村々では五人組が組織され、年貢・諸役納入の連帯責任をはじめ、村内の治安維持、異教徒の相互監察と摘発に当たった。五人組は、ふつう俗に向こう三軒両隣といわれる五軒(多少の増減はある)で構成された。村内には、五人組とは別に、親族や同族で組織される、いわゆる本家・分家関係で結ばれた血縁的な組織も存在した。これは、近世初期の「家父長的名主」から分裂して分家百姓となった農民が、従属関係は一定の変化を遂げながらも、マキ・ユイといった労働力提供の慣行と結びついて、その関係が以後も続いたものである。五人組の組織は、地縁的、小地域的な組織で、それが行政の末端機構の一つであるという点で、それらの血縁的な結びつきとは性質を異にする。五人組は、農民相互間の厳しい監視体制の徹底化という機能のほかにも、脆弱(ぜいじゃく)な小農経営を維持していく上で、個人の力では到底及ばない用水施設の開設や耕地の開拓などに共同で取り組むというような農民同士の扶助的な側面も合わせもっていた。