二 町村会のしくみと活動

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 明治二十二年(一八八九)施行の町村制は、執行機関として町村長、議決機関として町村会、これを中心に町、村民が一致協力して、自分たちの住む町村の発展を推進させるというものであった。当時すでに、これを地方自治といっていた。
 大正八年に初版が刊行された守屋栄夫の『地方自治の精神』の中には、当時の地方自治の意味がくわしく書かれている。中でも「町村を構成する町村民は三つの精神をもつように徹底することが必要である。」として、次の三つをあげている。
 
 1 公共の精神、従来多くの人は学問があるか、地位があるか、若は財産を有するかしなければ公共の精神が発揮できないと考えていたが、これは大なる誤りである。学校の敷地の地均、道路の修繕、溝渠の浚渫等に自分の労力を提供することは公共の精神である。或事がらか町村の発展に役に立つかどうかは、町村の事情に依って異なるので一概には言えないが、提供宜しきを得るときは何事でも町村の為にならないものはない。従って公共の精神は老幼・男女・貧富・貴賤を問わず皆実現し得る精神である。
  また町村成立上必要なる最少限度の公共の精神として、三つあげられる。
  第一は、名誉職就任の義務である。名誉職就任の義務は町村の理想実現に必要なる精神的要素の提供である。即ち町村長であるとか、助役であるとか、或は町村会議員であるとかいうものは、町村の理想実現に必要な公共事業、其の他の事務を処理しなければならないから、学問があり徳望があり財産がある町村内第一流の人物がすすんでこれに当ることを欣快とするようでなければならない。もしそうしなければ町村の精神的要素が杜絶し、町村の活動が停滞せざるを得ないので、町村制は義務として之を強制し得る道を開いているのである。
 
 このほかに、第二として納税、その他の公課負担の義務とか、その第三に選挙の義務など、あげているがこれは省略する。
 
 2 協同の精神、自己以外に他人の存在を前提とし、其の力を信頼し、これと協力して目的の完成をたのしむということで、おれがおれがといって自分だけが常に大きな面をする人は協同の精神のない人であって、自分は勿論町村の為に全力を傾倒するが、自分だけが町村のことに骨をおっても円満なる発展は望めない。自分以外にも、まじめに町村の為を思い其の力を町村の為に捧げる人があることを信じ、其の衆力を合一することによって、始めて町村が円満な発達を遂げ其の理想が実現できるものであることを信じ、自分の力を出すと同時に他人にも力を出させ、これに信頼し、歩調を一にして進んで行く心持を協同の精神という……(以下略)
  協同ほど言うは易く行われ難いものはすくない、協同には三つの条件がある。第一は目的を同一すること、第二は分担を尊重すること、第三に協同の中心が確立することである。
   第一の目的を同一にするという面では、目的の同一に欠けるところが多い例が意外にある。町村会議員になったり、町村長になったりして、その地位権力を濫用して金(かね)もうけをしてやろうなどと悪い考えをおこしてみたり、あるいは自分の地区の利益を護るに汲々として公平の姿勢に欠けていたりするなど(中略)、
  自己の利害や、一党、一派、若は、一地域のみの為を考えているようでは、全くその本分を忘却したもので、協同の実はあげられない。
   第二 分担の尊重も行われない場合が多い、これは皆人目につくような役職につくことを希望するためで、互いに競争しあって、勝った者は得意であるが負けた者は不平があり、甚しきは江戸の仇を長崎で討つようなことが行なわれ、事務執行の妨害をするような者があらわれてくると、分担の尊重の如きは全く顧みられなくなる。町村は多数協同の力によって政治をやっていくので希望者は多くても配当される光栄の椅子はすくない、(下略)
   第三 中心人物の欠乏で、協同には、第一流の人物がその中心となって指揮号令することが最も必要である。しかし現実には一流の人物がすすんで町村長、その他重職につくことは比較的すくなく、協同の中心が確立せず十分な活動ができないのが現実である。
 
