五〇石を知行するまでになった。