身近なものとしてみるに、山辺郡桂山村の「勤勉貯蓄盟約書」の中には、当時の当町の人びとの勤勉ぶりがよくわかるので次に示した。
勤勉貯蓄盟約書 山辺郡桂山村 桂山 島田良吉家所蔵
一、勤勉貯蓄ハ年ノ豊凶ニ関セス、則業務ニ物産ノ改良繁殖ヲ図リ、費用ヲ節省シテ余裕ヲ貯積シ、隣保相助ケ各自ノ安寧ヲ保有シ資財ノ増進ヲ目的トシ、左ノ条項ヲ確守履践ス。
第一章 勤勉
第一条 毎日業務ニ服従スヘキ時限左ノ如シ、但休暇日ハ之ヲ除ク、
一、自四月九月迄ハ午前五時ヨリ午後八時ニ至ル、
一、自十月翌年迄ハ午前六時ヨリ午後六時ニ至ル、
第二条 執業時間中ハ漫リニ吹烟ヲ喫シ雑談ニ耽リ、又ハ職業ヲ離タル等所為ヲナサス、
第三条 休暇日ハ毎月一日、十五日及大祭祝日、鎮守幷ニ先祖祭典日トス、
但、冠婚喪祭其他病気及災厄ニ罹リタルトキハ此限ニアラス、
第四条 常務ノ業ニ於テ若シ間隙ヲ来タスカ如キコトアルトキハ、兼業ヲ求メ徒ニ空手遊逸スヘカラス
第二章 倹節
第五条 冠婚ハ隣家親属、葬祭ハ組合親属ヲ以テ相営ミ、饗応ハ一汁一菜ヲ限ル、
但本条ヨリ省略スルハ随意タルヘシ、
第六条 衣服ハ総テ綿布ヲ用ヒ、且ツ虚飾ニ属スル物品ハ決シテ身ニ着クヘカラス、
但従前調ヘアル物品ハ之ヲ使用スルコトヲ得ヘシト雖トモ、勿論新調スルコトヲ禁ス、
第七条 金銀珠玉細工ノ烟叫入(たばこいれ)、烟管(きせる)、釼其他鼈甲櫛笄等一切之ヲ用ユヘカラス、但書前条ニ同シ、
第八条 日用食物ハ力(つと)メテ費用ヲ節倹シ、驕奢ニ渉ルヘカラス、
第九条 初節句、紐解祝等ノ節、祝儀又ハ祝儀返シト称ヘ物品ヲ贈答スルハ隣家親属ニ限ル、米搗、粉挽、餅搗等他人ヲ労スヘカラス、若シ止(やむ)ヲ得サル場合ニ於テハ隣家親属ノ内ヲ以テ適宜ニ依頼スヘシ、
但隣家親属ノ贈リ物ト雖トモ、謝絶シテ節省スルハ随意タルヘシ、
第十条 前条ノ節用ユル餅籠ハ円径二尺以内、饗応ハ一汁一菜ニ限ル、
第十一条 分娩ノ節、児子見舞又ハ三ツ目祝ト唱へ、物品ヲ贈答スルコトヲ禁ス、
但隣家取揚ヲ為タルモノハ此限ニアラス、
第十二条 親属ニ於テ帯立、初節句、紐解祝及葬祭等之アル節、応分ノ贈リ物ヲナスハ随意タルヘシト雖トモ、俵物行器等贈遣スルコトヲ禁ス、
第十三条 婚姻ノ節、旧習ニ因リ名披露ト称シ村内ヲ廻勤、及葬儀ヲ行フ節、礼服着用スル事ヲ禁ス、
第十四条 葬儀ヲ行フ節、組合ノ者へ酒食出スヘカラス、若シ一飯ヲ出サントスル者ハ村吏ニ申立ヘシ、村吏ハ時宜ニ依リ其申立ヲ許否スルコトヲ得、
第十五条 陰暦正月二十日村社祭典ノ費用ハ、従前以来ノ聚米ヲ以テ限トシ、足賄スヘカラス、
(中略)
第三章 貯蓄
第二十条 貯蓄ハ応分ノ力ニ任セテ為スヘキハ言ヲ竢(俟カ)タス、然レトモ自今村内一般ニナシ能サル事情アルヲ以テ、当分ノ内別紙名前ノ者共貯蓄シ、追テ一般ニ為スモノトス、
第二十一条 貯蓄ハ貯蓄主ノ内委員一名ヲ設ケ、委員ハ預方及払戻ノ事ヲ負担スルモノトス、
第二十二条 貯金ハ駅逓貯金預所へ預ケ付ヲ為スモノトス、
第二十三条 此貯蓄ハ明治十九年一月ヨリ向十ケ年実行スヘシ、
第二十四条 貯金額ノ等差及貯金払戻ヲ得ルノ手続、其他ノ方法ハ追テ一般ニ貯蓄スル時ヲ待、村内ノ協議ヲ以テ定ムルヘシ、
第四章 隣保相助
第二十五条 長病又ハ変災ニ罹リ一家ノ業務ヲ執ル能サルモノアルトキハ、相互ニ隣保相助ケ、家事百般ノ輔翼ヲナスヘシ、
第二十六条 第二十五条ノ災厄ニ陥リ農業耕耘ノ期節ヲ失ヒ、又ハ商機ニ遅ルル等ノ場合ニ於テハ、隣保申合セ必ス合力シテ損失勿ラシムヘシ、
第二十七条 私怨(欲カ)ヲ狭(挾カ)ミ隣保相助クルノ情誼ニ戻ルヘカラス、
右条々村内一同盟約ヲ結ヒ、必ス他日違反ナキヲ証明シ記名捺印候也、
明治十九年一月(以下連名、捺印ハ省略)
この内容は従来ともすれば先例や慣習にとらわれ、無駄な出費をしがちな点に着目して、後の「新生活運動」にさきがけ、明治十九年にこうした盟約を結んでいることは、大いに評価されるべきことであろう。こうした制約がどの程度実行に移されたか、具体的な記録はみられないが、貯蓄にしても委員を設けて実行の可能性をたかめ、この規約範囲以外のことをするにあたっては第十四条に見られるように、村吏の判断に任せるなど、アイデアもかなり豊富である。
また当町清名幸谷南区で明治二十六年十月につくられた「節倹盟約書」がある。これは全九条からなる簡単なもので、内容は次のようなものである。
節倹盟約書 清名幸谷南区所蔵
節倹盟約主意書
凡ソ古今ヲ問ハス人命ニ限リアリ、豊凶ニ数アリ、豈ニ能ク百年ノ寿ヲ保ツヲ得ン、豈ニ能ク十年ノ豊穣ヲ望ムヲ得ン、故ニ人ノ世ニ処スルニ当テハ種々務ムヘキ者アリト雖モ、就中務ムヘキモノハ衛生ト勤勉貯蓄等ヲ以テ急務中ノ急務ト云フモ、敢テ過言ニアラサルヘシ、然リ而シテ此ノ二ツノ物言フコト易クシテ行フコト難キハ、吾人々民ノ通則ナリトス、然レトモ何事ヲ論セス、一致協力ヨリ目的ヲ達スルニ善キハナシ、玆ニ明治二十六年如何ナル年ソ、十九年ニ亜(次カ)クノ旱害ヲ受ケ秋収ヲ減スル尠少ナラサル也、依テ是ヨリ以降二十七年秋量ヲ収ムルノ季即満一ケ年間、交際其ノ他ノ冗費ヲ省キ、艱難相助ケ、病患相憐ミ互ニ提携シ、互ニ安眠シ得ルノ資ヲ需ル為メ、左記ノ件々盟約ス、
