(3) 地震

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 房総沖を震源地とする巨大地震が、江戸時代に数回九十九里沿岸を襲い、そこで生活する人々に多大な被害を与えたことは、これまで発見された古記録のなかで詳しく伝えられるところである。慶長九年(一六〇四)、延宝五年(一六七七)、元禄十六年(一七〇三)に起こった大地震は、俗に「房総三大地震」といわれるほどの大きなものであった(千葉県郷土史研究連絡協議会編『房総災害史』)。なかでも、元禄十六年に発生した地震は、現在の震度測定数値に換算すれば、マグニチュード八・二の規模をもつ巨大地震であったといわれる。この地震は、房総だけでなく関東一円、とくに江戸、小田原に大きな被害をもたらした。その被害は、倒壊家屋二万戸余、死者五〇〇〇人余にものぼるとみられている。九十九里沿岸では、夷隅・長柄・山辺・武射の四郡に被害が大きく、津波の影響で家畜が斃に絶え、家屋が押し潰されて、数千人もの溺死者を出した。特別被害の激しかった九十九里沿岸一帯では、各地に「津波塚」を建てて、犠牲者を供養した。その数は、現在成東の下戸川を北限に、南は一宮川付近までの間に、一八か所確認され、町域の村でも、海岸に接する今泉村と四天木村に一基ずつ供養碑が建立されている。

写真 元禄の津波塚 (北今泉)
 
 元禄地震による九十九里沿岸の溺死者の人数は、これまで確認されていたよりもさらに多く、武射郡松ケ谷浦から長柄郡東浪見浦までの間で、およそ二三八七人を数えるといわれる。とりわけ、一ツ松郷が三八四人、幸治村が三六〇人、古所村が二七〇人、町域の四天木村が二四五人、また中里村が二二九人というように、多数の水死者を出している(表40)。
表40 元禄大津波による九十九里地域の水死者数
郷村名水 死 者現 町 村 名
松ケ谷村84山武郡成 東町
本須賀郷96  〃  〃
粟生村100  〃 九十九里町
片貝村100  〃  〃
北今泉村63  〃 大網白里町
四天木村245(250)  〃  〃
浜宿村55(55)長生郡白 子町
剃金村48(48)  〃  〃
五井村8(8)  〃  〃
中里村229(229)  〃  〃
八斗村70(70)  〃  〃
古所村270(272)  〃  〃
牛込村57(73)  〃  〃
古屋敷村103  〃  〃
幸治村360(304)  〃  〃
一ツ松郷384(845)  〃 長生村
一宮村50  〃 一宮町
東浪見村15  〃  〃
2,387(2,154)
注1)  伊藤一男「元禄の大津波と九十九里浜」(『房総災害史』所収)に依拠した。
    2)  水死者欄の( )内の人数は茂原市鷲山寺の津波碑による。

 従来、九十九里沿岸の元禄巨大地震による津波被害については、海岸添いの地域において被害が大きかったとされていたが、海は遠浅で、しかも高さ五メートルもの砂浜が遠々と海岸と平行して続くため、海岸添いは津波の被害をうけにくく、むしろ河川や用水路を伝わって内陸部の方に津波が押し上ったことから、内陸の農村部に大きな被害が発生した。
 元禄地震については、実際にこの大地震に遭遇し、命からがら助かった長柄郡小母佐村(現白子町)の医師池上安闊が、後年享保十年(一七二五)に筆録した「一代記付津波之事」(池上誠家文書)のなかで、その光景を克明に書き留めている。そこでは、元禄十六年(一七〇三)十一月二十二日の深夜、大山のような潮が九十九里浜に押し寄せ、海際より岡の方ヘ向って一里半ばかり逆流していく津波の様子が詳しく記されている。数千軒の家が流水に呑まれ、「数万人ノ僧俗・男女・鶏・犬マテ」流されて溺死したとある。また、「南ハ一ノ宮ヨリ南サホド強カラズ、北ハ片貝ヨリ北強カラズ」という状況で、九十九里浜の南部、とりわけ町域の山辺郡と長柄郡に津波が集中したことが知られる。
 さらに、避難する人々の動きとして、明石原上人塚の上に逃げた多くの者は助かり、逆に内陸の奥へ奥へと逃げようとした者は溺死し、また古所村印塔の大きな塚(椿台という)の上では危難を免がれ、家の屋根に登った者も、たとえ家屋は潰れても命は助かったといっている。とにかく、九十九里浜の場合、海際から離れようとして慌てて内陸部へ避難するより、五~八メートルの高さで襲ってくる津波から逃れるには、印塔や塚にしろ、また家の屋根にしろ高台に駆け上がるのが最も安全だったのである。彼は続けて、後世の人は、大きな地震が押し返して揺れるときには大津波の前兆とみなして、家財を捨て、一刻も早く岡(高台)に逃げ去ることが大切であると教えている。
 そのほか、地震によって津波が河川や用水路を逆流するとき、それまで井戸水が減少すると伝承されていたが、この地震のときにそれを確めるため井戸を見ると、「水常ノ如クアリ、海辺ハ潮大ニ旱ル」といった状態であったと記す。これに加え、「同年号亥ノ十月四日暖ナル事五月ノ如シ、天晴、雲一点モナシ、風不吹シテ鬢ノ毛モウゴカズ、午ノ下刻(正午~午後一時)ニ地震大ニユル」と地震の前触れについて詳述する。以上のように、池上安闊の「一代記」は、現代にも十分通用する地震のときの避難方法や防災の心得について貴重な教訓を提示する。