長国村

309 ~ 309 / 1367ページ
 同村は、寛永十年に旗本村上氏が支配して以来ずっと同氏の知行が続いた村である。村上氏の系譜は古く、三代某は足利成氏に属して久留里城に住し、成氏没後は義明、さらに義明討死ののち里見義康に一味し、天文二十三年(一五五四)に北条氏によって居城を攻め落されると自害してしまった。その子信清が関ケ原、大坂の陣に出陣し、凱旋後二〇〇石を加えられて全部で五〇〇石を知行した。さらに、五代清政が寛永三年に遺領を継ぎ、同十年に二〇〇石の加増をうけ、上総国山辺・長柄・武射、武蔵国多摩の四郡で七〇〇石を知行した。そのうち長国村ではおよそ一五〇石を支配した。
 長国村で特記すべきは、元禄十一年に同村で生まれた行信(流罪後、日進)が、元文~宝暦期に日経の遺志を継いで「不惜身命」の教義を主張し、「信門徒」を再組織化して不受布施派の信仰を広めたことである。この日進については、第五節の三「郷土の不受不施信仰」のところで詳述する。