第一条 紐解、帯祝、三ツ目、其他節物ノ祝賀等ヲ停止スルコト、
但内祝ハ此限リニアラス、
第二条 葬式ノ節ハ組長又ハ副組長ト協議ノ上諸事執行スルコト、
第三条 無謂聚集飲食スルヲ停止スルコト、
第四条 武射ノ飲食ヲ停止スルコト、
但収利アルモノハ此限リニアラス、
第五条 不急ノ工事ヲ見合スコト、
第六条 重物献酬ヲ停止スルコト、
第七条 二十三夜講飲食ヲ停止スルコト、
第八条 子安講飲食ヲ停止スルコト、
但収利アルモノハ此限リニアラス、
第九条 前八条ノ外、渾テ奢移(侈カ)ニ属スルモノヲ停止スルコト、
右遵守履行ヲ表スル為メ、一同署名捺印スルモノ也。
明治二十六年十月十日
(以下署名捺印省略)
当町の人びとが互に生活をきりつめ貯蓄に励み、近隣相互に助けあって生活をしていくということの大切さに目ざめた背景に、一体なにがあったのであろうか。それはこの清名幸谷南区の「節倹盟約主意書」の中に、「明治二十六年は十九年に亜くの旱害……」という記述が注目されよう。当時の人びとが生活を改めなければならないと認識する契機は、このような自然の災害であって、「次にこのようなことがおこったときに困らないようにするためにはどうしたらよいか。」という問題への解決策が、こうした一連の貯蓄、倹約の申し合わせとなったものであろう。
また生活の向上を求めるという面では、生産者の立場から互に協力しあう組織として、郡農会が明治三十年に結成され活動しはじめる。農会の発足は明治二十七年四月千葉県令第三十四号により農事の改良発達を促すための組織として結成された。その会則は次のようものであった。
山武郡農会々則 清名幸谷 中村昭家所蔵
第壱章 総則
第一条 本会ハ山武郡農会ト称ス、
第二条 本会ハ左記町村農会ヲ以テ組織ス、
東金町農会、公平村農会、源村農会、丘山村農会、大和村農会(中略)、瑞穂村農会、大網町農会、山辺村農会、増穂村農会、福岡村農会、白里村農会、豊海村農会、片貝村農会、正気村農会、豊成村農会、鳴濱村農会、成東町農会、日向村農会(以下略)
第三条 本会ハ農事改良発達ヲ図ルヲ以テ目的トシ、左ノ事業ヲ行フ、
一、農事ノ講習、試験、調査、統計、報告等ニ関スル件、
一、農事ニ関スル講話会、品評会、競技会、種苗交換会等ニ関スル件、
一、蚕業、畜産、園芸、其ノ他農家副業ノ発達ニ関スル件、
一、米麦作上ニ於ケル撰種改良、共同苗代、稲苗ノ正条植、及稲田ノ害虫並ニ麦黒穂駆除予防等ノ実行完成ニ関スル件、
一、堆肥、緑肥ノ改良普及及其ノ他肥料ノ供給ニ関スル件、
一、重要作物、果樹、蔬菜、家畜、家禽、蚕種、桑樹等改良ニ関スル件、
一、耕地整理、稲田ノ灌水及ビ二毛作ノ実行普及ニ関スル件、
一、牛馬耕、其ノ他良種農具ノ普及ニ関スル件、
一、種苗、蚕種、種畜、肥料、農具等ノ共同購買並ニ農産物ノ販売及肥料、土壌、農産品ノ分析依頼等ニ関スル斡旋ヲナスノ件
一 産業組合ノ普及ニ関スル件、
一、農業上功労アル者、又ハ精農者ヲ表彰スル件、
一、報徳ノ普及ニ関スル件、
一、農家風紀ノ改善、及勤勉貯蓄ノ奨励ニ関スル件、
一、右ノ外上級農会ノ指示事項、又ハ随時必要ト認メタル事項、
第四条 本会ノ事務所ハ之ヲ山武郡東金町山武郡役所内ニ置ク、
第五条 本会ハ総会ノ決議ヲ以テ名誉会員ヲ推薦スルコトヲ得、
第弐章 役員及職員
第六条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
会長 一名
副会長 一名
評議員 五名
幹事 二名
第七条 会長ハ会務ヲ総理シ本会ヲ代表ス、
副会長ハ会長ノ事務ヲ補佐シ、会長事故アルトキハ之ヲ代理ス、
評議員ハ会長ノ諮問ニ応ジ、及会務執行ノ状況ヲ監査スルモノトス、
幹事ハ会長ノ命ヲ承ケテ会務ヲ掌ル、
第八条 会長及副会長ハ代理者又ハ名誉会員中ヨリ、評議員ハ代表者中ヨリ総会ニ於テ撰挙ス、
前項ノ選挙ニ於テ投票最多数ヲ得タル者ヲ当選者トス、得票同数者アル場合ニハ、更ニ同一得票者ニ就テ投票ヲ行ヒ、尚得票同数ナルトキハ抽籤ヲ以テ之ヲ定ム、
(中略)
第参章 会議
第拾九条 総会ハ通常総会及臨時総会ノ二種トス、
通常総会ハ毎年一回一月又ハ二月之ヲ開ク、
臨時総会ハ会長ニ於テ必要ト認ムル時、又ハ代表者三分ノ一以上ノ同意ヲ以テ、会議ノ目的及招集ノ理由ヲ示シテ請求シタルトキ之ヲ開ク、
第弐拾条 総会ノ招集ハ其ノ時日、目的及場所ヲ定メ、書面ヲ以テ少クモ三日前ニ之ヲ通知スルモノトス、
以下第四章会費及財産、第五章処(庶カ)務及会計、第六章解散、第七章附則とあるが、全文第四拾一条までを省略する。
次に実際に農会がどのような事業を一年間に実施しているか、その具体例の概要を次にあげる。
明治三十九年度施設(農会)事業方法書
一、農事及蚕事講習所ノ開設、
説明、前年度ニ準シ町村農会ノ申請ニヨリ、上記ノ講習所ヲ開設シ、当業者ノ知識ヲ発達セシメ、以テ根本的農蚕業ノ改良普及ヲ図ラントス、
二、高等農事講習会ノ開設
説明、前項普通ノ講習ヲ了シタル者、及之ト同等以上ノ知識アル農家ヲシテ漸次諸種ノ農理ヲ研究セシメ、以て斯業改善[ ][虫損]進ヲ希図スル為、上記ノ講習会ヲ開設セントス、
