白里村

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 四天木、細草、北今泉、南今泉の諸村と大沼田村飛地が合併し、白里村として発足したのは明治二十一年十一月二十三日のことで、関係諸村及び所轄戸長から合併に合意の旨の答申が出されてからである。
 当地域は従来山辺郡に属し、明治六年大小区分画のときには、四天木村、細草村の二村は第八大区三小区に、南今泉、北今泉の二村は第八大区一小区に編入されていた。しかし明治八年には改編され四天木、細草は第八大区九小区に編入された。明治十一年郡区町村編成法が施行されたとき四天木村は一村で独立し、細草村は下ケ傍示村と共に、また南今泉、北今泉村は二村をもってそれぞれ連合を組成し、明治十七年戸長役場所轄区域更定のときに四天木、細草、下ケ傍示の三村はまとまり、南今泉、北今泉の二村は真亀村外一か村と共にそれぞれ同一戸長役場の所轄区域に属し、明治二十二年に至った。
 これらの村々は戸長役場の所轄、学区においては二つに分かれていたが、各村とも農業と漁業を中心とした村落で、人情、風俗、生活状態が類似していて合併に適する下地を保有していた。
 村名は、このあたり一帯を白里浦(九十九里の別称)とよばれていたことから、これにちなんで白里村と称した。
 合併時における旧村々の村勢は次に示したとおりである(表23)。
 
表23 合併時の白里村旧村の村勢
旧村名人 口戸数面 積国 税地方税町村費町村
協議費
山 林
四天木村
二、六〇二    

四一八    
町        
三〇二 ・ 七三

一、一六九    

五七七    

六一四    
町        
八 ・ 二一
細草村八五三    一三四    二七四 ・ 二〇六一三    二二七    二七二    〇 ・ 五一
北今泉村一、二二四    一八三    一九六 ・ 二六七〇〇    二七六    一〇〇    五 ・ 三七
南今泉村一、六四二    二九五    二〇二 ・ 三一八九五    三五八    一二九    
大沼田村飛地四 ・ 三四一四    三    
六、三二一    一、〇三〇    九七九 ・ 八四三、三九〇    一、四四一    一、一一五    一四 ・ 〇九
(『千葉県町村合併史』上巻)

 こうして、私たちの郷土の先人の努力によって、明治二十一年から二十二年にかけて大規模な町村合併が実施され、大網白里町の母胎となった旧村々も、あまり大きな混乱もなく合併が推進されたのである。

写真 白里村役場