(2) 県会と郡会

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 現在でいうところの地方自治のシステムは、「大区・小区制」や「町村制」の施行などを経て次第にととのった形ができあがっていった。
 県・郡・町村のいずれにしても行政に対する審議機関としての議会が設置されていた。それは制限があったが、いくばくかの地域住民の選挙によって決められた人びとであった。
 一例を県会にみると、当時の議会は、県が提示する議題に関してそれを審議し修正する程度で、今日議会のもっている「立法的機能」は完全に確立してはいなかった。しかし、だからといって県が県会の意志を全く無視するような姿勢はとれなかった。
 この背景には、初代県令柴原和が、明治六年当時の国内には先例を見なかった県会を発足させ、かなり注目され、明治十一年の県会を傍聴した「朝野新聞」社長成島柳北、「郵便報知」の矢野文雄らに高く評価され新聞に紹介された。明治政府は、その頃さかんであった自由民権運動への対応策として「府県会規則」を設けるにいたり、全国に地方議会が設置された。
 千葉県でも明治十二年に初の県議選が実施され、各郡単位に選挙区が定められ、四十八人の議員が誕生したが、職業はほとんど農業であった。任期は四年とされ、二年ごとに半数を改選するという制度で、旅費と県会の日数に応じた日当が出るだけで、鉄道もない時代(明治時代)で、馬や「かご」に乗り、人力車に乗ってくる人などはごくわずかであった。政党色でみると大隈重信を党首とする改進党には郡長や戸長をつとめた人が多くあつまり、板垣退助を党首とする自由党には旧士族や、豪農で地租改正などのため政府に反感をもつ人があつまっていた。
 こうした政党色が県会ではっきりと表面化するのは、明治十八年以後であり、両派の対立を物語るエピソードが残るのもちょうどこの時期からである。
 県会議員の中で改進党系の重要人物としては池田栄亮(山武)、安田勲(安房)などがいた。自由党系では板倉中(長生)、伊藤徳太郎(山武)などが知られている。それぞれ「房総新聞」、「東海新聞」を発行し、県会の傍聴記を掲載し自派の主張をくわしく報道し、互いに論陣を張った。

写真 自由党系の東海新聞
(東京大学法学部明治新聞雑誌文庫蔵)
 
 また県政史上に残るようなエピソードもいろいろと両派の対立抗争の結果として伝えられている。
 次の史料は、こうした一面を伝えるものとして、当町萱野の横田家所蔵の文書で明治二十一年県会のときのものである。
 この内容は、県会中に議員が「ヒョットコ」の面を被(かぶ)って登場したことから、一さわぎがもちあがったもので、県会を侮辱したものとして、処分問題を協議しようとした。
 この県会史上の事件は、明治二十一年十二月県会で当時県会の議長であった池田栄亮(山武)が頭取をしていた「千葉銀行」(現在の千葉銀ではない)を県金庫として、独占的に県税及び県備荒貯金を預かり、預金利子を支払わず、逆に年間三千円の保管手数料を県からとっていた。そこで板倉中は自由党を率いて、これらの行為は県民に不利益を与えているとつめよった。池田栄亮は改進党をバックにして、これは県知事の権限内の行為で、地方自治遂行に必要な事項について県会の同意を必要としないと逃げた。
 明治二十一年十二月十五日の県会に於て池田議長が開会をつげた時、突如お面(ヒョットコ)をかぶった議員が現われ「池田君が議長席に居らるる上は仮面を被ぶることを許されたし(中略)、許されたる上は今日の曻(印旛郡選出の浜野曻)は、又一昨日の曻にあらざることも了承あらんことを望む(下略)」といって席を立ち議長席をにらみつけたという。この県会議員は、佐倉市出身の医師として名声のあった浜野曻であったことは前に記したとおりである。
 こんなことから「県金庫預け替え問題」は当時の県民の関心をあつめ県会の傍聴席は満員であった。
 あたまにきた池田栄亮議長は議員の発言に傍聴席から発せられた「ヒヤ・ヒヤ」という発言に対して、警官に本人であるかどうかを確かめずに感情的になって議場外につれ出すよう命じた。
 以文会の君塚省三はじめ自由党員が池田議長に抗議すると同時に、先の浜野曻は池田議長の行為に抗議して、県会議員を辞任すると発言して、さっさと佐倉に帰ってしまった。

