(3) 地方自治と治安

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 昭和二十年八月十五日を敗戦で迎えた日本は、その後連合国最高司令部の指示のもとに政治、経済、社会、文化、教育などあらゆる面において民主主義国家として再建すべく改革を求められた。
 昭和二十二年五月三日その基本ともいうべき日本国憲法が施行された。この憲法のもとで民主政治の根底をなすともいえる地方の政治の在り方を示す「地方自治法」が同日施行された。
 地方自治は国政の基本的動向を規定する重要な問題であった。そのため従来と大きく変ったのは、地方公共団体の組織及び運営は必ず法律をもって規定し、従来のように政令や省令で規定することは許されないことになった。このことは地方公共団体の主体性を大幅に認めることであり、地方自治はその地域に住む住民の手で推進されるようになった。
 地方公共団体は議決機関としては、地域住民によって選挙された議員によって構成される議会を設置し、執行機関としては県は知事、市町村は長、その補助機関である吏員がおかれる。
 また地方公共団体の長である知事、市町村長、議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の存する地域の住民が直接にこれを選挙する。即ち地方公共団体の中枢機関である長及び議員はその地方公共団体の住民の公選によってこれを選出しなければならず、しかも公選の方法は、必ず直接選挙によると定められている。
 さらに、地方公共団体の機能としては、その財産を管理し、事務を処理し、行政を執行する機能を有し、更に法律の範囲内で条例を制定することができる。即ち地方公共団体は基本的機能として、財産管理、事務管理、行政執行及び自治立法が一般的に認められていて、憲法は他の法律等によって、この基本的機能を変更したり、制限を加えたりすることができないことを保障している(『山武地方誌』)。
 これらは従来の地方自治とは大きく異なるところである。従来の地方自治は住民の意志は尊重しても、国―県―市町村は一連の体系化されたものであり、県知事は国が任命し、知事の任期は国の意志により半年でも一か年でも自由自在に転任させられるし、地域住民の意志の入り込む余地はほとんどなかった。
 また市町村長にしてもこれは選挙権を有する地域住民に一定の制限があり、戦後の地方自治とはかなり異なっている。
 戦前の地方自治は国の意志を如何によりよく具現するかということに主眼がおかれ、「上意下達」のひとつのルートの上に、それが認められていたといってよいであろう。
 連合国総司令部は、これが日本の進路を誤まらせたという見解の上にたって改革を指示したのである。それ故、国の地方自治への介入をできるだけ制限したといえるであろう。
 したがって、一地方公共団体のみに適用される特別法は、法律によってその地方公共団体の住民の投票によって過半数の同意を得なければ国会は法律を制定することができないと定めている。
 こうして地方自治法は第一編総則第二条で地方公共団体は法人として普通地方公共団体、即ち都道府県、市町村は、その公共事務及び法律又は之に基く政令によって普通地方公共団体に属するものの外、其の地域内に於ける其の他の行政事務で国の事務に属しないものを処理すると規定した。
 地方公共団体はどのような行政事務を扱うか、次にその概要をあげておく。しかしここに記されたものの中でも法律又はこれに基く政令に特別の定がある場合は例外とされるものもある。
(1)地方公共の秩序を維持し、住民及滞在者の安全、健康及び福祉を保持する。
(2)公園、運動場、広場、緑地、道路、橋梁、河川、運河、溜池、用排水路、堤防等を設置し、若しくは管理し、又はこれらのものを使用する権利を規制する。
(3)上水道、その他の給水事業、下水道事業、電気・ガス事業、軌道事業などの経営、
(4)ドック、防波堤、波止場、倉庫、上屋その他の海上又は陸上輸送に必要な営造物を設置し、もしくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制する。
(5)学校、研究所、試験場、図書館、公民館、博物館、美術館、物品陳列所、公会堂、劇場、音楽堂その他の体育、学術、文化、勧業に関する営造物を設置しもしくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制し、その他教育、学術、文化、勧業に関する事務を行うこと。
(6)病院、隔離病舎、療養所、消毒所、産院、住宅、宿泊所、食堂、浴場、共同便所、公益質屋、授産施設、救護施設等の保護施設、保育所、養護施設、救護院等の児童福祉施設、身体障害者更生援護施設、屠場、じんあい処理場、汚物処理場、火葬場、墓地その他の保健衛生、社会福祉等に関する営造物を設置しもしくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制すること。
(7)清掃、消毒、美化、騒音防止、風俗又は清潔を汚す行為の制限、その他の保健衛生、風俗の醇化に関する事項を処理すること。
(8)防犯、防災、罹災者の救護等を行うこと。
   (中略)
(14)史跡、名勝その他の記念物を保護し又は管理すること。
(15)普通地方公共団体の事務の処理に必要な調査を行い、統計を作成すること。
(16)住民、滞在者その他必要と認める者に関する戸籍、身分証明及び登録等に関する事務を行うこと。
   (中略)
(19)法律の定めるところにより地方公共の目的のために、動産及び不動産を使用、又は収用すること。
(20)所属普通地方公共団体の区域内の公共的団体等の活動の綜合調整をすること。
(21)法律の定めるところにより、地方税、使用料(普通地方公共団体の経営する企業の徴収する料金を含む、以下同じ)手数料、分担金、加入金又は夫役現品を賦課徴収すること。
(22)基本財産又は減債基金その他積立金額等を設置し、又は管理すること。
 これをみると地方自治がいかに住民生活に直結した重要なことか理解されるであろう。地方自治の発展は民主主義国家としての日本の興隆にも深くかかわりあっている。
 しかし現実の地方自治、市町村行政の運営の実態は、理想の姿と必ずしも合致しているとは言えない。たとえば市町村の財政の問題であるが、これは地方自治権の拡張に伴ってはいない。市町村財政も国の財政と同様に公的経済であるが、国の財政のようにしっかりとした裏付けがあるとはいえない。行政事務面で、多くの仕事を分担して歳出面の増大が見込まれるが、歳入面での問題がいろいろあり、国や県の補助を受ける必要が生じてくる。
 このため近年町村規模の適正化が叫ばれ、昭和二十八年十月一日より町村合併促進法が三か年間の時限法として実施されてその効果をあげている。
 昭和二十二年五月三日地方自治法が施行されて以降、当町域の旧町村の住民の直接選挙で選ばれた町村長は表72のとおりである。
表72 大網白里町誕生までの旧町村長一覧(戦後)
町 村氏  名就任年月日退任年月日
大網町富田直恵
島田正邦
 〃
昭和21・1・26
 〃   22・4・12
 〃   26・5・3
昭和21・12・13
 〃   26・3・31
 〃   29・11・30
大和村秋葉音治
 〃
岡本清
高橋操
 〃   21・2・18
 〃   22・4・6
 〃   23・6・20
 〃   27・6・30
 〃   22・4・5
 〃   23・5・11
 〃   27・6・19
 〃   28・3・31
瑞穂村岩佐四郎三郎
吉田貢
土屋轍正
 〃   22・4・15
 〃   23・6・13
 〃   25・4・2
 〃   23・5・8
 〃   25・2・22
 〃   26・3・31
山辺村大塚文蔵
橋本俊蔵
 〃   21・9・13
 〃   22・4・12
 〃   22・2・5
 〃   26・4・1
増穂村富塚敏信
佐久間安之亟
小倉茂雄
大原龍三
有田源
昭和21・8・29
 〃   22・4・6
 〃   23・5・
 〃   24・11・17
 〃   27・8・12
昭和22・1・17
 〃   23・4・8
 〃   24・10・1
 〃   27・7・16
 〃   29・11・30
白里町新井信司
内山仲
 〃
 〃   22・4・5
 〃   24・3・17
 〃   28・3・17
 〃   24・2・11
 〃   28・3・16
 〃   29・11・30
福岡村武藤源一
佐瀬与一
桶田信夫
松崎丑司
鵜沢治躬
 〃   22・2
 〃   22・4
 〃   24・2
 〃   24・4
 〃   28・4
 〃   22・3
 〃   24・1
 〃   24・3
 〃   28・3
 〃   29・3