 3 自立の精神、自分の生活活動に必要なものは自分の力で之を獲得して他人の厄介にならない精神である。自分の生活に必要なものといえば際限はないが、大別すると、知識、道徳の精神的方面と健康及体力の身体的方面と、金銭財産の経済的方面とに三大別することができる。したがって自立の精神とはこの三方面に於て他人の厄介となることを潔しとしない精神をいうのである。しかし今の人びとは自立といえば経済的自立のようのみ解釈して、単に金銭面で人の厄介にならなければよいとだけ考えているのはあまりにもせまい見解で、借金しないことは、自立の精神に叶うことではある。又借金以外で他人の厄介になっているようではやはり自立の精神に欠けているといわなければならない。
  例えば無学文盲で全く手紙を書くことができないような人であれば、これも他人の厄介になることになり、やはり自立できない人ということになる、また読み、書き、そろばんが達者でも素行が修らず、父母、親類、友人の厄介になる人であれば、道徳上からみて自立のできない人となろう。経済上、精神上自立していたとしても、身体が悪るければ健康面からみて自立のできない人となろう。従って三者兼備するところに真の自立があるということになる。
  殊に町村は自治団体であって、自分の費用を以て、自分の選挙した機関により地方共同の福利を増進していくことを主眼とするものであるから、経費の点においても国であるとか、県であるとか、郡であるとかいう上級団体から援助を受けたり奨励金を受けるなど、その他いろいろの思惑的なことをしてもらうべきではない。(以下略)
 
 また守屋栄夫は本書の後半の部分で、「併ながら飜って一万二千の我が市町村の状況を見れば如何であろう。自治制が布かれて既に三十余年になるのであるけれども、協同輯睦して真に共同福利を増進することに努力している優良市町村は極めてすくない。内務省あたりで模範として表彰した町村でも、其の後漸次退歩して来るような傾きがあるばかりでなく、地方に於ては、しこれらを凌駕する新進の優良町村が起ってくる模様がないのはまことに残念である。(以下略)」と記している。
 では、私たちの住む大網白里町の旧町村での当時の地方自治の様子はどんなものであったのか。しらべてみると明治末期から大正期にかけての史料がなく実情を知ることは困難であった。わずかに旧大網町役場文書で大正十四年・十五年。昭和十一年の「議事関係文書編冊」が発見され、これにより当町の町会の様子を知ることができた。
 当時の町会の開催の具体的な情況は、この記録からよく理解できるであろう。
 
  大正十四年
   議事関係文書編冊       大網町役場
 ○第一七一号
     町会招集告知状
  会議日時 二月十七日 午後一時
  会議ノ場所 大網町役場
  会議ノ事件
   一、大正十二年度 大網町歳入出決算認定ノ件
   二、名誉職吏員報酬額ニ関スル件
   三、有給吏員給料額ニ関スル件
   四、町税賦課方法に関スル件
   五、町有財産繰入使用ニ関スル件
   六、大正十四年度 大網町歳入出予算議定ノ件
   七、第四区長選挙ノ件
   八、吏員(名誉職)退職承認ノ件
   九、同上ノ件(二)
   十、第五区長選挙ノ件
   十一、第九区長選挙ノ件
    右町村制第四十七条ニ依リ告知ス、
     大正十四年二月二十四日
                                大網町長  富塚慶三
    町会議員
              殿
 