三、講話会及幻燈会ノ開催、
説明、普通講話及婦人講話会ヲ開催スルノ外、農蚕業ニ関スル幻燈会ヲ開催シテ、一般当業者ニ簡易ナル農理ヲ授ケ、以テ励行ヲ期スル事項ノ普及ヲ図ラントス、(以下項目のみをあげる)
四、米麦作ノ改良及奨励、
五、果実、蔬菜、繭、生糸、及醸造用大麦品評会ノ開催(農産製造品)、
六、指定種苗所ノ設置、
七、農事調査、
八、醸造用大麦栽培ノ奨励、
九、耕地整理実行普及ノ奨励、
十、稲作害虫駆除実行普及ノ奨励、
十一、米麦作立毛品評会及堆肥、緑肥、桑園品評会開催ノ奨励、
十二、農友会ノ活動ヲ図ルコト、
十三、蚕業三要項実行ノ奨励、
十四、種苗交換会ノ開催、
十五、右ノ外随時必要ト認メタル事項、
米麦作改良表彰規程
第壱条 米麦作改良事項中、一般農家ヲシテ左ノ項目ヲ励行セシメ、本会ニ於テ毎年一回米麦作改良成績表彰式ヲ行フモノトス、
米作ノ部
一、塩水撰種
種籾ハ一定ノ比重ヲ有スル塩水及苦塩水ニテ撰別シ、其ノ浮ベルヲ去リ、沈メルヲ撰シテ善良健全ナルノミヲ種子トナスニアリ、塩水ノ度ハ稲ノ種類ニヨリ異ナルト雖モ、大約左ノ標準ニ拠ルモノトス、
粳類ハ比重一、一三(水一斗ニ食塩四升ヲ溶シタルモノ、若クハ苦塩汁ニ等容量ノ水ヲ加テ稀釈シタルヲ)タルコト、糯種ハ比重一、一〇(水一斗ニ食塩三升程ヲ溶カシタルモノ、若クハ苦塩汁四升ニ水六升ヲ加ヘテ稀釈シタルモノ)タルコト、
二、短冊形苗代
短冊苗代ニ播種ノ均一ヲ計リ、発芽後管理及病虫害ノ駆除予防ニ便ナラシムルニアリ、即チ長サハ適宜トシテ[ ][虫損]四尺以内トシ、苗床ノ境界ヲ八寸余トナスコト、
三、正条植
正条植ハ挿秧後、通風、除草及害虫駆除等ニ便ナラシムルニアリ、即チ地味ニ応シ植付クヘキ株数ニ準シ、目標ヲ付ケタル縄又ハ定規竿等ヲ用ヒ、縦横直線ニ挿苗スルコト、但シ土地ノ状況ニヨリ一方ノミ正条ナラシムルコトアルベシ、
四、共同苗代
苗代ヲ各所ニ散在セシムルヨリモ、適当ナル場所ニ共同設置スル方播種後ノ管理上、並ニ害虫ノ駆除予防上多大ノ利益アリ、乃ツテ当業者共同シテ一ケ所ニ一反歩以上集合設置スルモノトス、
麦作ノ部
(以下略)
こうしてみると、農会のしごとは、当町のように農業がさかんであった地域に於ては、その事業が地域の人びとに密着し、先導的な農業技術の普及に大いに尽力していることがわかる。農会は郡単位の組織ではあったが、はじめに記したように、下部に各地域(町村単位のもの)に農会があり、すぐれた農業技術の普及につとめていたことがわかる。
次に郡農会がどんな事業にどのような経費を投入していたか、山武郡農会の明治三十九年度予算書があるので、次に掲載しておくことにする。
歳 出 之 部 | |||||
科 目 | 本年度予算額 | 前年度予算額 | 比 較 | 説 明 | |
増 | 減 | ||||
第一欵 事務所費 | 円 一 、〇八八 四〇〇 |
円 一 、〇四三 〇〇〇 |
円 四五 四〇〇 |
||
第一項 役員報酬 | 三〇 、〇〇〇 | 三〇 、〇〇〇 | |||
第二項 職員給料 | 六九六 、〇〇〇 | 六八四 、〇〇〇 | 一二 、〇〇〇 | 技術員給料五四〇円 書記給料 一五六円 |
|
第三項 旅費 | 二三六 、九〇〇 | 二三九 、〇〇〇 | 二 、一〇〇 | 別記ニテ説明ス | |
第四項 備品消耗品費 | 八〇 、〇〇〇 | 六〇 、〇〇〇 | 二〇 、〇〇〇 | 別記ニテ説明ス | |
第五項 雑給 | 三 、五〇〇 | 三 、〇〇〇 | 五〇〇 | 臨時小使給十日分一日三五銭 | |
第六項 雑費 | 二 、〇〇〇 | 二 、〇〇〇 | 概算 | ||
第七項 印刷費 | 四〇 、〇〇〇 | 二五 、〇〇〇 | 一五 、〇〇〇 | 農事改良ニ関スル時報並ニ注意書其ノ他諸印刷ニ要スル諸費 | |
第二欵 会議費 | 一六 、〇〇〇 | 一九 、〇〇〇 | 三 、〇〇〇 | ||
第一項 総会費 | 一六 、〇〇〇 | 一九 、〇〇〇 | 三 、〇〇〇 | 別記ニ説明ス | |
第三欵 事業費 | 四九九 、〇〇〇 | 三八六 、〇〇〇 | 一一三 、〇〇〇 | ||
第一項 講習費 | 一七八 、〇〇〇 | 一四四 、〇〇〇 | |||
一 、農事講習 | 一一二 、〇〇〇 | 一三八 、〇〇〇 | 二六 、〇〇〇 | 別記ニテ説明 | |
二 、蚕事講習 | 六 、〇〇〇 | 六 、〇〇〇 | 二ヶ所開設分一ヶ所雑費三円ヅツ | ||
三 、高等講習 | 六〇 、〇〇〇 | ― | 六〇 、〇〇〇 | 講師費四十五円 会場費十円 雑費五円 | |
第二項 講話費 | 二五 、〇〇〇 | 二五 、〇〇〇 | 講師招聘費金十五円 会場諸費金十円 | ||
第三項 調査費 | 二〇 、〇〇〇 | 五 、〇〇〇 | 一五 、〇〇〇 | 農事調査二要スル印刷費概算 | |
第四項 技芸委員費 | 二一 、〇〇〇 | 二八 、〇〇〇 | 七 、〇〇〇 | 技芸委員出張手当延日数 三十日一日金七十銭ヅツ | |
