餅木村

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 土岐山城守定義の三男頼豊は、寛永五年に秀忠に初めて拝謁し、同八年より家光に仕えて御書院番を勤めた。のち上総国山辺郡で二〇〇石を知行することになり、そのとき餅木村が知行地に組み込まれ、同氏の知行高がそのまま餅木村の村高となった。同村では途中で一町七反六畝一五歩ほどの原野が開田されて二一石四斗の高入れが行われ、それらはすべて代官支配地となったが、本村の持添新田(もちぞえしんでん)であったため、民家は一戸もなかった。
 なお、同村の家数は二一戸、反別は田方一〇町六反余、畑方・屋敷地合わせて七町一反余で、田畑・屋敷地合計反別は一七町七反余となり、田方の割合がわずかに大きい村柄であった。