(2) 農村の衛生問題

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 大正から昭和にかけて農村の公衆衛生問題は、千葉県の重大課題でもあった。
 農村を青々とした水田や野菜畑や果樹のたわわに実る田園的景観で往時を思うのは、あまりにもロマンチックなとらえ方で、現実を正しく把握しているとは言えない。
 農村には栄養を二の次とした単調な食事と、朝は暗いうちから野良に出て、夕方も日没まで働くことが当然という考え方があり、これに衛生観念の欠如ということが加わり、結核、トラホーム、寄生虫という衛生面での問題発生の要因が存在したといってよいであろう。大正十三年千葉県が実施した県内村々の寄生虫卵保有者調査の実施結果は、次に示した表62のようになっている。この中に当町域の旧山辺村が含まれているが、これをみると、当村の寄生虫卵保有者は県平均をはるかに上まわっていることがわかる。
 
表62 寄生虫検査成績表 (大正十三年施行) 千葉県
    種別
郡町村
検査数有虫卵者数百分率虫     卵     別合  計
十二指腸虫蛔 虫鞭虫東洋毛様
せん虫
肝臓ジ
ストマ
蟯虫横川氏
吸虫
 
君津郡中川村

二、二五七

九七八
%
四三・三

五二二

四七六

六七

一六八
 

 

一、二四〇
長生郡鶴枝村二、七四九一、五二六五五・五三九九一、二三八一四四一七四一、九五六
山武郡大富村一、八三八八二二四五・三三五八五九七二九二八一、〇一二
山武郡山辺村一、六六五一、一八九七一・二三〇二八〇五三〇九三九〇一一一、八一七
海上郡鶴巻村一、九五一一、〇二二五〇・四二一二八九三六〇五六五五一、二七八
印旛郡布鎌村二、〇二五八八八四三・九四六二三九八三七一三二五三一、〇八四
東葛飾郡旭村二、五八一一、六二七六三・〇四一三一、四二九二三〇六一三三二、一七二
一五、〇六六八、〇四八五三・四二、六六八五、八三六八七六一、〇一〇一五二一二一〇、五五九
備考 有虫卵者総数と各虫卵者種別合計数ト符合セザルハ一人ニシテ数種ノ虫卵ヲ帯有スル者アルニヨル、(県庁蔵・郡役所引継文書)

 千葉県は昭和五年以来農村における食事面での栄養改善に留意し、農村食をどのように向上させるかその指導方法を検討し、その結果が『千葉県栄養改善報告・千葉県に於ける農村栄養改善実地指導成績に就て』(千葉県警察部衛生課、昭和十三年八月刊)として公表されている。
 指導対象となったのは安房郡主基村下小原区の三十一世帯と印旛郡布鎌村請方区の十三世帯で、前者は十二年六月十五日より十三年二月二十五日まで、後者は十二年六月六日より十三年一月二十七日までであった。
 この間の指導は農家の主婦に対する栄養知識の講習会、座談会、献立作成研究会、戸別指導、農繁期の共同炊事、食料品の共同購入など多角的な指導が実施され、従来の農家における慣習食の改善を実施した。
 わずか二百三十余日の食事の指導であるが、その結果の主たるものをあげれば、視力に関しては、老衰期の人を除いては児童期から盛年期に至る人びとまで、全体的に向上がみられている。
 また疾病に関しては、栄養改善指導以前には喘息、神経病、肺結核、角膜炎、便秘、結膜炎、カリエス、百日咳、湿疹、胃腸カタル、夜盲症、脚気、白内障などがみられたが、指導後の調査では喘息、肺結核、角膜炎、カリエス、白内障が残っているのみで、他の疾病は姿を消した。無論この期間治療も加えられたであろうが、栄養改善の指導が相乗効果をもたらしたと思われる。
 さらに保健費(診療費、医師薬代、医薬費、売薬費、鍼灸(しんきゅう)、マッサージ費、湯治費)の面で指導前と指導後の調査をみると、医師薬代で三百円の支出があった十人家族の家で、一年平均でみて、わずか五十円に支出が減った。また薬局などから二十円の薬品を購入していた七人家族の家は支出がゼロになったとか、富山の置き薬に三円払っていた家は二円に支払いが減ったとか、いろいろな事例が出ている。
 寄生虫卵保有に関してみると、指導中検便を通して調査し、駆虫薬を服用二週間後の再調査で、虫卵保有者は一名に減り、指導後の検査ではゼロになった。こうしてみると寄生虫の駆除にも栄養改善は大きなプラスの働きをすることがわかる。
 当町域でもこうした衛生問題への関心は大正末期より次第に向上している。「大正十三年大網町役場事務報告」第七衛生の項をみると次のように記されている。
 