第五項 種苗改良費 | 六五 、〇〇〇 | 五 、〇〇〇 | 六〇 、〇〇〇 | 別記ニテ説明 | |
第六項 表彰費 | 五〇 、〇〇〇 | 三四 、〇〇〇 | 一六 、〇〇〇 | 米麦作改良篤農家等表彰費概算 | |
第七項 品評会費 | 一四〇 、〇〇〇 | 一四五 、〇〇〇 | 五 、〇〇〇 | 別記ニテ説明 | |
第四欵 会報費 | 三一 、〇〇〇 | 三一 、〇〇〇 | |||
第一項 会報発行費 | 三〇 、〇〇〇 | 三〇 、〇〇〇 | 会報百五十部代一部 金廿銭ヅツ | ||
第二項 会報配付費 | 一 、〇〇〇 | 一 、〇〇〇 | 会報五十部郵送費一部 二銭ヅツ | ||
第五欵 補助費 | 一七一 、〇〇〇 | 一九一 、〇〇〇 | 二〇 、〇〇〇 | ||
第一項 町村農会補助費 | 九六 、〇〇〇 | 九六 、〇〇〇 | 一ヶ村金三円ヅツ 三十二ヶ町村分 | ||
第二項 農友会補助費 | 二五 、〇〇〇 | 二五 、〇〇〇 | 山武郡農友会へ補助 | ||
第三項 町村品評会補助費 | 五〇 、〇〇〇 | 七〇 、〇〇〇 | 二〇 、〇〇〇 | 別記ニテ説明 | |
第六款 負担金 | 二〇〇 、〇〇〇 | 二〇〇 、〇〇〇 | |||
第一項 県農会負担金 | 二〇〇 、〇〇〇 | 二〇〇 、〇〇〇 | |||
第七款 雑支出 | 二二 、〇〇〇 | 六七 、七八八 | 四五 、七八八 | ||
第一項 職員退職金 | 二 、〇〇〇 | 二 、〇〇〇 | |||
第二項 基本金積立金 | 二〇 、〇〇〇 | 一七 、九〇〇 | 二 、一〇〇 | ||
( 以 下 略 ) | |||||
合 計 | 二 、〇七七 、四〇〇 | 一 、九八六 、六六二 | 九〇 、七三八 | ||
また『山武郡郷土誌』により、発足から明治期の農会の活動状況をみると、次のように要約される。
明治32年 | 農業講習会の発足 |
〃 33年 | 藺草の栽培、耕地の整理、害虫駆除、 |
〃 34年 | 農友会を中心に農事改良依頼とその表彰、養蚕巡廻教師を招き蚕業に関する講話を実施 |
〃 35年 | 農事に関する現況調査実施 |
〃 36年 | 普通農事、養蚕、馬耕の講習、 |
〃 37年 | 農商務省より技師を招き柑橘栽培の講習 |
〃 38年 | 耕地整理に関する講話実施 |
〃 39年 | 報徳主義に関する講話実施 |
〃 40年 | 県農会の指示をうけ水田二毛作実行の奨励 |
〃 41年 | 暗渠排水施設、及家禽改良の奨励と農村婦女子に玉繭繰糸及真綿製造の技術普及をはかる、 |
〃 42年 | 戊申詔書の聖旨を拝し農家における道徳及経済に関する思想養成の目的で、内務省より中川書記官、長野県の飯島幾太郎氏を招き講話を聞く、 |
〃 43年 | 愛知県農林学校長山崎延吉氏を招き、自治民風に関する講習会を開催、海上郡の人越川善七氏を招き、堆肥製造の講習会開催、 |
〃 44年 | 各種品評会を実施、郡外農事視察団を派遣、 |
〃 45年 | 麦作の改良、水田の排水、米穀俵装の改良、緑肥栽培法の奨励 |
このように郡農会は、農業技術の改良やすぐれた技術の普及に、単に農業に従事するもののみではなく、後継者たる小学校児童にまで実習に参加せしむるなど、多角的な活動を展開している。
この後大正時代に入り米価下落の危機に直面したとき、県庁の記録は次のように記している。
米価下落ノ影響及救済方法 県庁所蔵 郡役所引継文書
山武郡
○影響
一、米価下落ニ反シ他ノ物資ハ倍々騰貴ノ為農民漸ク困憊ノ傾向アリ、
二、耕地ニ対スル施肥ノ減量ヲ来タセルト、耕地整理組合等ノ起業ニ係ル分賦金ノ未納者多キカ如キハ、其ノ影響ノ著シキヲ示セリ、
○救済方法
一、農家副業ノ奨励
養蚕、養鶏、果樹又ハ椎茸ノ栽培、ワラ細工等、町村ノ事情ニ応シ選奨シ、又廃物ヲ利用シテ所謂副業的ニ一家ニ一豚ノ飼育セシメハ、容易ニ自給肥料ノ増殖ヲ為スヘシ、
二、農業倉庫ノ設置
農業倉庫ヲ設ケテ収穫物ヲ収容シ、相当歩合ノ金融ヲ為シ、市価ノ騰貴ヲマタシム、
三、産業組合ヲ設ケ資金ノ増給、
地主及小作人ヲ網羅シタル産業組合ヲ設ケ、資金融通ト購買販売ノ事業ヲ兼営セシメ、其基礎鞏固ナルモノニハ一層低利資金ヲ増給シテ、益々生産ノ増加ヲ図ラシム、
こうして現在の農業協同組合の元祖のような産業組合が誕生するのである。また一方では耕地整理事業のような改良事業も着々と進展していった。
当時の耕地整理事業について次にその実態をみていくことにする。
この耕地整理の目的は耕地を整理して、生産物の改良増収をはかることを主目的として実施するのであるが、実行は大変むずかしいことであった。
千葉県では県農会が明治三十二年模範耕地整理補助規程を設けて其の実行を促進したるに始まり、其の後県当局も大に斯業の督励を行い、明治三十九年この事業は県営に移管されることになったと『山武郡郷土誌』は記している。
また当町関係の耕地整理の状況をみると表26・27にみられるように、大正期には福岡村長国地区の耕地整理事業が実施された。
