(6) 惺斎翁の農事書

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 主静の「家政行事」、及び「家計定式帳」に基づいて、その農業経営を実践した人がいた。実子惺斎(主一)がその人である。惺斎は、主静のようにまとまった著述は残していないが、やはり医者、儒学者の立場から、地主手作り主体の農業経営を営もうとした。その過程で、農事に関して作付法や施肥法などを詳細に記録した史料を残した。その一つ「留守中看防之法」は、翁が箱根へ湯治に出掛けるとき、留守中の農作業について、実子勘之丞へ書き残した「農事書」で、天保十五年(一八四四)の二月から四月にかけての二か月間の農作業の内容がこと細かに記されている。記載形式は、父主静の「家政行事」を踏襲しているが、作業内容に関しては、より具体的である。以下、全文を掲げることにしよう(「 」は、惺斎自身の朱筆による加筆分、又本文で「カ」を訂正して「カ」に朱筆の「゛」を打って「ガ」としている場合等は「ガ」を傍示してあらわした)。
 
  与 勘之丞
    留守中
    看防之法
   天保十五辰二月十二日雨中記
    追加
 ○女ども仕事は、先への手廻し能き事考、申付肝要也
 ○農具之内不足之品可調、別てくわ・ミの・かさ人数程買調可申
 ○茂八・徳両人毎朝手習為致可申
  清書一枚宛認、昭斎へ預ケ置、尤外用有之候ハヽ、翌日其分補へし
 ○両人とも夜は返読為致可申、若素読教候ハヽ、庭訓又ば江戸往来抔よし
 ○手習場所は、奥の東縁がわよし、机は二きやく可相渡候
  紙は此方より一状宛遣し、ほぐ(反故)、紛乱不致候様可申付候、我等方ニ調有之候間、可遣候
       覚
 ○火の用心第一也、毎夜寐(「シン」)ニ付節、夜廻り致し、門戸〆り改可申候、 「門ヘジヨウヲロシ可申、夜遊ニ若者参トテ盗人ニ紛レル也、右ニ付、門戸厳ニスベシ」
  奉公人共ニ任せ置申間敷候
 ○家内病人之節、手抜無之世話致し、費(「モノ入」)を厭(「ヒトイ」)申間敷候
 ○親族勿論親友ニ(「火難」)病難等有之候節、我れニ代りて厚く信節ニ世話致し可申
 ○家内病難は、貞眠・昭斎ニ見せ可申、尤玄章ニ相談可仕候
 ○家内(「幷」)村方等変事有之候ハヽ、北横川板倉、清名城之内両人へ相談之上取計可申
 ○小変之事(「ハ」)有之候ハヽ(「共」)、篤と思慮(「カンガヱ」)致し取計可申
 ○苗代は毎日朝夕見(「サバンミ」)廻り可申、出水之節は自分之苗代ニ不「レ」限、村中一同へ心を配り可申、干魃(「カンハツ」)(「ヒデリ」)ニ候ハヽ、水之無益ニ流水不致候様(「ナガシステヌヨウニ」)早々幸三郎と相談之上、厳重(「キヒシク」)可申付候
 ○苗之本無之(「モトナクナリテ」)安心不仕候節は、卯つぎね三蔵苗代(「ナワシロ」)へ追(「ヲ」)蒔可致候、其節はゑり出し・弥六よし、五日ふやし、少々め出候ハヽ可蒔也
 ○今年は大根種少々ニ候間、ひわ鳥(「ヒハト云トリガスクモノ也」)ニ被「レ」食御用心可致、大根種少々実(「ミ」)のり候節、上よりわらか、又はこも懸候てよろしきものニ候
 ○何れかゞし可拵候
 ○ねぎ種二うね計り立置可申 「可相成ハホソネキヨシ」
 ○にんじん種七、八本うへ可申 「是ハウチニ無之候ハヽ、何方ニても五、六本貰ウヱ可申」
 ○新菊・ほふれん草(「ノ」)種(「ネ」)沢山取可申 「新菊ハ二うねアレバ吉ホウレン草不残置」
 ○苗代こしらへ方前々申付通りニてよし
  田螺(タニシ)は念入取可申、跡て有(「ヲリ」)之候ハヽ、古わんへ棒つけ取可申
 ○皐月前苗代之踏(「フミ」)切め(「ノ」)草為(「サ」)「レ」取、幷ひるも出候ハヽ、二葉之内ニそろ/\中へ入、引抜せ可申、尤水少々無之候ては、苗をかき廻リ(「シ」)宜敷無之ものニ候、是等は自身ニ見て居(「リ」)為致可申候
