こうした火災に対して、明治十四年に警察消防制度を県が発足させたが、これは単なる制度上の一過程で、火災発生に対応し、鎮火に当たるためにはかなりの人員を必要とするのは当りまえのことで、やがて今日いうところの「義勇消防制」いわゆる消防団体制がつくられていくのである。
明治二十七年二月九日勅令第十五号で「消防組規則」が公布され、全国共通して消防組は、府県知事の警察権に属して活動する組織として発足した。
千葉県でもこれを受けて、千葉県令第三八号として「消防組規則施行細則」を出すとともに、県下に四十一の町村消防組が明治二十七年五月十五日に発足(『千葉県消防史』)した。
当町清名幸谷南区に所蔵されている史料の中に当時の「消防組規則」と「消防組規則施行細則」があるので、その概要を次に引用する。
消防組規則 明治二十七年二月
第一条 府県知事ハ職権又ハ市町村ノ申請ニヨリ、火災ノ警戒防禦ノ為メ消防組ヲ設置スルコトヲ得、
第二条 消防組ノ設置区域ハ市町村ノ区域ニ依ルヘシ、但シ土地ノ状況ニ依リ市町村内ニ於テ適宜区域ヲ定ムルコトヲ得、
第三条 消防組ハ組頭壱人、小頭若干人及消防手若干人ヲ以テ之ヲ組織ス、組頭及小頭ハ警察部長若クハ其ノ委任ヲ受ケタル警察署長之ヲ命免ス、消防手ハ警察署長之ヲ命免ス、
第四条 組頭ハ警察官ノ命ヲ受ケ部下ノ指揮取締ニ任シ庶務ニ従事ス、小頭ハ組頭ヲ助ケ組頭差支アルトキハ之ニ代ルモノトス
第五条 府県知事ハ市町村長ニ諮問シ消防組ヲ数郡ニ分ツコトヲ得、
第六条 消防組ハ府県知事ニ於テ指定シタル警察署長之ヲ指揮監督ス、消防組ハ警察官ノ指揮ニ従ヒ進退スヘシ、但、火災ニ際シ警察官ノ臨場スル迄、町村長又ハ組頭若クハ小頭之ヲ指揮ヲ為スコトヲ得、
第七条 消防組ハ其ノ区域外ノ火災ト雖、警察署長ノ指揮ニ従ヒ、其ノ警防ニ応援スヘシ、
危急ノ場合ニ於テ警察署長前項ノ指揮ヲ為スノ暇ナキトキハ、他ノ警察官等警察署長ニ代テ其ノ指揮ヲ為スコトヲ得、
第八条 警部長ハ府県知事ノ命ヲ受ケ、其ノ地方全体ノ消防組ヲ指揮監督ス、
消防組ハ火災警防ノ為メニアラサレバ集合若クハ運動スルコトヲ得ス、但警部長若クハ其ノ委任ヲ受ケタル警察署長ニ於テ、儀式訓練及他ノ災害ノ為メニ集合運動ヲ命シタル場合ハ、此ノ限ニアラス、
(中略)
第十三条 消防組ニ関スル費用ハ其ノ市町村ノ負担トス、
(以下十九条まであるが省略)
これをみると、大体現在私たちのまわりで活動している消防団の母胎ともいえるものが、このころに形成されたことがわかる。
消防組点検規則 明治三十三年五月
第一条 消防組ノ点検ハ人員服装姿勢及機械器具、其ノ他携帯品ノ保存使用ノ適否ヲ検査スルモノトス、
第二条 点検ヲ行フトキハ所属警察署長又ハ其ノ代理若ハ点検員トシテ組頭又ハ小頭ヲ指揮者トス、但シ所属警察署長、警察分署長又ハ其ノ代理者在ラザルトキハ組頭ヲ点検者トシ小頭ヲ指揮者トス、
第三条 消防組員ノ集合整頓ノ方法ハ巡査点検規則ヲ準用ス、
第四条 指揮者タラサル小頭ハ前列右翼ニ若シ余員アルトキハ同左翼ニ列シ、尚ホ余員アルトキハ、後列ノ中央ニ歩ノ距離ニ於テ押伍ト為ルヘシ、
第五条 点検ノ際列員ハ一定ノ服装ヲ為シ、手袋アルトキハ之ヲ着用スヘシ、但頭巾ヲ携フルトキハ其ノ紐ヲ頸ニ掛ケ、之ヲ背部ニ負フヘシ、
第六条 点検ハ消防組当番員出務ノ際、現所引上ケノ際及演習ノ際之ヲ行フモノトス、
