(2) 厘取法と反取法

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 領主へ納入する年貢量は、厘取(りんど)りか反取(たんど)りかのいずれかで算出された。厘取りは、村高から引分(名主給などの給与米や、自然災害による免除分など)を控除した残りの「有高(ありだか)」に対して、何割何分何厘と年貢率でもって賦課する方法である。他方、反取りは、田畑の上田・中田・上畑など地目別の反別(面積)に対し、一反当り何斗何升という掛け方をして年貢量を算定する方法である。反取りの場合、分米=石高表示がなされていなくても、耕宅地の面積さえ確定していれば、年貢量の算出が可能ということになる。
 大網村では、表12に表す通り、寛政五年(一七九三)の時点でも、一二給のうち、内藤弥左衛門知行所、大導寺内蔵之助知行所、石丸孫之丞知行所が厘取りで課せられ、不明の荻野小左衛門知行所と内方鉄五郎代官所の分を除いて、あとはすべて反取りとなっている。このように、同じ村のなかでも、領主によって年貢の算出方法が異なる。他の村でも、史料で確認できる範囲では、南飯塚村(天保九年、戸塚知行所分)が厘取りのほかは、小沼村(同年)、真行村(同年、両給とも)、名村(同年)、萱野村(元禄十五年、川井知行所分)、清名幸谷村(寛政三年、杉田知行所分)、木崎村(文化十四年、服部知行所分)の各村は、すべて反取りである。なお、南飯塚村の場合でも、新田分については、全部反取りである。一般に関東幕領は反取りが採用されることが多かったといわれるが、当町域村々も所領地は幕領や旗本領が主体であったことから、反取りによる年貢徴収が広く行われた。
 
表12 寛政5年 大網村年貢賦課方法
給   別所領高賦課方法賦課率(上田)
石  
内方鉄五郎代官所107.952 
清水領知177.643 反取1反=4斗8升
大岡伊織知行所382.9765反取1反=5斗7升
内藤弥左衛門知行所216.936 厘取4割2厘4毛
大導寺内蔵之助知行所200.       厘取4割7厘
梶川長重郎知行所180.       反取1反=6斗2升5合
戸塚金重郎知行所168.5     反取1反=5斗1升6合
遠山織部知行所100.       反取1反=5斗7升2合
石丸孫之丞知行所55.222 厘取3割8分4毛
荻野小左衛門知行所45.       
曲淵叔五郎知行所40.       反取1反=4斗7升4合
米津播磨守領分1043.0564反取1反=5斗8升
注1)  寛政5年「拾壱給反別高明細帳」(板倉功尚家文書)より作成。
注2)  賦課率で,反取は合未満,厘取は毛未満をそれぞれ切り捨てた。