(1) 警察と消防

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 大正から昭和にかけて景気の変動著しく、人心の不安も大きかった。『千葉県警察史』第二巻によれば、大正十五年(一九二六)六月四日勅令第百四十七号で「地方官官制」の改正が実施され、従来内務大臣の所掌事項であった警察署の指定は、各県知事の権限に属することになり、これに伴って警察署と警察分署に区分されていたものを、事務簡素化を目的として総て警察署とすることになった。
 当町域はこれに伴う変化はなく、従来どおり東金警察署の管内にあった。また当郡内では成東署が東金警察成東分署から昇格し、成東警察署になった。
 また当町域には旧大網町に東金警察署大網町部長派出所と大網町巡査駐在所があり、旧山辺村には役場のわきに山辺村駐在所、瑞穂村駐在所は同村永田に、増穂村駐在所は同村柿餅に、白里村四天木駐在所は同村四天木に、同今泉駐在所が同村今泉にそれぞれ配置されていた。
 昭和八年『千葉統計書』第五編・警察衛生によると、各駐在所(東金署管内)・派出所の受持区域は表60のようになっている。
 
表60 東金警察署管内当町域の派出所・駐在所について
派出所・駐在所名位 置受持巡査
定員
受持町
村数
受持範囲備 考
大和村駐在所同村 田中1名1村大和村ノ全域
福岡村駐在所同村 砂古瀬1    1村福岡村ノ全域
大網町巡査部長派出所同町 大網巡査部長   1大網町,土気本郷,山辺,瑞穂五箇駐在所ノ監督
大網町駐在所同町 大網1    1町大網町ノ全域
瑞穂村駐在所同村 永田1    1村瑞穂村ノ全域
山辺村駐在所同村 金谷郷1    1村山辺村ノ全域
増穂村駐在所同村 柿餅1    1村増穂紂ノ全域
白里村四天木駐在所同村 四天木1    1村白里村ノ一部
白里村南今泉駐在所同村 南今泉1    白里村ノ一部
(『千葉県統計書』昭和8年第5編)

 本文のはじめに記したように、昭和恐慌下の日本は各地で犯罪が増加した。『千葉県警察史』第二巻によると、それは常習犯罪者の増加、凶暴・残虐な強盗殺人事件、巧妙な詐欺、保険金目当ての放火事件などが発生している。本県の場合、昭和二年の刑法犯発生総数は大正十一年に比較して二倍に増加した。特に昭和六年以降、保険金目的の放火事件が多発した。昭和八年六月には当町域でも殺人事件が発生していることが『千葉県警察史』第二巻中にみられる。
 当町域にあった派出所・駐在所は、明治の警察制度の初期の頃は人口一五〇〇人から三〇〇〇人に巡査一人の割合が基準であったらしいが、後に各警察署は管内を町村単位で一区か二区に分け、その一区を一人の巡査が担当する。巡査は受け持区域に駐在し任務にあたる。駐在所とはその巡査の宿所であることには今も昔も変わらない。派出所も駐在所も警察の機構上からみると下部機構である。しかし、それは同時に、地域住民と警察が結びつく接点でもある。したがって警察がその使命をより効果的になしとげるためには、大切な任務をもっていることは改めて言う必要もないことであろう。
 また、千葉県警察官の出身地を調査したデータが『警祭百話』(昭和四十九年十月・千葉県警察本部刊行)の中にみられる。それをみると山武郡は香取郡について警察官が多く出る地域であり、このことは古く明治には「佐倉巡査」といって警察官には佐倉士族の出身者が多かった。大正・昭和になると「山武・香取は警察官の出どころ」といわれたと記されている。
 次に消防のことについてふれておく。明治には「非常連」などという消防組織が各町村で生まれているが、後に消防団組織に変化していった。
 特に、当町域では明治の消防の項でも記したように、旧大網町に岩佐春治という先覚者があったこともあり、その組織は周辺の町村より機構・装備ともにすぐれたものになっていた。

写真 大網町警防隊
 
 また、昭和四年四月一日より大網少年消防隊が発足した。この少年消防隊というのは、一小学校を単位として、児童に消防観念を鼓舞して焚火その他の悪習を防止し、児童を通じて家庭の警火思想を徹底せしめ、一面団体的活動の観念と、公徳義俠の精神涵養を図り、場合によっては第一線に立つものとして訓練せしめる(『千葉県消防史』)というものであった。千葉県では日吉少年消防隊(匝瑳郡光町)と南三原少年消防隊(現・安房郡和田町)がともに大正十五年十二月に発足し、当大網町の少年消防隊は実質上県下第二番目のものであった。こうしたことは当町における消防への関心が高く、消防後援意識のたかまりの成果としてみることができるであろう。この後県下各地に少年消防隊や女子消防隊などが続々と誕生している。
 学校も消防に関する協力をおしまず、大網町以外でも「防火デー」のような消防関係の行事には、児童の避難演習並に消火演習、搬出演習、救助演習を実施したり、全校児童作製の「防火ポスター」の展覧会を開催したことが昭和九年十二月一日の「増穂小沿革誌」の記録の中にみられる。当町域旧町村の消防分団数と機構は表61のとおりである。
 
表61 旧町村の消防機構
  旧町村
種別
大網町大和村山辺村瑞穗村増穂村福岡村白里町
消防分団数十分団五分団五分団七分団六分団十五分団十六分団
分団員五〇〇余人二〇〇余人二三〇余人二〇〇余人二八〇余人三七〇余人四〇〇余人
装 備自動車ポンプ
      一台
ガソリンポンプ
      三台
腕用ポンプ
      六台
腕用ポンプ
      五台
腕用ポンプ
      六台
腕用ポンプ
      六台
ガソリンポンプ
      一台
腕用ポンプ
     十二台
腕用ポンプ
     十五台
腕用ポンプ
     十六台
(聞き取りにより作成)

 大網町消防の装備がすぐれていた事例として、昭和五十六年八月号『広報大網白里』に紹介されている「ノーザンポンプ」(口絵・参照)がある。これは大正十三年六月大網町本宿と新宿にかけて十八戸を焼失する火災を教訓として、従来の手押しポンプからエンジンポンプに変える必要ありとの声があり、寄附を求めたりして、二台を購入した。当時県内には、このノーザンポンプは三台しかなく、その中の二台が当町にあったのである。購入価格は六千円(一台)であったという。当時千円あれば家が一軒建つ時代のはなしである。
 しかし、この活躍もめざましく、当町内はもとより近隣町村に少し大きな火事があれば、馬にひかせて駈けつけその威力を発揮した。
 昭和八年二月十六日午前一時四十五分ごろ千葉市本町二丁目の山野金物店から出火した。火は折から約二十メートルほどの強風にあおられ住家建物七十棟を全半焼し、実に明治二十五年の市場町の大火、四十一年の寒川大火に次ぐもので、千葉警察署や署長官舎も焼失するという大災害であった。このときも大網消防団はこのノーザンポンプと共に出動し、その威力を発揮した。
 このポンプも昭和二十九年に主役を消防自動車にゆずり、現在は千葉県消防学校の教材資料として同校に保管されている。
 また、当町にはのこりの一台が大網五区(新宿)の消防団に保管されている。最近は、そうした過去の活躍や、このノーザンポンプの価値が忘れかけられている面があるが、これはまさしく当町域の消防の歴史を物語る貴重な歴史的遺産であるといっても過言ではないであろう。