(3) 仏島村の天正検地

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 仏島村では、天正十九年七月に徳川氏による天正検地が行われた。検地役人は、諸星勘兵衛と青柳内匠助の両人で、百姓側の案内者は、兵庫と孫九郎である。案内者の二人は、名請人(この場合、主作百姓と分付主としておく)三九人中、所持反別規模では、前者が一五位(四反四畝余)、後者が五位(七反四畝余)と必ずしも村内で突出した存在ではない。しかし、彼らは、村の草分け層として中世以来の土豪の系譜をもつ百姓であったと考えられる。

写真 天正19年 仏島村の検地帳
 
 この天正検地から村の性格を概観すると、まず全耕地面積は一四町七反一五歩で、一村としては極めて小さな村である。田畑面積比率では、田地が七八%、畑地が二二%で圧倒的に水田の比率が高い(表6)。この田畑比率は、後述するように当地域の平均的な耕地の構成よりわずかに水田化率が高い程度で、他村と比較して極端に水田が多いというわけではない。耕地等級の構成については、田地では上田一〇%に対し、中田四四%、下田三三%という数値を示し、中田・下田の比率が著しく高い。畑地では、田地より全体的に等級は高いが、それでも上畑は二五%であるのに対し、中畑の比率は六五%と非常に高い。これらの等級の比率からみても、同村の耕地の立地条件は、決して良好とはいえず、むしろ生産性の高低では、中位から中の下当たりにランクづけられる土地柄であったといえる。
表6 天正19年 仏島村の土地構成
地 目面 積比率
反  %
上 田11.30810
中 田49.71044
下 田38.11733
下々田14.50013
田地計114.005100
上 畑8.32225
中 畑21.32765
下 畑2.5208
下々畑0.7012
畑地計33.010100
田畑合計147.015
注1)  天正19年7月「上総土気郡仏嶋御縄打水帳」(仏島区有文書)より作成。
注2)  屋敷地は除く。

 次に、検地帳の記載方式を例示すると、
  五間半 拾間 上田 宮まえ 壱畝廿五歩 兵庫分 主作
  四間半 六間 上畑 同所 壱畝七歩 源左衛門尉分 藤衛門尉作
のように、右の二通りで記帳されている。「A分主作」というのは、Aが自己の名請地を主作(=手作り)経営を行っていることを示し、「B分C作」とは、BとCとの間に請作(うけさく)関係があり、CがBの作人であることを示している。屋敷地については、仏島村の場合、屋敷帳が欠落するので分析しえない。そこで、同じく天正十九年七月に天正検地をうけた経田村の場合をみると、「藤右衛門居」と「藤右衛門抱」の二つの記帳の仕方があらわれ、前者は藤右衛門自身が住居に当てていることを示し、後者の「抱(かかえ)」は、藤右衛門が屋敷地を所持し、他の者が住居人となっていることを表現する。屋敷地の場合は、「抱」=所持で、そこに居住する者が他に存在し、その名前すら記録されていないように、「抱」主と住居人との間に一定の従属関係があったとも考えられる。しかし、耕地については、「分」のみが所持をあらわし、「作」が耕地に対して全く無権利であったと断定することは早計であろう。
 次に、仏島村全体でも一四町七反余しかない耕地面積を名請した百姓の階層構成を整理したのが表7である。分付地だけしか所持していない分付主は、直接には手作経営を行っていなかったことを意味するが、ここでは、検地帳に登録された「A分主作」と「B分C作」のいずれかの記載形式のAとBに当たる百姓(主作百姓と分付主)の所持地=名請地で階層構成表を作成した。つまり、この合計面積が、全村の耕地面積ということになる。三九人中、わずかに一畝七歩の主作地しか所持していない源左衛門尉から、最大の五郎左衛門の一町九反二畝一九歩まで大きな経営規模の開きが認められる。この階層構成で顕著なことは、その五郎左衛門だけが約二町歩を所持するのみで、あとは一町未満の百姓ばかりということである。とくに、家族の再生産を維持していくのにぎりぎりの五反未満層が六九%も占め、なかでも再生産不可能な一反未満の零細農民が二三%の高い比率を占めている。最大の五郎左衛門を除き、三反から四反の田畑所持者を中軸に上下に小さく開く構成をみる限り、複合大家族による大農業経営が行われていたとはみなし難い。だからといって、直ちにこの時期の中心的な経営がすでに単婚小家族の労働力で営まれていたとはいえない。なぜなら、天正検地によって村が決定したといっても、この小村の範囲のなかで、各自の経営が貫徹していたとは思われないからである。検地の過程で、村境=村切りの確定と出入作の整理が目標とされたとはいえ、完全には達成されず、土気郡の一地域である「仏嶋」あるいは「泪広野」(のちの清名幸谷)が検地の対象となったのであり、そこに登録された検地名請人は、周辺の縄入れ未完了地域、ないしは検地が終了した他村にも耕地を所持していたと考えられる。
表7 名請人の階層構成
所持地百姓数比率
%
18~2013
16~18
14~16
12~14
10~12
9~10228
8~91
7~81
6~73
5~64
4~5346
3~43
2~34
1~28
1反未満923
39100
注) 史料は表6と同じ。