 議案 第一号
   大正十二年度 大網町歳入出決算認定ノ件
   大正十四年二月二十七日提出
        大網町長 富塚慶三
    議決要領
 出席議員十名、質問応答ノ結果異議ナク認定セリ。
     (中略)
 町会会議録
 一、大網町長富塚慶三ハ大正十四年二月二十四日付ヲ以テ左ノ議件ニ付、同月二十七日午後一時本会ヲ大網町役場ニ招集ス。
     議件
     (省略)
 一、出席議員十壱名ニシテ其氏名着席番号左ノ如シ、
  一番 一日、二日 欠席
  二番 石野操一郎
  三番 田辺房吉
  四番 武内堯
  五番 伊藤勘次郎
  六番 板倉藤吉
  七番 渡辺秀蔵
  八番 河野粂三郎
  九番 鈴木茂三郎
  十番 麻生喜重
  十一番 土屋操
  十二番 岩佐春治(二十七日 二十八日 欠席)
 一、欠席議員左ノ如シ
   増田傅司
 一、議長 町長富塚慶三ハ午後三時議長席ニ着キ開会ヲ宣シ、且ツ町村制第五十八条第二項ニ依リ会議録署名者ヲ二名トシ、議長ノ指名ニ依リ定ムベキヲ満場ニ諮リ、全員ノ同意ヲ得テ左ノ如ク指名セリ、
    石野操一郎・麻生喜重
 一、議長 富塚慶三ハ第一号議案ハ決算議件ナルヲ以テ、町村制第百二十二条第五項ニ依リ、議長ニ年長議員田辺房吉ヲ指名シテ退席セリ、
 一、年長議員田辺房吉議長席ニ着キ、富塚慶三ハ番外席ニ着席セリ、
 一、議長 田辺房吉ハ之ヨリ第一号議案大正十二年度歳入出決算認定ノ件ノ第一次会ヲ開クベキ旨宣シ、議案ヲ配布シ且ツ書記ヲシテ朗読セシム、
 一、議長 田辺房吉 疑議アラバ質問セラレタシ、
 一、二番石野操一郎
    歳入雑種ノ増加セル理由如何、
 一、番外富塚慶三
    自転車ノ激増セル結果ナリ、
 一、十番麻生喜重
    貸地料五十銭減ハ如何、
一、番外富塚慶三
   予算編制ノ際切上タル為ナリ、
一、十番麻生喜重
   教育費中小学校需用費ニ予備費ヨリ多額ノ充用ヲナセルハ如何、
一、番外富塚慶三
   校長ヨリ提出セル予算ノ見積過少ナリシ結果ト思為ス、
一、七番渡辺秀蔵
   大正十二年度決算ニ対シ審重(ママ)調査ノ結果、適法ノモノナリト認ムルヲ、以テ第二読会ニ移ラント述ブ、
一、議長 七番説ニ付採決スルニ満場異議ナク、直チニ二読会ニ入ルニ決ス、
一、七番渡辺秀蔵
   本案審議ノ結果ハ確実ナリト認ムルヲ以テ、省略シテ確定議トナサント述ブ、
一、二番石野操一郎 一番説ニ賛成ト述ブ、
一、議長 七番説ニ付採決セシニ満場一致ヲ以テ本案ヲ認定セリ、
一、田辺議長 本案認定ニ決セル旨ヲ宣シ退席ス、
一、議長 富塚慶三
   然ラバコレヨリ第二号議案ヲ議スベシト宣ス、
一、七番渡辺秀蔵
   第二号議乃至第六号議案ハ予算案ニ付帯セル議案ニ付、一括シ議題トナシ予算案ヨリ審議スルヲ便宜トセント述ブ、
   賛成/\ ト呼ブモノアリ、
    (中略)
  書記議案朗読
一、議長 大正十四年度予算編製ニ際シテハ、当局ハ極力経費ノ節約ヲ計リタルモ、小学校舎増築、ガソリンポンプ購入費等アリテ相当膨張セリトテ、詳細ニ其内容ヲ説明ス、
一、二番石野操一郎
   本案ハ重大ナルヲ以テ慎重審議ノ要アリ、本日之ニテ休憩シ充分研究ノ上、明日更ニ審議セントノ動議ヲ提出ス、
   賛成/\ ト呼ブモノアリ、
一、議長 二番説ニ付採決セルニ、満場一致ヲ以テ之ニ賛成セルヲ以テ、直ニ散会ヲ宣ス、
 