写真 ひょっとこ面事件を伝える通達書 (萱野 横田栄彦家所蔵)
 
 前掲の史料は、こうした県会における改進党と自由党の明治県会史上の一事件に関するものである。
 この後、板倉中は、明治二十三年二月千葉県会の第五代議長に三十四歳の若さで就任した。
 しかし板倉中は、その後同年二月末同志の招きで山武郡の演説会に行く途中、同郡豊海村で暴漢に襲われ、所持した護身用のステッキで応戦した折に、その中のひとりを殴り殺す事故がおこり、八日市場の刑務所に収容されることになった。
 この事件の背後関係ははっきりしないが、千葉県の板垣事件ともいわれた。
 明治時代前半期千葉県の成立と県会の発足以来、明治十一年新三法施行のもとで定められた「府県会規則」による県会明治後半期いわゆる「市制・町村制」、「府県制」、「郡制」の制定以降の県会に分けて、山武郡域の県会議員の氏名を次の表12と13にあげた。その中には当町域出身の議員も何人かみられる(表中の太ゴジ)。
 
表12 明治前半期山武郡域選出県会議員氏名一覧
氏 名在任期間出 身 地議員役職在職出 身職 業所属政党
板倉官次郎7~9・11山武郡大網町4年
菊池武敏7~9 同 津辺3
斎藤四郎右衛門7~9・11・12・14・16 同 四天木(現・大網白里町)7
広瀬多喜三郎9・10 同 広瀬2
長監信周9・10山辺郡2
藤崎登9 同 小菅村
鵜沢専蔵11・16~23 同 清名幸谷村(現・大網白里町)9戸長・村長
甲賀秀実11・
池田栄亮11・14・16~23武射郡飯堰村議長・副議長・常10農・商
佐久間東吉郎12・山辺郡不動堂村
江口平兵衛12・14・16~22 同 金谷郷村(現・大網白里町)常任9進歩党
石渡六左衛門12・14・16・17武射郡横地村4
古川豊三郎14・15・22・23山辺郡片貝村4
上代平左衛門15・16山辺郡白郷村北今泉(現・大網白里町)2農・漁
増田良司17~22山辺郡土気町6
桜井静17・18 同 二川村2
川島多吉郎18・19~214
伊藤徳太郎21~23武射郡小堤村3
高橋藤三郎23 同 南郷村1
山本熊之助23 同 源村1村議・群議
篠原茂司23山辺郡東金町堀上1町議農・醬油
(『千葉県議会史』第一巻)

表13 明治後半期 山武郡域選出県会議員氏名一覧
氏 名在任期間出 身 地議員役職在職出 身職 業所属政党
鵜沢専蔵23清名幸谷村(現・大網白里町)1年戸長・村長
江口平兵衛23山辺郡金谷郷村(現・大網白里町)1改進党
伊藤徳太郎23~24 〃 小堤村2衆議院へ自由党
高橋藤三郎23~24 〃 南郷村2
古川豊三郎23~26 〃 片貝村4
山本熊之助23~26 〃 源村極楽寺4村議・郡議衆議院へ
篠原蔵司23~26 〃 東金町堀上4町議・町長農・商自由党
小川正吉25~27 〃 日向村木原3
渡辺伊十郎25~29 〃 南郷村5
布施甚七27~29 〃 東金町3町議・町長自由党
小倉豊洲27~29 〃 東金町田間3町議・町長
斎藤源太郎27~29 〃 四天木村(現・大網白里町)3改進党
秋葉勇吉28~29 〃 豊岡村2
子安正雄29~31 〃 片貝村3町長酒造
土屋作太郎30~31 〃 成東町殿台2自由党
行木弥三郎30~31 〃 鳴浜村本須賀2
前島治平32~35 〃 東金町台方4町議・町長政友会
志賀吾郷32~35 〃 東金町押堀4町議改進党
鈴木祥英32~35・40~41 〃 睦岡村埴谷県参6村長憲政党
久保田専蔵36~39 〃 公平村家之子4村議・村長農・商
稗田由巳36~39 〃 公平村家之子4村議
平山由次郎36~39・42~43 〃 南郷村富田幸谷6
岩佐春治38・39 〃 大網町(現・大網白里町)2町長・郡議
高剛三郎40~43 〃 東金町台方4町長
中村尚武40~44 〃 鳴浜村白幡副議長4村長農・商国民党
富塚良司40~43 〃 増穂村南飯塚(現・大網白里町)4村議・郡議村長
富谷啓蔵44 〃 睦岡村沖渡1村長
武田律三郎44 〃 大平村借毛本郷1
高宮彦明44 〃 東金町北之幸谷1町議・町長
古川義郎44 〃 片貝村1村長
(『千葉県議会史』第二巻)