郡 名 地 區 名 |
地區 総面積 | 内、田、畑、 其ノ他面積 |
工事費豫算 其他一切ノ 費用豫算 |
田、畑、 其他反當 豫算 |
發起、施行 認可年月日 |
組合設立 組織變更 認可年月日 |
工事着手 工事完了 換地處分濟 登記濟 以上年月日 |
記 事 |
山武郡 豊岡村地區 |
158・7215 | 124・5328 2・5014 27・0211 |
17,339・737 ― |
11・255 | 35・ 6・ 3 35・ 7・ 8 |
― ― |
36・ 3・ 5 4・ 4・ 3 ― ― |
工事完了 溜池設置 |
仝 豊岡村蕪木地區 |
48・2618 | 36・8623 1・3326 7・7421 |
3,735・310 ― |
8・128 | 38・ 8・28 38・12・14 |
― ― |
39・ 1・10 4・ 6・30 ― ― |
工事完了 |
仝 成東町板付地區 |
33・3912 | 28・4710 ・0517 3・6926 |
1,986・530 ― |
6・194 | 38・ 9・12 39・ 2・ 5 |
― ― |
39・ 3・15 ― ― ― |
工事中 |
仝 成東町大富村聯合地區 |
84・0816 | 68・6212 1・9822 7・7927 |
5,550・670 ― |
7・079 | 38・ 9・23 38・12・13 |
― ― |
39・ 1・31 ― ― ― |
工事中 溜池設置 |
仝 源村地區 |
122・4111 | 97・5106 ・8020 16・2113 |
10,795・957 ― |
9・426 | 39・12・26 40・ 2・19 |
― ― |
40・ 3・20 4・11・ 5 ― ― |
工事完了 仝 |
仝 福岡村東中島地區 |
33・8806 | 14・4513 8・9713 6・1505 |
2,562・900 ― |
8・664 | 40・ 5・16 40・ 6・ 7 |
― ― |
40・ 7・11 2・ 3・10 ― ― |
工事完了 |
仝 福岡村西中地區 |
87・5914 | 49・4416 17・3527 16・9402 |
5,379・557 390・348 |
6・890 | 40・ 7・22 40・10・10 |
― ― |
40・11・25 ― ― ― |
工事中 溜池設置 |
仝 福岡村長國地區 |
69・8226 |
33・4308 14・6710 17・8210 |
6,349・804
― |
9・631 |
40・ 8・28 41・ 1・14 |
― ― |
41・ 2・24 ― ― ― |
工事中 |
仝 小松 緑海村松ヶ谷組合 |
307・3527 | 131・5114 103・9214 54・5724 |
20,548・666 ― |
7・085 | 41・ 6・30 41・ 9・ 5 |
― 44・12・19 |
42・ 2・19 4・ 2・ 1 ― ― |
第一工區換地處分認可濟、堰設置 |
仝 大富村地區 |
339・7806 | 236・9520 51・4828 37・4107 |
26,019・316 ― |
7・985 | 41・12・26 ― |
― ― |
― ― ― ― |
工事未着手 |
仝 縁海村井之内組合 |
189・7724 | 96・5303 57・7024 22・3107 |
25,028・122 ― |
14・176 | 42・ 3・16 42・ 4・28 |
― 44・12・21 |
42・ 6・ 1 5・ 1・27 ― ― |
工事完了 溜池修築 |
仝 緑海村松ヶ谷南部組合 |
232・8311 | 102・2118 65・0518 52・8400 |
19,563・236 ― |
8・892 | 42・ 8・ 4 42・12・ 8 |
― 44・12・15 |
43・ 1・ 4 ― ― ― |
工事中 |
仝 作田 嗚濱村本須賀組合 |
107・7218 | 72・6724 25・6917 4・8128 |
10,667・738 ― |
10・338 | ― ― |
43・ 4・ 8 ― |
43・12・17 ― ― ― |
仝 |
仝 大總村谷台組合 |
30・8413 | 27・3817 2・2309 ・0810 |
1,595・255 ― |
5・371 | ― ― |
44・ 8・17 ― |
44・12・10 3・11・25 5・ 5・ 6 ― |
換地處分認可濟 |
仝 東部聯合組合 |
2,729・1301 | 1,211・2324 871・4713 458・0905 |
288,708・895 ― |
11・363 | ― ― |
44・12・22 ― |
45・ 3・ 2 ― ― ― |
工事中、揚水機設置、原野開墾ノ目的 |
仝 南郷鳴濱聯合組合 |
118・7615 | 55・6310 48・9617 7・8109 |
10,135・457 ― |
9・017 | ― ― |
元・12・ 7 ― |
元・12・24 ― ― ― |
工事中 |