現所引上ノ際機械器具被服其ノ他携帯品破損ノ有無ヲ検査スルハ、特ニ厳重ノ注意ヲ要ス、
第七条 機械器具ニシテ使用シタルモノハ洗滌ノ後、修繕シタルモノハ竣工ノ後、警察官ニ於テ点検スヘシ、其ノ在ラザルトキハ組頭又ハ小頭ニ於テ点検ス、
第八条 喞筒(ポンプ)ノ他機械ニシテ組立テアルモノハ、毎年二回以上之ヲ分解シ、内部ノ検査ヲ為スヘシ、
前項ノ検査ハ可成演習ノ際ニ之ヲ行フベシ、
以上
消防組規則施行細則 明治三十一年七月
明治二十七年五月県令第三十六号消防組規則施行細則左ノ通リ改正(定カ)ス
第一章 通則
第一条 消防組ヲ設置スヘキ土地及其人員等ハ別ニ指定スルモノトス、
第二条 消防組ハ其設置区域ノ地名ヲ冠シ、若シ之ヲ数部ニ分チタルトキハ其消防組第何部ト称スヘシ、
第三条 警察署長又ハ分署長ハ、其所轄内ノ消防ヲ指揮監督スヘシ、
第四条 消防組並ニ部ニ左ノ係ヲ置ク、
一、火係 二、喞筒係 三、水係
第五条 消防組並ニ部ノ人員ハ四十名以上トシ、各係ニ小頭壱名ヲ置ク、部ニ在テハ小頭ノ内壱名ヲ以テ部長トス、
第六条 消防組員ハ満十八年以上五十年未満ノ男子ニシテ、平素行為粗暴ニ渉ラス身体強壮ナル者ニ限ルヘシ、但組頭、小頭ハ二十年以上、六十年未満トス、
第七条 右ニ掲クルモノハ消防組員タルコトヲ得ス、
一、公権剝奪若クハ停止中ノ者、
二、禁治産中ノ者、
三、公費ヲ以テ救助中ノ者、
四、懲戒処分ニ依リ消防手ノ職務ヲ免セラレ満二年ヲ経過セサル者、
五、盗罪及放火罪ノ前科アル者、
六、過失ニアラサル殺傷罪ノ前科アル者、
第八条 消防組員ニシテ其職務ニ堪サル者、及年令満限ノ者ハ退職セシム、但身体強壮ニシテ消防上効(功)績アル者ハ特ニ留職セシムルコトアルヘシ、
第九条 消防組員、軽罪以上ノ事犯ニヨリ拘留セラレタルトキハ其職ヲ失フモノトス、
第二章 信号(全文省略)
第三章 服務及規律
第十二条 消防組員出動ノトキハ、受持ノ器具ヲ携へ現場へ駆ケ付ケ、指揮ニ従テ消防ニ着手スヘシ、
第十三条 消防組員ハ出火現場ニ於テ、左ノ事項ヲ恪守スヘシ、
一、協力其事ニ当リ苟モ効(功カ)ヲ争フヘカラス、
二、私ニ其持場ヲ離ルヘカラス、
三、家財ノ運搬等ニ従事スヘカラス、
四、常食ノ外私ニ飲食スヘカラス、
五、私ニ金銭物品ヲ受ケ、又ハ之ヲ受クルノ約束ヲ為スヘカラス、
第十四条 消防上必要ナル場合ト雖トモ、指揮ヲ得スシテ家具其ノ他ノ建造物ヲ毀壊スヘカラス、
(中略)
第五章 賞罰(全文省略)
第六章 検閲及演習(全文省略)
第七章 組頭処務(全文省略)
附則
第三十九条 従前設置シタル消防組ニシテ本則ニ適合セサルモノハ相当ノ手続ヲ経テ二ケ月以内ニ更正スヘシ、但シ被服、器具ハ認可ヲ経テ当分内在来ノモノヲ使用スルコトヲ得、
纒・組旗
高張提灯
法被頭巾
なお、当町には明治四十年大網消防組頭(消防団長)に就任し、山武郡連合消防同盟会長、大正十五年大日本消防協会創立委員等を歴任した岩佐春治がいる。
岩佐春治は「消防組員はたとえ身を法被(はっぴ)に包むとも精神は常に崇高なる紳士たらざるべからず」の名言を現代にのこし、消防団員の精神の高揚とともに、消防の機械器具、水利など諸施設の充実に尽力し、大網消防組を県下一あるいは、日本一にするために精魂をかたむけた。
当町の消防は岩佐春治のようなすぐれた先人がのこした伝統を、今日もひき継ぎ活動している。
写真 岩佐春治の碑(山中)