 つぎに郡会についてみると、千葉県で三新法を具体的に実施したのは、明治十一年十一月に入ってからで、太政官から布告が出て約三か月の後のことであった。大区・小区制を、新しい郡、町、村制にきりかえていくのに準備期間が必要であった。
 ここで、郡は県と町村の中間的存在で、県からの委任事務を処理すると同時に、管下の町村を的確に把握することであった。そのためには郡衙の所在地が問題ともなった。
 また郡長は県令(県知事)から任命されたため県官が就任したが、例外も存在した。
 この郡長の下で次に示した史料にみられるように諸係がおかれていた。
 
 史料  郡役所処務規定                『千葉県議会史』第一巻
    第一章 処務分掛
 第一条 郡役所事務ハ左ノ六掛ニ分ツ、
   庶務掛
    戸籍、社寺、土木、兵事、掌典、恤救、備荒蓄、記録職員、其他々掛ノ主務ニ属セサル一切ノ事務ヲ掌ル、
   農商掛
    農、商、工業、及水産、陸産物、地理、森林、駅逓ニ関スル事務ヲ掌ル、
  衛生掛
   流行、伝染病等ノ予防駆除方法、其他凡テ健康医事ニ関スル事務ヲ掌ル、
  教育掛
   教育ニ関スル事務ヲ掌ル、
  会計掛
   金銭物品ノ受払、庁中備品ノ保存、公債証書、銀行及庁舎営繕ニ関スル事務ヲ掌ル、
 第二条 掛員ハ郡書記及傭ヲ以テ之ニ充テ、其掛長ヲ置クト置カサルハ便宜ニ従フ、
 第三条 掛長、掛員ハ数掛ヲ兼務スルコトヲ得、(下略)
 
 この史料でみると、郡役所は大体県庁の機構を縮小した形をとっている。
 なお山武郡の歴代郡長は表14のとおりである(明治期、郡制施行以後)。
 
表14 歴代山武郡長氏名
No.郡長氏名在任期間備  考
1宮崎直候M11・11・ 2~ 14・ 1・25
2下村御鍬M14・ 1・25~ 17・11・ 1
3松崎省吾M17・11・ 1~ 28・12・20
4黒田剛M28・12・20~ 30・ 6・21
5石井信一M30・ 6・21~ 30・ 9・13
6若宮銀次郎M30・ 9・16~ 32・ 4・ 8
7檜山信邦M32・ 4・ 8~ 35・ 6・ 1
8行方幹M35・ 6・10~ 43・ 1・22
9太田資行M43・ 3・ 7~ 44・12・27
10大沢富三M44・12・27~T元・12・ 7
(『山武郡郷土誌』)
Mは明治・Tは大正の略(大正期は略す)

 郡制施行後の郡会議員は、定員の三分の二は町村会議員の互選によること、残りの三分の一は郡内の地価一万円以上の大地主から互選された者か、または大地主その人であった。明治三十一年の郡会議員の定数とその内容構成をみると表15のようになる。
 
表15 明治31年の郡会議員の構成
郡名定員郡 会 議 員選挙権を
もつ者
選挙権を
もつ大地
主議員
備考
町村選出
議員
互選によ
る大地主
議員
互選によ
らない大
地主議員
山武26名19名5名0425名13名438名
(明31年『千葉県統計書』)