仝 松尾町八田組合 |
155・2306 | 126・1509 11・8205 11・3402 |
24,452・844 ― |
16・377 | ― ― |
3・11・14 ― |
― ― ― ― |
工事未着手 |
仝 大總村坂田組合 |
198・6522 | 102・6727 32・8612 12・4406 |
40,272・267 ― |
27・214 | ― ― |
3・11・17 ― |
4・ 8・10 ― ― ― |
工事中、溜池設置並揚水機設置 |
計(十八ヶ所) | 歩 5,048・2921 |
歩 田 2,616・2322 畑 1,378・9306 其他 765・1303 |
厘 520,692・261 390・348 |
厘 11・086 |
發 施 |
発起又は 設立認可 年度 |
合 計 | 工事未着手 | 工事中 | 工事完了 | 換地処分済 | 登記済 | 事業終了 | |||||||
地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | 地 区 数 |
面 積 | |
明治34年度 |
4 |
歩 305・1024 |
― |
歩 ― |
1 |
歩 107・2316 |
― |
歩 ― |
― |
歩 ― |
― |
歩 ― |
3 |
歩 195・8708 |
明治35年度 | 3 | 400・1801 | ― | ― | 1 | 212・1224 | 1 | 158・7215 | 1 | 29・3222 | ― | ― | ― | ― |
仝 36年度 | 7 | 591・6227 | ― | ― | 2 | 98・5819 | 1 | 145・9808 | ― | ― | 4 | 347・0600 | ― | ― |
仝 37年度 | 7 | 1,448・5003 | 1 | 942・7805 | 2 | 127・2318 | 1 | 57・3420 | ― | ― | 2 | 284・1222 | 1 | 37・0028 |
仝 38年度 | 8 | 717・6006 | ― | ― | 5 | 497・2820 | 1 | 48・2618 | ― | ― | 1 | 163・4927 | 1 | 8・5501 |
仝 39年度 | 6 △ 6 |
478・3114 | ― | ― | 2 | 328・0719 | 1 |
122・4111 | ― | ― | 1 | 27・8214 | ― | |
仝 40年度 | 7 | 790・5711 | 1 | 96・7111 | 4 | 378・2822 | 1 | 33・8806 | 1 | 41・1401 | 1 | 240・5501 | ― | |
仝 41年度 | 8 | 1,769・6527 | 2 | 457・6215 | 3 | 449・0221 | 1 △2 |
657・9306 | △ 4 | 205・0715 | ― | ― | ― | |
仝 42年度 | 12 △ 2 |
1,375・9423 | ― | ― | 3 | 1,050・5223 | 1 | 62・1807 | 2 | 119・3907 | 1 | 143・8416 | ― | |
仝 43年度 | 6 | 1,589・2517 | ― | ― | 6 | 1,433・6429 | 1 | 124・8428 | 1 | 30・7520 | ― | ― | ― | |
仝 44年度 | 2 | 4,899・5517 | ― | ― | 8 | 4,682・1608 | △1 | 7・7718 | 3 △ 1 |
180・3821 | 1 | 29・2300 | ― | |
仝 45年度 大正元年度 |
4 | 663・0921 | 1 | 10・9717 | 3 | 520・3721 | ― | ― | ― | 107・8001 | 1 | 223・9212 | ― | |
大正 2年度 | 2 | 108・0010 | ― | ― | 1 | 29・1127 | ― | ― | ― | 78・8813 | ― | ― | ― | |
仝 3年度 | 4 | 446・8509 | 1 | 155・2306 | 2 | 289・2512 | ― | ― | ― | ― | 1 | 2・3621 | ― | |
仝 4年度 | 9 | 266・4029 | ― | ― | 9 | 266・4029 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | |
仝 5年度 | 13 | 1,969・7202 | 7 | 1,115・2926 | 6 | 854・4206 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― | |
計 | 108 △ 8 |
17,818・4101 | 13 | 2,778・6220 | 58 | 11,323・7814 | 9 △3 |
1,419・3517 | 10 △ 5 |