 ○苗代蒔附てより七、八日は引続水干(「ホシ」)よし、本(モト)之定る迄水十分干がよし、多分水之干方不宜候故、元うせ候ものニ候、天気宜敷節は夜干もよし、是ハ其時之水懸引ニよる
 ○芋(「イモ」)種ニて売候より洗ニて売がよし
 ○米も相場石(「両ニ一石」)ニも相成候ハヽ、飯米ニ挽ク序(「ツイデ」)ニ少々売もよし
  すりうす隣家(「トナリ」)より借(「カ」)り、三蔵ニ内之分小するすと二からきらせ、一日挽候ハヽ、二十も引可申間、八表位も売可申、是ハ他所ニて相場聞合之上取計可申、尤すりうす「め」節句後早々為代(「伐」)可申 「来月末までニてよし」
 ○三蔵へ申付湯殿げすい桶ゆわせ可申候、尤五、六荷位出候てよし、木は所々ニ挽(「ヒキ」)おとし板有之候間、集てこしらへさせ申度候、桶のなりニ相成候得ばよし、湯場ニてぬか費(「ツカイ」)候間、あのぬかごへ取候ハヽ、可宜存候
   「余り大なるハ不宜候、五荷計り出るとよし」
 ○菜種当時売候ハヽ、新種前は直段宜敷ものニ候間、宇右衛門方抔聞合、売払可申候、尤小油屋は、新種前ハ至て油不足ニて困り候間、諸々油屋問合払可申候
    「○直段少々安候ても時相場故無拠候」
 ○皐月前ニは、成丈鬧敷節之たしニ相成候様諸事心を用て、其節之用意可(前々)致候、是が肝要之儀何之事ニても皐月之たしニ相成候様手操(「グリ」)可致候 米つき、するす、苗代草取、うへもの等也
 ○馬ハ(「を」)田こしらへニ行節連行、草くわせ可申候
 ○うしろ野へ女馬ははなし候もよし
 老馬故皐月前世話いたし、用意可致也
 ○松葉(「ノ」)稲村(「ハ」)源太郎ニても相頼つミ可申候、ふたはあわから沢山いたし、上の方むしろニて可致
  但シ、だんがつ念入覚置可申、何れ稲村(「ニテ」)一ツ何程ニて(「として」)売可申候
 ○やか(「が」)や「○」(「十四抱」)せど小屋(「前」)等ニ散乱いたし候間、門先小屋へつめ可申
 ○門先松葉も入込兼候ハヽ(「○稲村ニ」)「○」積込可申候
 ○庭のわら(「ヲ」)馬屋はじ明(ア)き次第片付置、庭のわら跡へ「は」麦つミ込可申、其(「ソノ」)用意等(「ハ」)女共日間(「ヒマ」)之節申付、其時之手廻しニ可致候、此等之筋能々念入考出し、後日之手まし肝要也
 ○三次・くめ入用之節は、引連来り、使ひ(「ツカイ」)可申、何れ皐月前手廻し置不申候ては、当年は人少故、植付おくれ候間、其節ニ及候ては、渠(「カレ」)等も日雇(「ヒヨウ」)ニ出候間、前々ニ心を配り、皐月之用意可致也
  「但シ」、穴苅、米つき、麦苅、田(「タ」)草、苗代草、千菜(「センザイ」)手入、農具こしらへ等之儀心を可用也
 ○杉苗さし幷うへ附三月七、八日頃迄はよし
 ○日間(「ヒマ」)有之候ハヽ、くろ松百本計り、せき田西ふち十本計り、内谷ふち十本計り、新林又右衛門去年迄作り候広土手へ十本計り、西東川間へ十本計り、辰巳戸道縁り三、四十本
  右へうへ申度候、是ハ隣(「トナリノ」)くれミ野ニ苗有之候間、日間(「ヒマ」)次第にて一日うえ可申
 ○杉苗中里屋敷へさす也、是ハ今年きびまき之節一度作をきり、盆前らんとそうじ帰りニ一へん作切可申、左無之候ては、去年之通り枯(カレ)れ申候
 ○芋か(「ホシカ」)一表ニ付七、八匁位之相場ニ候ハヽ、埋田へは一両も入可申候
 是ハ米取替ニてもよし、皐月前所々問合可申候
 ○こやし田へ入候儀水(「ミツ」)加減見合、成丈早く入置可申、皐月ニ押懸り候ては、手都合不宜候
 ○はきだめこへ念入、竹木でひろわせ可申、折々見廻り不申候ては(「女ドモ面倒故ザツトヒロウナリ、心付ベシ」)、念入らぬ也
 ○わせもの成丈一日も早きよし、跡はゆるりと入梅よりうへ可申候