 郡会議員の定数は、町村数(郡内)と人口比率によって決定されているが本県の場合はほとんどの郡が二十六名で、海上(十七名)、匝瑳(十五名)が少なかった。
 また郡会議員は前表12・13に示したように、大地主と町村会議員の中から選ばれることから考察して、その地域の名望家によって構成されていたといってよいであろう。
 当町域関係の郡会議員は次の表16のとおりである。
 
表16 明治期における当町域出身の郡会議員
区画町 村定員氏          名
土気本郷町1
瑞穂村
山辺村
1大藤亮司・積田惣吉・田辺蔵太郎・山田徳司
大網町1三木英一郎・岩佐春治・石野操一郎・武内濃・板倉幸嶺
増穂村1富塚良司・北田甚之助、板倉東・中村泰助・鵜沢一郎
福岡村1高橋一郎・嘉瀬清之助・佐瀬与惣右衛門・今井治助
白里村1斎藤源太郎・岡崎延久・斎藤良造・上代民信・松本元吉郎・大塚寛喜・川島喜平治
(『山武郡郷土誌』)

 郡会で審議されることは、一年間の郡役所での予算(歳入・歳出)と決算(前年度)に関すること、郡内の学校(郡立学校も含む)の教育状況、農業、林業、水産、商工業の振興に関することなどであった。現在当町に郡会に関する関係史料はあまりないが、明治後半期における(明治三十七年度)ものがあったので、これを参考に次に掲載する。
 
史料         南横川 北田武二家所蔵
   明治三十七年度千葉県山武郡歳入歳出決算書
        歳入             印ハ朱書
経常部予算金  九百円
  第一欵  雑収入  金参百参拾参円八銭参厘
予算金  百九拾八円
     第一項授業料  金九拾五円七拾銭
予算金  百弐円
     第二項物品売払代  金百六拾壱円弐銭八厘
予算金  六百円
     第三項作業資金  金七拾六円参拾五銭五厘
予算金  参千参百八拾壱円九拾六銭
  第二欵 各町村分賦額  金参千参百八拾壱円九拾六銭
予算金  参千参百八拾壱円九拾六銭
     第一項各町村分賦額  金参千参百八拾壱円九拾六銭
予算金  四千弐百八拾壱円九拾六銭
経常部合計  金参千七百拾五円四銭参厘
     歳入
臨時部予算金六百八拾円
  第一欵  繰越金  金八百拾参円七拾九銭九厘
予算金  六百八拾円
     第一項前年度繰越金  金八百拾参円七拾九銭九厘
予算金  千九百七拾弐円
  第二欵  補助金  金千九百円
予算金  七百円
     第一項国庫補助金  金七百円
予算金  千弐百七拾弐円
     第二項縣補助金  金千弐百円
予算金  弐千六百五拾弐円
臨時部合計  金弐千七百拾参円七拾九銭九厘
予算金  六千九百参拾参円九拾六銭
歳入総計  金六千四百弐拾八円八拾四銭弐厘
     歳出
経常部予算金  八百拾九円九拾九銭五厘
  第一欵  会議費  金弐百七拾七円拾六銭
予算金  六百七拾壱円七拾壱銭五厘
     第一項郡会議費  金百九拾円四拾五銭五厘
予算金  百四拾八円弐拾八銭
     第二項郡参事会費  金八拾六円七拾銭五厘
予算金  四円八拾銭
  第二欵  郡会議員選挙費  
予算金  四円八拾銭
     第一項選挙費  
予算金  六百四円八拾参銭弐厘
  第三欵  徴発輸送費  金七百七拾壱円八拾弐銭
予算金  六百四円八拾参銭弐厘
     第一項輸送費  金七百七拾壱円八拾弐銭
予算金  四千百七拾四円四拾七銭
  第四欵  染織学校費  金参千四百六拾八円八拾参銭四厘
予算金  四千百七拾四円四拾七銭
     第一項染織学校費  金参千四百六拾八円八拾参銭四厘
予算金  拾弐円
  第五欵  郡金庫費  金拾弐円
予算金  拾弐円
     第一項郡費取扱費  金拾弐円
予算金  五拾円
  第六欵  財産費  金五拾円
予算金  五拾円
     第一項積立金  金五拾円
予算金  百八拾七円六拾九銭五厘
  第七欵  予備費  金
予算金  百八拾七円六拾九銭五厘
     第一項予備費  金
予算金  五千八百五拾参円七拾九銭弐厘
経常部合計  金四千五百七拾九円八拾壱銭四厘
         歳出
臨時部予算金  百円
  第一欵 教育補助費  金百円
予算金  百円
     第一項学事奨励費  金百円
予算金  九百五拾円
  第二欵 勧業補助費  金九百五拾円
予算金  九百五拾円
     第一項勧業奨励費  金九百五拾円
予算金  参拾円拾六銭八厘
  第三欵  染織学校費   金参拾円拾六銭八厘
予算金  参拾円拾六銭八厘
     第一項染織学校費  金参拾円拾六銭八厘
予算金  千八拾円拾六銭八厘
臨時部合計  金千八拾円拾六銭八厘
予算金  六千九百参拾参円九拾六銭
歳出総計  金五千六百五拾九円九拾八銭弐厘
歳入出差引