792・7810 | 13 | 1,262・4223 | 1 | 241・4307 |
次に蚕業組合に関してふれておこう。現在養蚕といっても、どこにそんなしごとがあるかと思う人も多いが、千葉県の県北一帯は関東の養蚕地帯のひとつであった。
大正十三年三月刊行の『千葉県之繭市場』(千葉県内務部)に次のように記されている。
『千葉県の繭市場』
千葉県の繭といへば……悪い繭……上一格の繭……と連想せしめたのは昔のことで、現今の産繭は数年以来目覚しい進歩を見せて、過去の面影は想像さへできぬくらいであります。
県下を通しての年産額は約百五十万貫で、其内春繭は凡そ六割を占めております。
(中略)
千葉県の公認繭取引市場の位置及び名称
No. | 名 称 | 通 称 | 所 在 地 | 順 路 |
1 | 有限責任 匝瑳郡販売購買利用組合 | 八日市場繭市場 | 匝瑳郡八日市場町 | 総武線八日市場駅より四丁 |
2 | 〃 長生郡販売購買利用組合 | 茂原 〃 | 長生郡茂原町 | 長生郡茂原訳前 |
3 | 〃 販売購買利用組合北総社 | 旭町 〃 | 海上郡旭町 | 総武線旭町駅より四丁 |
4 | 〃 夷隅郡販売購買利用組合 | 長者町 〃 | 夷隅郡長者町 | 外房線長者町駅前 |
5 | 〃 香取郡中部販売購買利用組合 | 栗源 〃 | 香取郡栗源町 | 総武線八日市場ヨリ四里半 成田線佐原駅ヨリ二里半 |
6 | 〃 香取郡東部販売購買利用組合 | 府馬 〃 | 香取郡府馬村 | 総武線旭駅ヨリ二里半 成田線佐原駅ヨリ五里 |
7 | 〃 山武郡販売購買利用組合 | 東金 〃 | 山武郡東金町 | 東金線東金駅前 |
8 | 〃 酒々井販売購買利用組合 | 酒々井 〃 | 印旛郡酒々井町 | 成田線酒々井駅ヨリ十丁 |
9 | 〃 大網農産市場株式会社繭市場 | 大網 〃 | 山武郡大網町 | 外房線大網駅ヨリ三丁 |
10 | 〃 株式会社神崎繭糸市場 | 神崎 | 香取郡神崎町 | 成田線郡駅ヨリ十丁 |
表28をみると、大正十二年で県下に十か所の繭市場があり、山武郡内には当町と東金と二か所もあることがわかる。香取郡が三か所あり次が山武郡の二か所であることから、当町を含む山武郡と香取郡は養蚕の盛んな地域であったといってよいであろう。
大網と神崎は株式会社組織で繭市場を開設し、他は総て産業組合組織で成りたっている。売り方も買い方も相互に信頼しあい、取引上の間違いがなく安心して売買することができるように、意図して設置されたのがこの繭市場であった。
繭市場には、役員がおかれ、その市場の運営や信用の保持につとめた。
当町に関係のある山武郡販売購買利用組合と大網農産市場株式会社繭市場の役員氏名とその構成を次に掲げておくことにする(表29・30・31)。
役職 | 氏 名 | 住 所 | 役職 | 氏 名 | 住 所 |
組合長 | 布施亀吉 | 山武郡南郷村上横地三、二六四 | 理事 | 篠原蔵司 | 山武郡東金町堀上 |
理事 | 児保春蔵 | 〃 正気村関下三四八 | 〃 | 早尾千城夫 | 〃 大富村早船 |
〃 | 小川熊太郎 | 〃 豊海村宿一、七六六 | 〃 | 伊藤彦蔵 | 〃 横芝町横芝一、三八八ノ三 |
〃 | 広森安蔵 | 〃 東金町東金一、〇一六 | 監事 | 行方哲次 | 〃 大総村谷台四〇五 |
〃 | 小倉直太郎 | 〃 豊成村中野二三八 | 〃 | 滝川原司 | 〃 蓮沼村イニ二七六 |
〃 | 板倉幸作 | 〃 増穂村清名幸谷七七六ノ一 | 〃 | 秋葉谷太郎 | 〃 成東町板附三三〇 |
〃 | 大塚直英 | 〃 片貝村田中荒生九七三 | 〃 | 高宮藤右衛門 | 〃 東金町押堀四一四 |
〃 | 今関松之助 | 〃 鳴浜村本須賀二、二一二 | 〃 | 白井藤吉 | 〃 土気本郷町下大和田八七五 |
〃 | 鈴木詳英 | 〃 睦岡村埴谷一三三 | 〃 | 大木仲太郎 | 〃 正気村幸田 |
〃 | 木川新 | 〃 二川村小池三〇七 | 〃 | 内木熊太郎 | 〃 丘山村小野 |
〃 | 岩崎藤三郎 | 〃 公平村姫島九二三 | 以 上 | ||
〃 | 中村昌衛 | 〃 福岡村砂古瀬五八一 |
役職 | 氏 名 | 住 所 | 役職 | 氏 名 | 住 所 |
取締役 社長 |
中田治世 | 山武郡山辺村大竹四二〇 | 監査役 | 石井治聡 | 山武郡土気本郷町下大和田四九 |
同 常務 |
清水九五 | 〃 大網町大網六九〇 | 同 | 小川正八 | 〃 増穂村柿餅 |
取締役 | 板倉幸進美 | 〃 大網町大網三二四 | 同 | 滝口八十司 | 〃 山辺村金谷郷二、五二二 |
同 | 板倉義郎 | 〃 大網町大網二七五 | 以 上 | ||
同 | 白井直三郎 | 〃 土気本郷町下大和田 |
シーズン 市場名 |
春 | 秋 | 晩 秋 |
(出盛順) | 開 設 期 間 | 開 設 期 間 | 開 設 期 間 |
長者町繭市場 | 5月26日~6月 6日 | 8月26日~8月29日 | 9月12日~9月23日 |