一、二月二十八日午后二時再開
一、議長 前日ニ引続キ開会スベキ旨ヲ宣シ議事ニ入ル、
一、十番麻生喜重
   教員俸給ノ平均額ハ本郡中ノ何位ナリヤ、
一、議長 本郡ノ中位ナリ、
一、二番麻生喜重ハ土木費中、小中引水費ニ付テ質問、
  七番渡辺秀蔵ハ役場費、消粍品費等ニ付夫々質問、
    議長之ニ答ヘテ質問ヲ終ル、
    (以下略)
 
○第四十三号
   町会招集告知状
 会議日時 四月十八日午後一時
 会議ノ場所 大網町役場
 会議ノ事件
  一、学務委員三名選挙ノ件、
  二、土木委員六名選挙ノ件、
  三、臨時出納検査立会人三名選挙ノ件、
  四、伝染病予防委員三名選挙ノ件、
  五、小学校舎増築工事委員選挙ノ件、
  六、助役事務兼掌ニ関スル件、
    右町村制第四十七条ニ依リ告知ス、
     大正十四年四月十五日
                              大網町長 富塚慶三
     町会議員
               殿
 
 大正十四年 第三回大網町会々議録
  大網町富塚慶三ハ大正十四年四月十五日付ヲ以テ、左ノ議件ニ付同月十八日午后一時、本町会ヲ大網町役場ニ招集ス、
   議件(省略)
 一、出席議員十一名ニシテ其氏名着席番号左ノ如シ、
   一番 石野操一郎
   二番 麻生喜重
   三番 板倉幸進美
   四番 武内堯
   五番 大塚松之丞
   六番 島田正邦
   七番 渡辺秀蔵
   八番 中台京
   九番 梅沢嘉市郎
   十番 長井潔三
   十一番 川島琢
   十二番 欠席
 一、欠席議員左ノ如シ
   板倉源三郎
 一、議長 町長富塚慶三ハ午後二時議長席ニ着キ開会ヲ宣シ、且ツ町村制第五十八条第二項ニ依リ会議録署名者ヲ二名トシ、議長ノ指名ニ依リ定ムベキヲ満場ニ諮リ、全員ノ同意ヲ得テ左ノ如ク指名セリ、
   石野操一郎、麻生喜重
 一、議長 之ヨリ第一号議案学務委員三名ノ選挙ヲナサン、
 一、一番石野操一郎
   選挙ニ入ルニ先ケ左ノ動議ヲ提出ス、第一号議案学務委員三名ノ選挙、第二号議案土木委員三名ノ選挙、第三号議案臨時出納検査立会人三名ノ選挙、第四号議案伝染病予防委員ノ選挙、第五号議案小学校校舎増築工事委員ノ選挙ノ五案ヲ、一括シテ詮衡委員ヲ設ケ之ニ附託シ、其ノ詮衡ノ結果ヲ以テ選挙ニ代フベシト述ブ、
 一、二番麻生喜重ハ右ノ動議ニ賛成シ、且ツ詮衡委員ハ四名トシ、議長ノ指名ニ依リ定ムベシトノ動議ヲ提出ス、
   満場 賛成/\ ト呼ブ、
 一、議長 然ラバ満場ノ賛成ナルヲ以テ指名スベシトテ、左ノ通詮衡委員ヲ指名セリ、
    石野操一郎  麻生喜重
    川島琢  武内堯
 一、議長 然ラバ委員ハ別室ニ於テ委員会ヲ開カレタシト述ベ、且ツ委員会開会中ハ本会ヲ休憩スベシト宣ス、
 一、午後三時二十分議長再開ヲ宣ス、
 一、議長 只今詮衡委員ヨリ詮衡ノ結果ヲ報告アリタルヲ以テ、其ノ報告ニ基キテ指名スベシトテ左ノ通リ指名ス、
    指名 (別紙)
○学務委員
 石野操一郎、板倉幸進美、岩佐春治
○土木委員
  議員トシテ
 武内堯、長井潔三、大塚松之丞
  公民トシテ
 野崎太一郎、三木周助、河野粂三郎
○臨時出納検査立会人
 麻生喜重、川島琢、中台京、
○伝染病予防委員
  石野曻平 佐藤憲二 石井健誠
○小学校舎増築委員