 次に地域住民が安全な生活をしていくため個人の生命、身体及び財産の保護に、あるいは犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締り、あるいはこの他、公共の安全と秩序の維持に当たることを主たる任務とするのは警察の重要な任務である。しかも戦後は「民主警察」といわれ、地域住民との密接なつながりが大切であるとされ、連合国最高司令部より機構の一大改革を求められた。
 『千葉県警察史』第二巻によると、昭和二十二年(一九四七)九月十六日付マッカーサー書簡によって警察制度改革に関する基本方針が明らかにされた。翌十月二日には、連合国総司令部公安課係員列席の下に全国警察部長会議が開催され、その席上警察再組織案細目等が配布され、警察制度改革の実施についての説明がなされた。
 これより先、十月九日総司令部公安課からスミス少佐、イートン警察司政官長等が来県して、新警察制度の実施に伴う機構改革の具体案を研究するため、警察部警務課長警視川上紀一に面会を求め、次の六種の実施計画の立案(第一案)を命じ、内務省の指示を一切受けず直接公安課に提出するよう申し渡した。
 
 1、警察部及警察署の現在の階級別定員表、
 2、市及び人口五千人以上の市街的町村の区域、現在配置してある警察官の階級別定員(各署別に作る)、
 3、右区域における、新制度による理想的な配置表、
 4、自治体警察の区域外の区域及び県警察部に現在配置せられてある者の階級別定員表、
 5、右区域における3、に準ずる事項、
 6、右の3、及び3、の事項を通信系統図と共に記入せる地図、
 