 一、種痘法施行
  例年一回之ヲ施行ス、本年ハ五月中之ヲ施行セリ、
 二、清潔法施行
  春・秋二期之ヲ施行ス、春期ハ四月、秋期ハ十月中之ヲ施行セリ、
 三、伝染病ノ発生
  前年幸ニ発生セザリシ伝染病ハ、本年不幸左ノ通リ発生セリ 男二人、女一人 イズレモ腸チブス病ニシテ皆全快セリ、
 四、隔離病舎建築
  多年ノ懸案タル隔離病舎建築ノ件ハ愈々実現セシムベク、其ノ準備ノ為メ、本町会ニ於テ左之通工事委員ヲ選挙セリ
   武内亮、渡辺秀蔵、麻生喜重、土屋操、田辺房吉、
 「昭和二年大網町役場事務報告」をみると、衛生の項目には次のとおり記されている、
 一、種痘法施行
  本年五月中施行  人員 二百三名
 二、清潔法施行
  春秋二回 各一週間、警察官及区長ト共ニ役場吏員出張厳重ニ之ヲ施行セリ、
 
 『大網案内』をみると、大正期以来当町には医院として石野医院、石井医院、順応堂医院、今井医院(小児科専門)、森田医院、吉橋医院があり、産科婦として榊原とめ子、東条ます子の両名が妊産婦の診療に応じたとある。薬舗としては石井薬局、小河屋薬舗、中田本店等があり、当町域の医事環境はよい方であった。
 しかし、当町域全体となると問題は別であり、千葉県、当町域旧町村一体となって、種々の疾病防止のために努力していた。
 千葉県は『健民運動資料・結核予防生活』などのパンフレットを刊行して各戸に回覧して、病気の予防につとめている。この中に次のようなことばがみられる。
 
「昔秦の始皇帝は、長寿の薬を求める為に多くの家来を国中に遣はしたが得られなかった」という。又貝原益軒の『養生訓』に、「衛生の道ありて、長生の薬なし」と出てゐる。始皇帝も益軒の『養生訓』を読めば、態々御苦労に名薬を探しまわる愚をしなかったであろう。吾々は僅か五尺の肉体には、余りに数多くの病がある。然し乍ら其中の多くのものは、予防の出来る病気である。即ち罹らずに済まそうと思へば罹らずに、すますことのできるものである。然るに現今の日本人は、罹らずに済むものに罹って多くの生命を失っている。或るものは不知不識の間に、あるものは知り乍ら之等の病気に近づきつつある。殊更に我身の寿命を縮めている。日本人の平均寿命は残念乍ら非常に短かく、四十五、六歳である。(中略)結核は立派に予防の出来る病気である。(中略)我国では、今尚ほ死亡原因の第一位を占め、人的には日露戦争を毎年二回くり返していると同程度の損害を受け、経済的には年々五億四、五千円を失っている。而して個人衛生に於て、公衆衛生に於て、之が予防方法なるものが未だ充分行はれず、唯無知の大胆と不必要なる恐怖とがこの病気を取り巻いてゐるに過ぎない。」(下略)
 
 昭和初期の農村衛生問題は流行する伝染病と、この結核をいかに農村からとりのぞくかということに要約されるであろう。
 それは食生活の改善と、住環境の整備という二点にしぼられるが、残念ながらこれが実現したのは戦後のことであった。