 
金七百六拾八円八拾六銭       翌年度へ繰越
歳 入 経 常 部
科       目決算額予算額比  較備      考
第一欵   雑収入三三三〇八三九〇〇〇〇〇五六六九一七
第一項授業料九五七〇〇一九八〇〇〇一〇二三〇〇
第一目 染織学校収入九五七〇〇一九八〇〇〇一〇二三〇〇入校生徒少ナカリシニヨリ減
第二項物品売払代一六一〇二八一〇二〇〇〇五九〇二八
第一目 不用品売払代一六一〇二八一〇二〇〇〇五九〇二八製作品ノ売却多カリシニヨリ増
第三項作業資金七六三五五六〇〇〇〇〇五二三六四五
第一目 作業資金戻入金七六三五五六〇〇〇〇〇五二三六四五製作品ノ売却少ナカリシニヨリ減
第二欵   各町村分賦額三、三八一九六〇三、三八一九六〇
第一項各町村分賦額三、三八一九六〇三、三八一九六〇
第一目 東金町三三四七六〇三三四七六〇
第二目 公平村一四五二三〇一四五二三〇
第三目 源村六八五五〇六八五五〇
第四目 丘山村七〇三五〇七〇三五〇
第五目 大和村(一部)一六九〇二〇一六九〇二〇
第六目 土気本郷町八四三九〇八四三九〇
第七目 瑞穂村一一六一五〇一一六一五〇
第八目 大網町一〇一七八〇一〇一七八〇
第九目 山辺村八二〇八〇八二〇八〇
第十目 増穂村九五一四〇九五一四〇
第十一目 福岡村
     (一部)
九三三〇〇九三三〇〇
第十二目 白里村九四三一〇九四三一〇
第十三目 豊海村七二五四〇七二五四〇
第十四目 片貝村一〇一三二〇一〇一三二〇
第十五目 正気村七一八八〇七一八八〇
第十六目 豊成村一二三八七〇一二三八七〇
第十七目 鳴浜村七一七六〇七一七六〇
第十八目 成東町一五九六七〇一五九六七〇
第十九目 日向村一〇五二四〇一〇五二四〇
第二十目 大豊村八八〇四〇八八〇〇四〇
第廿一目 南郷村九〇一七〇九〇一七〇
第廿二目 緑海村九五二五〇九五二五〇
第廿三目 蓮沼村七七五〇〇七七五〇〇
第廿四目 上堺村六一五九〇六一五九〇
第廿五目 大平村七三二四〇七三二四〇
第廿六目 松尾町七八三六〇七八三六〇
第廿七目 睦岡村九一九七〇九一九七〇
第廿八目 豊岡村七九三四〇七九三四〇
第廿九目 横芝町六四二〇〇六四二〇〇
第三十目 大総村一二九七六〇一二九七六〇
第卅一目 二川村一六〇二七〇一六〇二七〇
第卅二目 千代田村一三〇九三〇一三〇九三〇
歳 入 経 常 部 合 計三、七一五〇四三四、二八一九六〇  五六六九一七 
歳  入  臨  時  部
第一欵   繰越金八一三七九九六八〇〇〇〇一三三七九九
第一項前年度繰越金八一三七九九六八〇〇〇〇一三三七九九
第一目 前年度繰越金八一三七九九六八〇〇〇〇一三三七九九
第二欵   補助金一、九〇〇〇〇〇一、九七二〇〇〇七二〇〇〇
