船方には、沖合(おきあい)、中乗(なかのり)、船頭、平(ひら)水主の区別があり、沖合は前述したように操業時の一切の総指揮をとる漁夫である。中乗は一人であれば逆網船に乗り、二人であれば左右の船に一人ずつ乗り込み、船上での水主の統制を主任務とした。水主を代表して、水主のさまざまな要求を代弁するのが、この中乗であった。したがって、熟練者でしかも人望の厚い者が選挙で選ばれた。船頭は、一般に明治初年ごろから役務に加えられたとされるが、後出の北今泉村網主上代(かじろ)家の場合は、中乗のことを船頭と呼んでおり、船頭という名称は江戸時代でも広く使われていたものと考えられる。この船頭のほか、二、三人の代船頭がいて、船上での船の操作や陸上での船の修復などに携った。そのほかの乗組員を平水主といい、大地引網では以上のような船方は総勢で六〇人前後となった。