 ○我等四月十五、六日迄ニは帰宅ニ相成候、殊ニより候ハヽ、十日以前ニも相成可申歟と存候(熱海三廻り しゆぜん寺一廻り 箱根足の湯一廻り〆三十五日 道中十日
 ○万々一家内ニ大変事出来候て(「候て」)、我等帰宅無之候ては不相成候儀も出来候節は、飛脚は藤蔵・石や両人之内ニて、路金三分為持可遣候 「石やも熱海ハ知テイル」其節関所手形無失念認可遣候
 ○藤蔵・鈴木や弐人勘定さいそく可致候
 ○金太(「ハ」)日雇ニ連来り候てもよし、定直段一日百三十弐文ニて克(「ヨシ」)、三次(「ハ」)一日百文当りニてよし、成丈他所ニ日雇之無之うち連来り、手廻り候様可致候 「外ニ日雇之口有之候ハヽ、外へ可遣候」
 ○佐官へ申付、隠居かべ塗せ可申、中ぬり致し、跡ニてしつくい附させ、我等来り候迄ニ出来あけ申度候
 ○せんさせ(「セン菜(ザイ)」)之分干か無之候ハヽ、煮汁二たん計り為附可申
  是ハ今泉新地(「シンチ」)へ松葉遣し附可申候
 「○」三月大根おろぬく、小便懸る
 ○牛房はへ候ハヽ、ちいさき内ニおろぬく
 ○おらんだおい/\うへかへる ぬかごミせつちんへ入、土こべ(ごへ)ニ入るよし、あい・たばこ・茄子こやし
 ○ひゑ苗は地ごへ沢山入べし
 ○うしろ野ニ星谷五助苅捨候やかや五、六抱有之、入べし
  外ニも薪ニ相成候もの可有之候間、はこび入可申
 ○からし種残し、清名幸谷油やへ遣し、勘定致し可申、少々かりニ相成候事と存候
 ○うしろ野三次苅候跡くず、三次はききれ不申候ハヽ、此方ニて半日はくべし
 ○苗代ため出し、すゝ(ごミ)懸可申、是ハ早せものへ懸るよし
 ○ひゑ苗沢山まくへし 内山川ふちからしの中其外西の方あきち 早々まくべし、おそく相成
 ○しゆんおくれニ不成心得のまきもの
  もろこし ひゑ苗 からすふろ 胡瓜 かほちや いんけん
  右此品節句後は早々、節句前ニてもよし
  芋 にんじん 三月大根三番まき じふろ 西瓜 まくわ瓜 とふくわ
  右此品三月十日より廿日迄ニまくへし
 ○まくわのこやし下ニ馬ごへ、干か少々入、上の方はきだめこへよし
 ○皐月前ニ相成候ハヽ、今年は男手無之故、三次来り候節、米三俵計り女ども相手ニ一日つくべし、此段無失念致、皐月飯米ニ引当可申、尤すりうす引心懸、水あがり之節抔引可申、右は前々三蔵ニ目切申付置可申
 ○かさ・ミの用意可致、幷皐月取懸る以前こざ・ミのこしらへ置可申、差懸り候ては差支可申、板木脊中ニ附るニきり新宅ニ有之候間、手伝こしらへ可遣候
 「○京な種家之北ニて一うねたて置
 ○胡瓜種せどへしろなしニすくニ一うねうへてよし
  苗ニて植るもよし、二品ニ可致候
  但シ、胡瓜少々残し置、おくまきよし
 ○からすぶろこやし可致候
 ○綿こやし念入可申候、尤種沢山可入候、あつきよし
 ○三月大根入る
  もろこし苗こやし十分ニ可致候、余りつよきハ不宜候
 ○田の土ごへ作り、切返し可申、土かわく程よし
 ○くさじきはやせ田へ入へし、木のまゝしもおこしの時入て、木の元を出し置、くさりたる時ニ女どもニ引ぬかせ、木を上ケ候ハヽ可宜候、是も面倒なれバ葉計り入る」
 ○くわこしらへ伊之助ニ申付る
 △当年作毛之荒増
 大畑南之割  大豆  ○門先小屋南けし跡十六さゝぎ 〇家之北京な種ニ一うね北之方ニて立置
 中ノ大畑   きび
 小屋向大畑  わた わせまき皐月さびらき十日以前蒔、尤干か例之通り作切之前入込作(「デ」)切り、三、四日過まくべし)
  「わた 初四月五日 三度目四月二十日」」
 桐畑 半分わた 半分たばこ又はごま 「是ハたばこ苗之出来次第」
 新畑普請畑 半分いも 「是ハ菜有之、作きられ候哉難計」 半分ごま又はあわ
 内山普請畑 「南之方」 半分あわ 「―あつまきよし」