第一項国庫補助金七〇〇〇〇〇七〇〇〇〇〇
第一目 染織学校補助金七〇〇〇〇〇七〇〇〇〇〇
第二項県補助金一、二〇〇〇〇〇一、二七二〇〇〇七二〇〇〇
第一目 染織学校補助金一、二〇〇〇〇〇一、二七二〇〇〇七二〇〇〇県ノ補助金ヲ減ゼラレタルニヨリ減
歳 入 臨 時 部 合 計二、七一三七九九二、六五二〇〇〇六一七九九
歳   入   総   計六、四二八八四二六、九三三九六〇五〇五一一八
歳 出 経 常 部
科       目決算額予算額比  較備      考
第一欵   会議費二七七一六〇八一九九九五五四二八三五
第一項郡会議費一九〇四五五六七一七一五四八一二六〇
第一目 費用弁償額一三九六八〇五六六〇〇〇四二六三二〇開会ノ少ナカリシニヨリ減
第二目 雑費一七八〇〇四四二〇〇二六四〇〇同 上
第三目 議場費三二九七五六一五一五二八五四〇消耗品ノ購入少ナカリシニヨリ減
第二項郡参事会費八六七〇五一四八二八〇六一五七五
第一目 費用弁償額七〇五九〇一二二五〇〇五一九一〇開会少ナカリシニヨリ減
第二目 雑給〇〇〇一五〇〇〇〇〇〇同 上
第三目 議場費一一五一〇七八〇六六五消耗品ノ購入少ナカリシニヨリ減
第二欵   郡会議員選挙費八〇〇八〇〇
第一項選挙費八〇〇八〇〇
第一目 費用弁償額八〇〇八〇〇補欠選挙ナカリシニヨリ減
第三欵   徴発輸送費七七一八二〇六〇四八三二一六六九八八
第一項輸送費七七一八二〇六〇四八三二一六六九八八
第一目 車輛及馬匹輸送費七七一八二〇六〇四八三二一六六九八八徴発度数多カリシニヨリ増予備費ヨリ充用
第四欵   染織学校費三、四六八八三四四、一七四四七〇七〇五六三六
第一項染織学校費三、四六八八三四四、一七四四七〇七〇五六三六
第一目 俸給一、八三六九九六一、九二四〇〇〇八七〇〇四休職者アリタルニヨリ減
第二目 雑給二二一九五〇二二四〇〇〇〇五〇臨時傭入レ少ナカリシニヨリ減
第三目 旅費四一一〇〇九〇〇〇〇四八九〇〇出張度数少ナカリシニヨリ減
第四目 恵与三〇〇〇〇三〇〇〇〇
第五目 備品費三五九六三五四八二五七〇一二二九三五購入少ナカリシニヨリ減
第六目 消耗品費五四七七〇九六八五一六〇一三七四五一同 上
第七目 通信運搬費二〇〇三三〇〇〇二九八〇〇運搬度数少ナカリシニヨリ減
第八目 賄費三六五〇〇三六五〇〇
第九目 雑費四九九九二五〇〇〇〇  八月割ト為シ厘位未満ヲ四捨五入ノ結果減
第十目 修繕費六八一二〇一〇〇〇〇〇三一八八〇修繕箇所少ナカリシニヨリ減
第十一目 国庫納金一八〇〇六一九二四〇二三四休職者アリタルニヨリ減
第十二目 作業資金二五五六二六五〇〇〇〇〇二四四三七四購入品少ナカリシニヨリ減
第五欵   郡金庫費一ニ〇〇〇一ニ〇〇〇
第一項郡費取扱費一ニ〇〇〇一ニ〇〇〇
(以下略)

