大網村では、表12に表す通り、寛政五年(一七九三)の時点でも、一二給のうち、内藤弥左衛門知行所、大導寺内蔵之助知行所、石丸孫之丞知行所が厘取りで課せられ、不明の荻野小左衛門知行所と内方鉄五郎代官所の分を除いて、あとはすべて反取りとなっている。このように、同じ村のなかでも、領主によって年貢の算出方法が異なる。他の村でも、史料で確認できる範囲では、南飯塚村(天保九年、戸塚知行所分)が厘取りのほかは、小沼村(同年)、真行村(同年、両給とも)、名村(同年)、萱野村(元禄十五年、川井知行所分)、清名幸谷村(寛政三年、杉田知行所分)、木崎村(文化十四年、服部知行所分)の各村は、すべて反取りである。なお、南飯塚村の場合でも、新田分については、全部反取りである。一般に関東幕領は反取りが採用されることが多かったといわれるが、当町域村々も所領地は幕領や旗本領が主体であったことから、反取りによる年貢徴収が広く行われた。
給 別 | 所領高 | 賦課方法 | 賦課率(上田) |
石 | |||
内方鉄五郎代官所 | 107.952 | ||
清水領知 | 177.643 | 反取 | 1反=4斗8升 |
大岡伊織知行所 | 382.9765 | 反取 | 1反=5斗7升 |
内藤弥左衛門知行所 | 216.936 | 厘取 | 4割2厘4毛 |
大導寺内蔵之助知行所 | 200. | 厘取 | 4割7厘 |
梶川長重郎知行所 | 180. | 反取 | 1反=6斗2升5合 |
戸塚金重郎知行所 | 168.5 | 反取 | 1反=5斗1升6合 |
遠山織部知行所 | 100. | 反取 | 1反=5斗7升2合 |
石丸孫之丞知行所 | 55.222 | 厘取 | 3割8分4毛 |
荻野小左衛門知行所 | 45. | ||
曲淵叔五郎知行所 | 40. | 反取 | 1反=4斗7升4合 |
米津播磨守領分 | 1043.0564 | 反取 | 1反=5斗8升 |