茂原 〃 | 5.27 ~6. 8 | 8. 9 ~8.15 | 9.12 ~9.18 |
東金 〃 | 5.28 ~6. 8 | 8.11 ~8.24 | 9.16 ~9.19 |
大網 〃 | 5.28 ~6.10 | 8.17 ~8.23 | な し |
旭町 〃 | 5.30 ~6.11 | 8.16 ~8.30 | 9.16 ~9.27 |
八日市場〃 | 5.30 ~6.13 | 8.15 ~8.27 | 9.15 ~9.30 |
酒々井 〃 | 6. 5 ~6.13 | 8.21 ~8.30 | 9.21 ~9.26 |
栗源 〃 | 6. 5 ~6.19 | 8.19 ~8.31 | 9.19 ~10. 4 |
神崎 〃 | 6. 6 ~6.18 | 8.21 ~8.29 | 9.13 ~9.28 |
府馬 〃 | 6. 6 ~6.20 | 8.26 ~9. 2 | 9.17 ~9.26 |
なお、このような養蚕農家を組織化したものは当町旧町村にも設けられている。当町増穂地区にはかって「山武郡増穂村清名幸谷蚕業組合」(明治四十一年設立)の例があるので、次にその規約を掲げる。
山武郡増穂村清名幸谷蚕業組合規約 清名幸谷 中村昭家所蔵
第一条 本組合ハ組合員一致協同シテ、県農会ノ指示ニ基キ第七条ニ定ムル改良事項ヲ励行シ、利益ノ増進ヲ計ルヲ以テ目的トス、
第二条 本組合ハ山武郡増穂村清名幸谷蚕業組合ト称シ、事務所ヲ同村同大字 番地ニ置ク、
第三条 本組合ハ山武郡増穂村大字清名幸谷区域内ニ於ケル養蚕者ヲ以テ組織ス、
第四条 本組合ハ県農会及郡農会ノ監督ヲ受クルモノトス、
第五条 本組合ニ組長一名、副組長一名、幹事六名ヲ置キ、其任期ハ各二ケ年トス、補欠ノ為、選挙セラレタル正、副組長及幹事ノ任期ハ前任者ノ残任期間トス、
第六条 組長、副組長及幹事ハ組合員ノ互選トス、組長ハ組合ヲ総理シ、副組長ハ組長ヲ助ケ組長事故アルトキハ之ヲ代理ス、幹事ハ組長ノ指揮ヲ受ケ、庶務ニ従事ス、
第七条 本組合員タルモノハ左記蚕業改良要項ヲ実行スルモノトス、
一、桑園ノ改良増殖ニ関スルコト、
二、飼育法及上蔟法ニ関スルコト、
三、生産物及必要品ノ販売及購入ニ関スルコト、
四、屑繭ノ整理ニ関スルコト、
五、蚕種ノ改良及保護ニ関スルコト、
六、蚕病予防及駆除ニ関スルコト、
七、桑樹病虫害ノ予防及駆除ニ関スルコト、
八、勤倹貯蓄ニ関スルコト、
九、其ノ他必要ナル事項、
第八条 本組合内用桑ノ過不足ハ、組合員互ニ有無相需給スルモノトス、
第九条 本組合ハ毎養蚕期ニ於テ、繭売却代金ノ百分ノ一以上ヲ共同貯蓄スルモノトス、但シ共同貯蓄ノ方法ハ別ニ之ヲ定ム、
第十条 本組合ハ毎年一回以上学識経験アル蚕業家ヲ招聘シテ講習、又ハ談話会ヲ開催スルモノトス、
第十一条 本組合ハ養蚕教師ヲ雇聘シ、養蚕期中組合員各戸ニツキ巡回指導セシムルコトアルベシ、
第十二条 本組合ハ組合員ノ産繭ヲ蒐集シ、品評会ヲ開設スルコトアルベシ、
第十三条 本組合ノ経費予算及其徴収方法等ハ、総会ノ決議ニ依ルモノトス、
(以下第二十一条まであるが省略)
このような蚕業組合は単に増穂村の清名幸谷のみに存在したのではないことを付言しておきたい。それはたまたまこの地域のものが現存していたので引用したものである。当町域のほぼ全体がかつては養蚕がさかんな地域であった。その養蚕農家の利益の向上をはかる目的で、各区域にこうした地域がつくられたのである。
またこれと似た組織として旧大網町に大正ごろ(初期)大網糸繭商組合というものがあり、これは単に大網町内のみの組織ではなく、同町及び近在の同業者を以って組織し、組合加入者は約七十名、郡や県の監督のもとに繭買入の弊害の発生を防止し、一方ではすすんで養蚕農家に繭の品質の向上をはかるため、前記の蚕業組合と同様の活動をしていた。
一方、商業に関する組織も次第にできあがっていった。『大網案内』の記述するところによれば、大正の初期にすでに「大網商業組合」の活動が記されている。これは同町の主なる商家の団体で、そのもとは明治維新前の「住吉講」からはじまり、明治三十二年に「大網商業組合」と名を改めた。会員は大正五年の頃で七十名であった。会の活動としては毎年一回か二回の総会を開き相互の親睦を図るとともに、商行為上の改善点を討議し、運送店と運賃に関するとりきめを行い、会員の便益をはかり、講師を招いて商業上の講話を聞き、あるいは他町に出かけ商業の実態を視察し、新しい知識をとり入れて当町商業の発展に寄与せしめようと企図している。
これと部分的に似た性格をもっているものに「大網米穀商組合」がある。この設立のきっかけは房総鉄道が当地に開通したころ、明治三十年当時鉄道会社が取扱上横暴を極めたので、会社に対抗する必要に迫られて当町の米穀商十二名で組合を組織し、さらにこの組織を強化するため加藤国吉、古川久八の努力により千葉・山武・長生・夷隅四郡の同業者の協力を得て組織の強大化をはかった。後の「千葉県米穀商組合」のそもそもの濫觴の地は、山武郡大網町にあったといっても過言ではない。