 これを審議した郡会は明治三十九年二月十日開会され、同年二月十三日に閉会した。
 議案第一号
 明治三十七年度本郡歳入歳出予算に対シ決算ヲ遂ケ、明治三十八年六月三十日郡出納吏山武郡書記野崎恒蔵ヨリ提出ニ付、本年二月日郡参事会ニ於テ審査ヲ了セリ、依テ郡制第百二条ニ依リ本郡会ニ報告ス、
   明治三十九年二月十日提出           千葉県山武郡長  行方幹
 議案第二号は郡有財産歳入歳出予算に対する決算、
 議案第三号は明治三十九年度千葉県山武郡歳入歳出予算書である。
 郡制は、これまで述べたように、府県制以降、全国一律には実施されないまま明治三十二年に入って帝国議会に改正案が出されたが成立せず、同年三月に全文八章一二九条からなる新しい郡制が制定された。次にその要点を部分的にあげる。
 
 史料     郡制     明治三十二年三月十六日   (『千葉県議会史』第一巻)
   第一章 総則
 第一条郡ハ従来ノ区域ニ依リ町村ヲ包括ス
 第二条郡ハ法人トシテ官ノ監督ヲ承ケ、法律命令ノ範囲内ニ於テ其ノ公共事務並ニ法律勅令ニ依リ、郡ニ関スル事務ヲ処理スル、
    (中略)
   第二章 郡会
    第一款  組織及選挙
 第四条郡会議員ハ各選挙区ニ於テ之ヲ選挙ス、
選挙区ハ町村ノ区域ニ依ル、但シ事情ニ依リ郡長ハ郡会ノ議決ヲ経、府県知事ノ許可ヲ得テ、数町村ノ区域ニ依リ選挙区ヲ設クルコトヲ得、
町村組合ニシテ町村ノ事務ノ全部ヲ共同処理スルモノハ、之ヲ一町村ト看做ス、
 第五条郡会議員ノ員数ハ十五人以上三十人以下トス
郡ノ状況ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ、前項ノ員数ヲ四十人マテ増加スルコトヲ得、
郡会議員ノ定数及各選挙区ニ於テ選挙スヘキ郡会議員ノ数ハ、郡会ノ議決ヲ経、府県知事ノ許可ヲ得テ郡長之ヲ定ム、前項議員ノ配当方法ニ関スル必要ナル事項ハ、内務大臣之ヲ定ム、
 第六条郡内ノ町村公民ニシテ町村会議員ノ選挙権ヲ有シ、其ノ郡内ニ於テ一年以来直接国税年額三円以上ヲ納ムル者ハ、郡会議員ノ選挙権ヲ有ス、
郡内ノ町村公民ニシテ町村会議員ノ選挙権を有シ、且其ノ郡内ニ於テ一年以来直接国税年額五円以上を納ムル者ハ、郡会議員ノ被選挙権ヲ有ス、
     (中略)
 第七条 郡会議員ハ名誉職トス、
     郡会議員ノ任期ハ四年トス、
             (以下略)

 
 前に掲げたように郡会というのは郡費の歳入歳出を審議することであった。
 その歳入の内容は郡有財産からの収入、雑収入、町村分賦、過年度収入(経常部)、繰越金、国庫補助金、県補助金、寄附金、繰上金、財産収入、過年度収入(臨時部)によって構成されている。
 山武郡の場合、歳入総計は、明治三十七年度のものでみると六千四百二十八円八十四銭二厘で、これは当時の増穂村の歳入が予算高で、五千五百四十四円であり、山武郡役所の歳入は、これをやや上まわる程度でしかないことに注目すべきであろう。
 当時増穂村の統計書によると戸数五二一戸、人口三千二十一人の村であることから考えると、郡役所の活動は予算面でかなり制約を受けざるを得なかったことが推察できる。
 このことは次第に大きな問題となっていくが、これは別項の郡役所の廃止問題のところでふれることにしたい。