天正十九年七月十四、十五日の両日に行われた天正検地では、一四町余の田畑・屋敷地面積をもつ村であった。同村は、「中古大網村ヨリ分レテ一村ト為ル」(『上総町邨誌』第六巻)とあるように、古くは大網の地に含まれ、天正検地の段階で分立して村となったものである。
支配の推移については、寛文期には旗本酒井氏が一給支配し、途中新開部分が持添新田として代官支配地に組み入れられ、最終的にその代官領が鶴牧藩に所領替えされているほか、大きな変化はなかった。旗本酒井氏と鶴牧藩については、いずれも経田村で触れている。
仏島(ほとけしま)村