       「北」 半分ひゑ 尤南之方よまき大根分十うね計り残す
 内山 高畑 ごま さつま 「きじニほりかへされ候間、瓜之分念入かゞし致可申、こやし沢山可入也」
       西瓜 「二十四、五日頃」
 内山 中ノ畑 大豆 是ハかゞし致(至)て六ケ敷候、縄ばり之外ニ北東之方桶屋せんくづの竹(「竹」)五、六尺ニ切り、わんなミはり可申右ニてもなるこ引可申
   右ニても雉子ニ被堀(掘)候哉難計候間、世間より十日も早くうへ可申、夫れニても雉子ニ被堀候ハヽ、麦苅ぬ前ニうへ直し可申
    西ノ方 からし 江戸麦 両方之分不残いも 「幷去年茄子跡麦の中いも」
    幷(「ニ」)川附茄子うへ候分(「ヲ」)凡半分と見積り、残りいも
 表口小畑 あつき又はもちきび
 内山入口小麦 半分 こま 半分 あづき 「内山川附からし菜跡ひゑ」
 せど菜のあと 内山菜の跡 見計ニてあいうへる 尤西ノ方胡瓜又はしぶろ等もよし
 せど小屋西 土蔵之西 ―ちさなニこやし懸ル もろこし
 けしあと そら豆あと くろごま 「又は一分種 ○ひへ苗沢山まくべし こやし沢山致し、節句後早々蒔也」
 門先桜の向大根あと かんばん木からしあと しぶろ追々ニまくへし、尤早蒔成丈早くまくべし
   「此外しぶろおくまき――一番まき三月十五日
     おく豆見計まくべし―二番 四月朔日 三番 四月十五日」
 内山川ふち ひゑ又はあいうへへし (「からしの中よごいも」)
 三月大根 三ばんまき内山川ふち之西へ四ツ一もうへる
      是ハ節句前後 「よし、三月十日頃」
    外ニ綿之中へ三月大根入べし
      にんじん不宜候間、是ハ新菊・ほふれん草跡抔へにんじんまくか、何れ是ハ皐月中ニてよし、種我等江戸より求可来茄子苗北幸谷へ申遣し、代弐百文ニてよし、兼て代こしらへ置、尤馬ごへニ土まぜてよし
 かんばん木紅花あと大根・ねきニ可致候 紅花種沢山取べし
 「胡瓜・カボチヤ種三月二日、節句抔程宜敷と存候、カラスブロ同ヨカラン」
 ○馬こへニ土まぜ作り置 茄子 たばこ 胡瓜 あい にんじん こやし 是ハ干鰯少々切まぜる
 ○西瓜之分馬やごへこまり成分作り置 瓜「キジニホラレルナラバ中ノ畑東ノ方モ吉」 「三月二十四、五日頃也、モヤスガヨシ」
 ○きびごへ 馬ごへ取
       いん居かやごミ幷畑だしのはき寄、積置 きひ ごまへ 二品へ入ル
 ○植もの時を失(ウシナワ)ぬよふ可致、少々早きハよし
  別てひへ・あい・たばこ・もろこし時を失ふへからず
  ひへ・もろこし成丈早くうへ可申、苗したて肝要也
 「○幸田茹子朔日頃植てよし」 昭斎へ申遣し、北幸谷ニて求る也 茂八取ニ遣ス
 「○十六さゝぎ、大豆より少しおそくてよし
 ○じぶろ、大豆と一度ニまく、二度目(ハ)皐月取懸る頃 」
 ○ひゑ苗沢山まくべし、今年は多くうへるよし
 ○苗代見廻り之節、しろ草はこび可申
 ○伊之助へ申付、竹わらせ、一日手伝いん居かべこまへ可致候
  成丈うすきよし、故ニ竹の内うすきを以て可致候、厚きハ身をとり可致候
  我等帰村前荒かべ為附可申、尤一間故手前ぬりニも出来候、中ぬりは佐官へ可申付候
 ○日間有之候ハヽ、かわら為附可申、三だんニ相成可申
   右いん居所、以来は詞堂(シドウ)と為申候事
 ○ミの・かさ・鍬・苗かづき(つぎカ)・麦苅鎌等早々用意可致候、農具は兼て取揃可申事常々之心懸専一也
 ○種蒔後三次ニ早々やねふかせ可申、其節米壱斗、酒代、はり金代、やねや手間等壱貫文可遣候、やがや腐せ可申候間、急き候様可申付候、ふきがへ致候ハヽ、裏の井戸の杉葉切取、猶又追々切払可申段可申付候、畑へ杉根出、近辺荒用ニ立申間敷候
 ○茂八・徳朝夕申付、手習為致可申候、兎角朝夕ぶら付居候ハヽ、急度叱り、習業為致可申候
