(2) 酒造業

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 永田村の場合、一六戸の農間稼ぎのうち居酒屋は六戸を数え、同村で営まれていた農間余業では多いものであった。当時の居酒屋は、現在のように単に酒類を小売りするだけではなく、そのほとんどが自家で醸造した地酒(じざけ)を販売した。漁業生産物以外に特産物が見当らない町域の村々にあって、わずかに産業といえるのは、この酒造業ぐらいなものであった。
 この酒造りは、江戸時代を通じて幕府の厳しい統制下に置かれた。それは、酒造業が「酒造人共儀は、人命ニ抱り候米穀ヲ潰シ候家業」であったことから、「年々豊凶ニ随ひ、造方増減を以、世上米穀潤沢御救御行届之為、造株・石数往古より定則」(柿餅 小川嘉治家文書)を決めて渡世させる必要があったからである。村々で自由に酒造りを行われては、飯米はもとより、領主の年貢収納に支障を期たすため、幕府は所定の石数を超える酒造業者を厳重に取り締った。明暦三年(一六五七)の江戸大火ののち、幕府は米価高騰を抑制する目的で酒造制限令を公布し、酒造株を設定して、造石高を限定するとともに、その株高を課税の基準とした。翌年、各地で激しい風水害のために米の生産が激減すると、幕府は造石高の半減を命じ、新規の酒造りも禁止した。したがって、新たに酒造業の開業を希望する者は、「明き株」を購入する以外に方法はなかった。
 ところが、その後、幕府の酒造制限令にもかかわらず、酒の需要は増大の一途をたどった。ことに、領主年貢米が地払いされるようになるとその傾向は一層強まり、加えて、新田開発や稲作技術の進歩により、米が大量に生産されるようになると、地酒醸造はさらに増加した。そのような事態に直面した幕府は、何度か酒造株高の改定を行わなければならなかった。その推移は、町域の村の事例でもみることができる。木崎村の富塚家(当時七兵衛)は、元禄六年(一六九三)に細草村六右衛門から道具一式を添えて六〇石の酒株を買い求め、以後幕末まで造高の増減はありながらも脈々と酒造業を営んだ。享和二年(一八〇二)には、酒造米高五六〇石のうち、半分の二八〇石を仕込み、役米として十分の一の二八石を領主の旗本服部氏に上納した。それより先、天明八年(一七八八)には、天明の大飢饉の影響で、株高に関係なく、造高の三分の二の醸造を禁じられた。また、寛政元年(一七八九)の不作が原因で、富塚家では、酒造株高は元の六〇石のままであったが、酒造米高は従来の五六〇石から一二〇石に減少させた。文化年間には二八〇石に回復し、以後は、二八〇石で固定した。しかしながら、幕末期に至って、酒造業の経営はますます困難となり、とくに、酒の原料である米の暴騰が、その経営に大きな打撃を与えた。慶応三年(一八六七)に同家は、清名幸谷村の専蔵と四郎右衛門から、「酒造渡世ニ差支」えたため、米を一〇〇俵(二六二両二分)借用していることが、そのことを端的に物語っている。このように在地の酒造業は、必ずしも発展的な経営とはいえなかった。

写真 酒株売渡証文 (木崎 富塚勝男家文書)
 
 江戸時代に使用された酒造用具については、南横川村の佐久間七左衛門が、天保十二年(一八四一)に酒蔵を普請したときに書き留めた史料(南横川 佐久間武家文書)から窺うことができる。その書き上げには、酒株高二一〇石の経営規模に必要な酒造道具の種類と数量が記されている。そのすべてを列記すると、五尺桶一本、二尺五寸釜一つ、吹きぬき一つ、台場半切一枚、かき桶二つ、ひしゃく大小共五本、さるほう(猿房)一つ、坪台四本、半たい一つ、水ため三丁、半切四枚、飯ため一つ、つるべ一つ、小桶二本、三尺七寸桶二本、糀ぶた八九枚、枦七本、もろ道具有合せ、水升五升入一つ、舟そう一本、三六蔵一枚となる。
 農間商いは、文政改革、天保改革のときに幕府によって克明に調査され、そのときに取り調べられた諸職人の給金や諸物価の書き上げが保存されている村もある。これは、当時在地における商品生産・流通の展開に対応して、幕府がそれらを掌握し、物価統制を行うために実施されたものであると考えられる。幕府は、その調査結果を基にして各組合村に公定の価格で売買するよう命じた。天保十三年(一八四二)に永田村が属する組合村に申し渡した諸職人手間や物価の内容を参考までに表示すると、表38のようになる。
表38 天保13年 手間賃・物価表




畳 屋7日金1分
左 官7日金1分
大 工8日金1分
木 挽8日金1分
建具屋8日金1分
綿打職100匁銭32文
石 工6日金1分
瓦 屋4日金1分
鍛 冶2割下げ
髪 結1人前銭16文
百姓日雇男 1人
女 1人
銭132文
銭100文





白 米100文につき5勺下げ
地 酒1升銭100文
伊 丹1升銭180文
豆 腐1丁銭28文
焼豆腐1枚銭3文
油 揚1枚銭3文
そ ば銭16文のところ14文
菓 子1つ銭4文のところ3文
2割下げ
醬 油2割下げ
水 油2割下げ
魚 油2割下げ
半 紙1帖銭24文~32文
半紙以外紙類2割下げ
蠟 燭大蠟1丁につき
小蠟100文につき
銭3文下げ
1丁下げ
手 拭1筋銭100文~112文
荒 物2割下げ
鉄物類2割下げ
旅宿代1宿1人前銭164文
湯 銭男 女
子 供
銭3文ずつ
銭2文
質 屋金2朱につき
銭100文につき
銭18文のところ16文の利足
銭3文のところ2文の利足
注)  天保13年「教諭願書議定連印帳」(永田区有文書)より作成。