 第一区 加藤国吉 板倉規矩司 島田正邦
 第二区 板倉幸進美 板倉藤吉
 第三区 石原国次郎 渡辺惣助
 第四区 田辺房吉 石井利三郎
 第五区 斎藤貞次郎 荒瀬佐吉
 第六区 川島徳太郎 鈴木茂三郎
 第七区 鈴木作太郎 土屋操
 第八区 中島金之丞 岩佐春治
 第九区 麻生荘作 栗原藤吉
 第十区 蔭山一茂
一、議長 右報告ノ通リ指名セリ異議ナキヤ、
   満場 異議ナシ/\ト呼ブ、
一、議長 然ラバ各委員ハ之ニテ決定セリ、之ヨリ第六号議案、助役事務兼掌ノ件ヲ議スベシト宣シ且ツ曰ク、
  本町収入役板倉義郎助役ニ就職ノ結果、収入役ノ欠員トナリタルニ依リ後任物色中ナルモ、目下適任者見当ラサルニ付相当適任者ヲ得ルマデ当分助役ノ兼掌トナサントス、賛成ヲ望ム、
一、十一番川島琢
  町村制第六十七条第七項ノ条項ヲ示サレタシ、
一、議長 右条項ヲ朗読ス、
一、十一番川島琢
  目下適任者ナシトセバ已ヲ得ザルモ、可成至急詮考ノ上、専任収入役ヲ置カレタシ、
一、議長 其ノ点ハ了承セリ、依テ此際兼掌ノ件承認アリタシ、
   満場 異議ナシ/\ト呼ブ、
   (中略)
一、議長 第一区長同代理者ハ共ニ辞職セラレタルニ依リ、此際補欠選挙ヲ行ハントス、之ニ付テハ慣例ニ依リ区ヨリ予選ノ上、其ノ結果報告セラレタリ、之ヲ指名シテ選挙ニ代ヘン、異議ナキヤ、
   満場 異議ナシ/\ト呼ブ、
一、議長 然ラバ指名セントテ左ノ通リ指名セリ、
   第一区長 斎藤林太郎
   第一区長代理者 古川貞次郎
  満場 賛成/\ト呼ブ、
一、議長 満場異議ナキヲ以テ之ニ決セリト宣ス、
一、議長 之ニテ告知ノ議件議了ニ付閉会ヲ告グ、時ニ午後四時十分ナリ、
 右議事ノ顚末ヲ記シ、其正当ナルヲ証スル為玆ニ署名ス、
  大正十四年四月十八日
                       大網町会議長
                       大網町長
                       町会議員
                       同

写真 大網町会会議録(大正14年 役場文書)
 
 ここに掲載した旧大網町会の議事録をみてもわかることは、大正も末年のこの議事の様子は、かなり整然としており充実している。
 大正十三年一月から十二月の「大網町役場事務報告」をみると、当時の町会は一年間に四回開催されている。これを十四年、十五年と対比して表にしてみると、表43のようになる。大正十四年は一年間に七回も町会が開催されている。
 
表43 大正13~15年の大網町会開催日と回数
 開催日
年次
第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回
大正13年2月26日3月29日6月29日10月30日
大正14年2月27日3月13日4月18日6月27日7月25日8月24日10月28日
大正15年1月25日2月26日6月26日8月14日10月25日
(議事関係文書編冊・役場文書)

 当時の町会は町長が議長となり、特別の場合は指名された議員が議長役をつとめ、町長は番外ということで意見をのべたり、質問に答えたりしている。
 はじめにあげた「地方自治の精神」も大正末期にかなり普及し、徹底していった様子が察せられる。またこのように町村の議会で審議されたことは、郡長宛に報告書として提出されていた。