文政十一年(一八二八)の永田村では、表37で掲示するように、一六戸が「農間渡世」を営んでいる。永田村は、村高一五八八石の七給支配の村で、その年、家数は寺院二か寺を除いて一五〇戸であった。農家一五〇戸のうち、約一割の一六戸が同表のような商売を営んでいたのである。なかでも、居酒屋と棒手(ぼて)商いと質屋稼ぎが重要であり、そのうち棒手商いというのは、九十九里浜で捕獲される生魚を行商する人たちのことである。化政期は、九十九里鰯地引網漁業が最も栄えた時期で、当地域で呼ばれる「棒手(ぼて)振り」商いが多いのは、そのことを反映してのことであろう。
居酒屋 | 太郎兵衛 | 文政2年より |
〃 | 清 蔵 | 〃 |
〃 | 市左衛門 | 〃 |
〃 | 与左衛門 | 文政3年より |
〃 | 文右衛門 | 文政5年より |
〃 | 藤右衛門 | 文政9年より |
棒手商い | 嘉 七 | 文政5年より |
〃 | 庄五郎 | 〃 |
〃 | 三之助 | 文政6年より |
〃 | 徳右衛門 | 文政5年より |
質 屋 | 文化13年より | |
〃 | 利右衛門 | 文化11年より |
〃 | 長右衛門 | 文政11年より |
小間物商 | 市三郎 | 文化元年より |
〃 | 勘兵衛 | 文化14年より |
髪結 | 惣兵衛 | 文政元年より |
〃 | 恒三郎 | 文政8年より |