 ○二日(フツカ)・節句抔馬ニつけ、徳か茂八ニ北幸谷へ芋種可遣候
  尤つまへ遣事可申付、玄章方へ遣候ニは無之候
  沢山有之候ハヽ、玄章方へも一籠為遣候、是ハ札を附、つまへ遣候で届貰候てもよし、使之者へ念入可申付候
 ○新宅裏畑へも茄子・胡瓜ニてもうへ可申
 ○是より先は、朝仕事ニ居屋敷うちせんざい等手入為致候義常々考べし
 ○我等用事有之、旅先より書状候節は、印形致し遣候間、若印形無之書状等は、にせ物と可存候、若印形有之書状ニ候ハヽ、我等手ニて認不申候とも、実事と心得可申候
 ○吉田鉄仕入ニ四月は出府可致候間、其頃江戸ニて出会致し候都合ニ仕、帰村致度存候
 ○菜種・胡麻相場宇右衛門抔ニ聞合、相払可申候
 
 これは、天保十五年二月から四月にかけて(新暦でおよそ三月から五月)の、富塚家で行われる農作業の内容を記したものである。一年中で最も重要なこの時期に、どのような作業が行われ、作物の播種や植え付け、さらに施肥状況などがどのようなものであったかを詳しく伝えてくれる貴重な史料である。ここでも、主静の「家政行事」に依拠して、自然肥料を中心に干鰯(金肥)を併用する地力維持、回復に重点をおいた手作り経営が営まれていたことが確認される。とりわけ、作物に適合的な肥料の選定と投入、たとえば、自然肥料を主軸にしながらも、耕作条件の不良な埋田には干鰯を一両分ほど入れて生産性を上げ、また真桑瓜の肥料には、下の方に厩肥か干鰯を入れ、上の方にははきだめの肥を投与するなど、作物に応じた施肥方法が採り入れられている。
 肥料と同様、作物の播種や植え付け時期についても配慮して作付けを行っている。そこでは、絶対に季節外れ(旬(しゅん)遅れ)になってはならないものと、節句後でも構わない作物の区別がなされている。当地域の畑作生産は、作付け品種の多品種化と土地を有効に利用しての多毛作とを特色とするが、ここでも、十数品に及ぶ畑作物が作付けされている。この品種の多さは、土地に適合的な作物の栽培、連作による嫌地現象の回避、同一作物の作付けによる凶作時の危険性の分散といったことに基づく。水田も含め、換金化される主な作物は、米、菜種、松葉などで、これらを商品化して浜方から干鰯を購入している。地域内における農業生産と漁業生産との商品交換が行われているが、富塚家の方では、魚肥(金肥)をあまり重視していなかったので、その買い入れも自から限界があった。
 さらに、畑作物の「当年作毛之荒増」をみると、多種多様な畑作物をあらかじめどの畑に植え付けるか計画が立てられ、「西ノ方」の畑地には、冬作のからし、江戸麦の収穫後に芋を植え、しかも昨年は夏作の茄子のあとに冬作の麦を作付けるなど、二毛作を取り入れていると同時に、「家政行事」の指摘どおり連作による嫌地現象を避けている。このほかにも、小麦→ごま・小豆、からし→ひえ、せど菜→藍・胡瓜・しぶろ、けし・そら豆→くろごま、大根・からし→しぶろ、紅花→大根・ねぎなどいろいろ組み合わせて二毛作を行っている。それも、単一作物ではなく、複数の作物を一枚の畑に植え付け、限られた畑地を最大限に活用するのである。
 以上のように、富塚家の自作経営は、自然肥料を主体としながらも、必要に応じて金肥を導入し、播種・苗植の時期を綿密に計画立て、多毛作の採用と連作の回避による有効的な土地利用を志向したところに特徴がある。もちろん、同家は、近世後期に大体四町前後の土地を所持していたから、このような手作り経営のほかに、かなり大規模な小作経営も営んでいた。これまでみてきた手作りは、同家の家族労働と二、三人の奉公人の労働力で行われたものである。そこで、小作経営を中心に、貸金活動も含めた同家の経営について、その内容と変化を概観しよう。