 本県の警察部警務課ではこれらの資料を、徹夜で作成提出したが、3の配置表を集計した結果、総計二千五百四十三人となり、定員千六百人(当時の実在員千六百四十七人)をはるかに超過した。
 こうした諸事情のもとに連合国総司令部公安課はより具体的な第二案を提示し、十一月六日スミス少佐、イートン警察司政官長は県知事川口為之助、蓑輪義政県会警察委員長、山口喜雄警察部長に面会し、「今日から三週間以内に新警察制度を試験的に実施するよう」指示した。その実施方針は次のとおりとした。
 
 1、確実な市町村に実施する。
 2、警察官は一、六〇〇名の現在数を以て配置すること。
 3、警察法案は未だ審議中で法律として成立していないが、法律と見做して実施すること。
   但し、警察部長は自治体警察を指示すること。
 4、公安委員は専務的でなく一週間に一回位の勤務でよい。又所謂ボス的勢力を排除してその地方に於いて最も人格高潔にして尊敬される人物を選任すること。
   今後選任される公安委員は警察法実施後も引続き公安委員に留まることが望ましい。
 5、署長、署員の配置は県の責任で行うこと。警察法実施後公安委員がこの人事に不満の場合はかえてよろしい。
 6、俸給、給与は今迄通りとし、施設は国家地方警察が優先的に使用し、不必要なものは貸与又は払下げしてもよい。
 
 占領下の特殊事情のもととはいっても警察法案が国会で成立していないのに、千葉県ではこれを法律と見做して実施するという指令であった。
 このように千葉県が新警察制度実施のモデル地域になったのは、本県が政治、経済、行政等の諸面で全国的に一つの基準にふさわしい規模であったことと、東京に近くて総司令部公安課で、この実施の状況を十分にみることができるという点にあった(『千葉県警察史』第二巻)。
 ここで、第一に自治体警察を設置する対象市町村の認定が問題となった。千葉県は内務省の指示を受けて対象市町村を選出した。
 当町域を含む山武郡内では次の表73にあげた地域が対象となった。
表73 山武郡内の自治体警察設置対象町村
町村名人 口備 考
東金町
13,002
片貝町11,609 
白里町9,098 合併で当町域
豊海町7,385 
成東町5,717 
横芝町6,101 
松尾町5,042 
(『千葉県警察史』第2巻)

 こうして、当時の県内七市五十五町に自治体警察が設置された。当町域では白里町に「白里町警察署」が設置されたのである(表74)。同時に白里町公安委員として次の三氏が初代委員として選任された
 委員長 高中市郎 漁業 四十三才
 委員  米沢市郎 織物業六十一才
 仝   大矢喜一 織物業三十二才
表74 山武郡内における新警察制度下の配置表
     種別
署別



管轄人口部課長



巡査部長巡  査















国家地方警察
東金地区警察署
13
四九、七三九
12511725
  〃
 成東 〃
12五三、一一五12611827
自治体警察
 東金町
一三、〇〇二11211812
 白里町九、〇九六1236合併後当町域
 豊海町七、二八五1135
 片貝町一一、六〇九12158
 成東町五、七一七121136
 松尾町五、〇四二1124
 横芝町六、一〇一1124
(『千葉県警察史』第二巻)

 また一方自治体警察の管轄外地域は、国家地方警察の管轄下に置かれた。したがって当町域(旧白里町を除く)は従来どおり国家地方警察東金警察署の管轄をうけた。
 こうして、千葉県は全国にさきがけて、自治体警察と国家地方警察の二本立ての機構を発足させ、以来四か年間これを実施した。これはアメリカの警察制度の導入であった。しかし国情の異なる日本では、この機構はうまく適応できなかった。千葉県警察創立百年記念『警察百話』(昭和四十九年十月、千葉県警察本部)の中に「自治体警察と国警の統合」という一項がありここに次のように記されている。
 さて、設立後日の浅い自治体警察は、昭和二十五年秋ごろから、小規模自治体においては財政上、あるいは能率上その他の面から、廃止または返上を唱えるところがでてきて、二十六年六月警察法の一部が改正された。この改正法によって市以外の警察を維持していた町は、住民投票によって警察を維持しないことができ、また維持することもできるようになった。この改正法に基づき二十六年八月多古町を初めに、同年九月の小金町(現松戸市)を最後として、四十八町(四十六署)が自治体警察の廃止を決め、十月一日をもって国警に編入された。(下略)
 
 この戦後の新警察制度は昭和二十九年七月現行の警察法が施行されるまで続いた。山武郡内における警祭の変遷は図20のようになっている。

図20 山武郡内・警察署沿革図
 
 戦後の新警察制度は連合国総司令部の指示で「民主警察」を目ざして改革発足し、千葉県はその過程で大きな役割を果たした。二本だての警察機構はいろいろな問題をもち姿を消したが、ここで勤務した人びとは住民に対して、身近な存在として警察のイメージづくりに大きな役割りを果たした。
 婦人警察官の登場、サーベルからピストルへ、それまで地域の人びとが抱いていた警察へのイメージとは大きく変革して今日に至っている。