(8) 経営の変化

539 ~ 541 / 1367ページ
 小作経営を極力縮小し、手作り経営への転換を図ろうとした富塚家の経営上の変化は、表29からもはっきりと読み取れる。同家の小作入付高の推移(田方に限定)をみると、享和三年(一八〇三)には、四四石であったものが、文化二年(一八〇五)には、二三石と半減する。このころは、同家が次第に所持地を質地に入れ始めて、経営を縮小した時期と照応し、そのことが、小作料(小作地)の激減といった事態を惹き起こしたと考えられる。この質入れで取得した現金は、領主への上納金や村内の困窮人の救済金に向けられ、貸金を戒しめている主静の教えに反して、貸付額は段々と嵩んでいき、結果的には前でみたように、たとえその大部分が未済となっても多額の貸付金と小作料が帳簿上に計上されることになるのである。
表29 富塚家小作料(入付高)の推移
小作人居村享  和  3文  化  2
人数人数
石  両    文石  両    文
南飯塚村1312.2102.10ト17,92466.9151.22ト 6,500
南横川村827.7000.10ト 1,90027.2700.22    
北飯塚村50.20ト 4,35034.8032,050
星谷村34.1260.10ト 2,70064.4760.10ト 5,950
木崎村
北横川村
真亀村
合  計2944.0363.10ト26,8741723.4642.20ト14,500

小作人居村天保15弘  化  4嘉永6安政2
人数人数人数人数
石  石  両    文石  石  
南飯塚村926.8661816.6961.12ト18,7331226.8371226.246
南横川村510.210610.0510.10    55.88068.783
北飯塚村411.363710.3630.21ト10,803517.013717.293
星谷村35.450610.2000.31ト3,000511.000510.350
木崎村11.20036.80059.800
北横川村11,500
真亀村11.200
合  計2153.8894049.7103.00ト34,0363067.5303572.472
注1)  各年「小作取立帳」(甫飯塚 富塚治郎家文書)より作成。
注2)  単位:米は石.斗.升.合,金は両.分.朱,銭は文。

 ところが、天保期を境に安政期にかけて、富塚家の小作料は、天保十五年(一八四四)五三石、弘化四年四九石、嘉永六年(一八五三)六七石、安政二年七二石と、弘化四年にわずかに減少するが、漸次増大していく。弘化四年でも、文化二年と比べるとほぼ倍増の小作料を示している。もっとも、同家の場合、小作料、この場合正確には小作入付高(小作地)の増大が、現実の小作料の増加に結びつかない。なぜなら、いくら小作料が帳面上で増加しても、小作料の滞納が恒常化し、額面どおりの小作料の収入が見込めないからである。にもかかわらず、幕末期になるにしたがって、たとえ帳簿上であるとはいえ、小作料が増大してくるということは重要な意味をもっている。
 それについては、文政期以後の同家の質入れと質取りの状況を表示した表30が示唆を与えてくれる。同表からも明らかなように、以前質地に入れていた土地を、天保期から嘉永期にかけて請け戻しているのである。それのみならず、弘化~安政期には、他人所持の土地を質地に取るようになる。自己の質入地の請け戻しに一二四両、質取地(流地買得、永代買い入れも含む)のために一六六両を投じている。質取の場合、村内と村外を比べると、件数では村内七件、村外八件と拮抗するが、質取金額では、村外が総質取金額一六六両のうち、一三一両余を占めて圧倒する。この村外の質取りの多さは、それまでの村内の農民を対象とした返済を期待しない貸付行為とは異なり、他村の変化質地を集中して本格的に質地経営に乗り出そうとする同家の経営上のを想起させる。質入地の請け戻し行為も、「父(惺斎)質地ニ入置申候」分を、子勘之丞が行ったものであり、天保~安政期の社会的・経済的変動のなかで、上総道学の思想的影響下で形成された主静や惺斎の経営理念も変質せざるをえなかったのである。
表30 質入および質取状況






質入年月年季地目質入
金額
増金合計質 取 主請戻年月
両 両 両 
文政年中1.001.00南飯塚村 与右衛門不明 流地買請
文政12.123田2枚8.004.0012.00南横川村 権左衛門嘉永 2.12
 〃  123田1枚7.002.009.00 〃    〃天保 8.12
 〃  123田4枚15.005.0020.00 〃    〃嘉永 2.12
 〃  1258.008.00 〃   利左衛門酉年12.
 〃田1枚3.304.007.30北飯塚村 源左衛門天保 9.12
天保 2.123田2枚12.006.0018.00 〃    〃
 〃  12田1枚7.003.0010.00南横川村 利左衛門天保10.
天保 5.12田3枚15.0015.00 〃   六兵衛弘化 4.12
 〃  12
 
田2枚
 
12.00
2.20
14.20
 
 〃  六郎右衛門
 
天保 8.12
 (2.20分)
 〃  123田2枚15.0015.00 〃   半右衛門嘉永 3.12
 〃  12田1枚7.002.009.00 〃   権左衛門
 〃  123田1枚21.302.0023.30北飯塚村 源兵衛嘉永 2.12
135.0028.00163.00






質取年月地 目質取金額質 入 主備     考
両 
弘化 3.12田 1枚4.12北飯塚村 久左衛門
弘化 4. 2畑 1枚13.22南飯塚村 粂七20年前質取分流地買入
弘化 4.1228.00横川村 酒屋喜作嘉永2年12月当人へ受返し
嘉永 1.12畑 1枚1.32南飯塚村 菊次郎
嘉永 3.12松山1か所7.00北飯塚村 弥左衛門
嘉永 5. 野地1割32.00富田村 藤七
 〃野地1割48.00 〃  助右衛門
嘉永 6. 21.30南飯塚村 長吉永々譲請
安政 1.12田 1枚6.20北飯塚村 与左衛門
 〃  12田 1枚3.03 〃    〃
 〃  12田 1枚7.30南飯塚村 源蔵
 〃  123.12( 〃 ) 久太郎下作証文受取
 〃  12畑 4枚3.12( 〃 )  〃  〃
安政 2.12田 1枚2.33( 〃 )  〃
 〃  12畑 1枚2.30星谷村 久八
166.00
注1)  「(質取帳)」(南飯塚村 富塚治郎家文書)より作成。
注2)  銭端数は切捨て。