表8で示したように、同村の百姓は、耕地の所持において多様な形で存在していた。同表に表示された三九人の名請人のなかでも主作地のみの者七人、分付地のみの者九人、主作地と分付地を合わせもつ者一五人、主作地と作地を所持する者三人、分付地と作地を所持する者五人というようにさまざまな農民の存在形態がある。もちろん、このほかにも作地のみを耕作する分付百姓が四七人存在し、また検地帳にも全くあらわれないような関係、たとえば複合家族や譜代下人などの隷属農民も存在していた。
NO. | 主作地 | 作 地 | 分付地 | 分付百姓 | 経営面積 |
反 | 反 | 人 | 反 | ||
1 | 8.128 | 11.021 | 10 | 19.219 | |
2 | 4.826 | 4.807 | 3 | 9.703 | |
3 | 9.228 | 9 | 9.228 | ||
4 | 0.401 | 8.015 | 13 | 8.416 | |
5 | 7.408 | 7.408 | |||
6 | 4.906 | 1.819 | 1 | 6.725 | |
7 | 6.524 | 5 | 6.524 | ||
8 | 3.200 | 3.314 | 4 | 6.514 | |
9 | 5.525 | 5.525 | |||
10 | 0.427 | 5.028 | 4 | 5.525 | |
11 | 3.215 | 1.722 | 1 | 5.007 | |
12 | 0.619 | 4.314 | 3 | 5.003 | |
13 | 2.922 | 1.704 | 1 | 4.626 | |
14 | 4.517 | 4 | 4.517 | ||
15 | 4.416 | 4.416 | |||
16 | 3.727 | 3 | 3.727 | ||
17 | 3.717 | 3.717 | |||
18 | 3.424 | 1.129 | 4,623 | ||
19 | 2.928 | 3 | 2.928 | ||
20 | 0.416 | 2.508 | 3 | 2.924 | |
21 | 2.612 | 4 | 2.612 | ||
22 | 4.720 | 2.115 | 1 | 6.905 | |
23 | 0.429 | 1.409 | 2 | 1.908 | |
24 | 0.226 | 1.515 | 2 | 1.811 | |
25 | 0.806 | 0.927 | 1 | 1.803 | |
26 | 1.614 | 1.614 | |||
27 | 1.524 | 1.524 | |||
28 | 1.510 | 1 | 1.510 | ||
29 | 0.127 | 1.121 | 1 | 1.318 | |
30 | 0.124 | 0.914 | 1 | 1.108 | |
31 | 0.824 | 7.312 | 8.206 | ||
32 | 0.600 | 0.121 | 1 | 0.721 | |
33 | 0.320 | 0.628 | 1 | 1.018 | |
34 | 0.214 | 0.220 | 1 | 0.504 | |
35 | 0.417 | 1 | 0.417 | ||
36 | 0.412 | 1.729 | 5.811 | ||
37 | 0.313 | 1 | 0.313 | ||
38 | 0.118 | 0.118 | |||
39 | 5.418 | 0.107 | 1 | 5.525 | |
この内訳から分かるように、名請人のなかでは、主作地と分付地を合わせもつ百姓が一五人と多く、なかでも最大の経営規模をもつ①五郎左衛門は、八反一畝余の主作地のほか、主作地を上回る一町一反余の分付地を保有し、分付百姓も一〇人を数える。そのほか一町歩弱の名請地を所持する有力農民は、大体において分付百姓を数人抱えている。当時の農業技術で一~二町歩の農業経営を維持しようとするならば、複合家族や隷属農民の労働力の導入を不可欠とするため、その経営において分付百姓に一定の労働提供をさせたことも十分考えられる。しかし、逆に主作地を所持しながら分付百姓となっている農民が、⑱・㉛・㊱と三人存在し、あるいは分付主として一三人もの分付百姓をもつ④次郎右衛門尉が、自らが作地を耕作するなど、分付主であるにもかかわらず、自分自身分付百姓となっている者が五人もいることを考え合わせると、分付主―分付百姓という関係が必ずしも強い従属性をもっていたとは想定しにくい。
そのことは、経田村の場合も同様で、三二人の名請人中、第二位の名請地一町五反余を所持する勘解由は、自ら分付百姓となっている(表9)。その勘解由を含めて分付主でありながら、分付百姓となっているのが三人存在し、彼らはいずれも相当の所持反別をもつ百姓であった。また、分付百姓一七人のうち、九人が名請人としてあらわれ、しかも所持反別が一反未満の者は一人もいない。これらのことは、分付百姓の自立度の高さを証明する一つの指針となるとともに、分付主―分付百姓関係が強固な従属関係で結ばれているものではないということを示唆する。分付関係は、分付主と分付百姓の間で中世以来のある種の従属関係を内包していると思われるが、「分―作」関係は、土地の分与というよりはむしろ土地の貸与、つまり手作りに対する小作を意味しているのであろう(『栃木県史』通史編四 近世一)。
分付百姓 | 単独名請地 | 分付地 | 分付主 |
反 | 反 | ||
惣五郎 | 3.124 | 太郎左衛門 | |
〃 | 0.729 | 源左衛門 | |
二郎左衛門 | 10.009 | 2.325 | 太郎左衛門 |
〃 | 0.815 | 源六 | |
甚右衛門 | 3.304 | 1.413 | 勘解由 |
〃 | 0.805 | 川さき | |
正次 | 1.710 | 与三左衛門 | |
七郎左衛門 | 1.429 | 1.116 | 太郎左衛門 |
六郎左衛門 | 5.821 | 1.025 | 藤右衛門 |
二郎三郎 | 1.025 | 川さき | |
新五郎 | 2.223 | 1.005 | 川さき |
源四郎 | 1.005 | 源左衛門 | |
藤右衛門 | 6.301 | 1.003 | 新左衛門 |
源右衛門 | 2.009 | 0.927 | 太郎左衛門 |
小四郎 | 0.910 | 川さき | |
新兵衛 | 0.717 | 藤右衛門 | |
甚兵衛 | 1.923 | 0.618 | 新右衛門 |
左衛六 | 0.612 | 太郎左衛門 | |
勘解由 | 15.225 | 0.225 | 六郎左衛門 |
甚四郎 | 0.224 | 六郎左衛門 | |