上谷新田は、寛永十四年に新開された約五〇石の新田村である。そのとき、代官野村彦太夫の支配となり、元禄十五年に旗本中川勘三郎と分郷になった。そして、天保十四年には代官領が水野壱岐守領分(鶴牧藩)に所領替えされ、その状態で明治維新を迎えた。
同村の地形・地質は「一体平坦ニシテ、村落ヱ田圃・林相交」り、「砂土混交、稍悪シ、稲・麦、最モ甘薯ニ適ス」と指摘されるように、隣接する柿餅村のそれと全く同じである。このような村柄が町域の中央部に位置するこれらの村々の特徴となっており、前出の砂田村や神房村など丘陵部の村々の村柄とは明らかな対照をなす。