(1) 農・林・水産業について

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 当町は戦前・戦中・戦後とずっと農・林・水産業が盛んな地域であった。
 このことは、次の表75にみられる業態別調査(昭和二十五年度)をみても、旧町村の統計の中にはっきりとあらわれている。これをもう少しくわしく産業別就業者でみると、次の表76のようになり一層このことが判然とする。
表75 業態別戸数(市町村別)
  種別
市町村
農業工業商業漁業その他
 
東金市

3,652

71

513

 

2,112

6,348
土気町79827175941,238
大網町1,186171646632,030
増穂村55242584665
白里町96417914153901,877
豊海町598963823031,379
片貝町5853013643496542,253
鳴浜村639595513051934
成東町674171363841,211
日向村82631241451,026
大富村384223047483
南郷村59373593728
緑海村6806514546871,023
蓮沼村63429471841541,048
上堺村456314570602
大平村532793720668
松尾町5181051103291,062
睦岡村82035341571,046
豊岡村4338860509
横芝町468201966411,325
大総村53792036602
二川村76643821991,090
千代田村654203584793
17,9491,2302,2571,5516,85729,940
(注) 工業,商業欄の計には豊海町を除外した。
(『山武地方誌』)

表76 産業別14才以上就業者数(昭和25.10.1現在)
  種別
町村名
総 数農 業林業
及び
狩猟業
漁業及
び水産
養殖業
鉱 業建設業製造業卸売業
及び
小売業
金融保
険及び
不動産
運輸通
信及び
その他
の公益
事業
サービ
ス業
公 務分類不
能の産
業及び
不詳
東金町5,3462,39714227613889442486582605
公平村2,0571,7262664505428460
源 村1,2551,11317291821247242
丘山村1,205973155942255734
大和村1,4841,2842130282235541
土気町3,1572,46342741631181311612678
瑞穂村1,5121,209120374626282521
大網町1,78686214015234219100195741
山辺村1,27592825676646573461
増穂村2,0241,77123254413175531
福岡村2,1531,93321920383108642
白里町4,6292,883412278348548477183886
豊海町3,6492,1294533934630743424790
片貝町4,5781,899830116540655891338992
正気村1,8211,55011351605208338
豊成村2,5652,305126355431184461
鳴浜村2,5211,8351723286185427123543
成東町2,4951,5372139151311191162141023
日向村2,4371,9684321409414717143
大富村1,3541,10712154624154743
南郷村2,2371,95511541733346748
緑海村2,7952,166137317919422910948
蓮沼村2,8912,006134954111157226141431
上堺村1,7701,515322849441195626
大平村2,0331,8002036551362452
松尾町2,4031,65018213121976619057
睦岡村3,0202,592334184653237244
豊岡村1,5151,35611540271138261
横芝町2,7051,51826324041023124265591
大総村1,9051,7184392331204624
二川村3,2182,7363311615032612331
千代田村2,5292,2692240831266127
78,32457,153292,39431,3294,1005,4652041,6134,1581,84531
(『山武地方誌』)

 これでみると当町域は、農業と水産業にその主体があり、これは明治以来、近・現代を通じてずっと当地に住む人びとの生業として重要な存在であったといってよいであろう。そのため地域の人びとは農業を発展させるためにさまざまな苦心をはらって今日に至っているのである。もともと広大な九十九里平野の一部で行われている当町域の農業は、田畑をどのように利用しているかということが高収入をあげるひとつの鍵であるが、昭和二十年代の後半では表77にみられるように、戦前以来の農業を踏襲してきたといってよいであろう。
表77 利用種類別経営耕地面積
昭和28.8.1現在(単位 町)
  種別
町村名
総 数
総 数稲 田その他
の田
総 数普通畑果樹園茶 園桑 園その他
の畑
東金町3,558.92,572.52,572.30.2986.4931.61.43.250.2
源 村382.6183.9183.9198.7192.60.10.85.2
土気町807.3220.0220.0587.3581.71.11.92.6
大網町1,247.0863.6863.6383.4338.23.112.629.5
増穂村722.0481.3431.3240.7212.30.61.426.4
福岡村717.3488.0488.0229.3207.60.621.1
白里町750.6442.9442.9307.7291.60.116.0
豊海町509.8302.2302.10.1207.6196.40.211.0
片貝町530.5338.0338.0192.5183.50.18.80.1
鳴浜村511.5275.8275.8235.7226.00.19.6
成東町631.7490.7490.7141.0133.90.46.20.5
日向村642.5289.1289.1353.4347.92.53.0
大富村372.5255.8255.8116.7111.80.64.20.1
南郷村707.5400.1400.1307.4290.40.10.316.20.4
緑海村634.4394.7394.7239.7226.413.3
蓮沼村549.9341.1341.1208.8206.70.10.11.70.2
上堺村480.1285.6285.6194.5192.40.31.8
大平村635.3392.3392.3243.0240.03.0
松尾町515.3371.9371.9143.4137.70.35.30.1
睦岡村1,114.6274.8274.8839.8830.71.87.3
豊岡村472.3242.1242.1230.2219.10.310.8
横芝町580.4365.3365.20.1215.1210.91.10.62.5
二川村1,068.8432.2432.2636.6613.35.917.4
大総村653.6421.7421.7231.9202.80.40.228.5
千代田村845.3367.5367.40.1477.8466.70.89.31.0
19,641.711,493.111,492.60.58,148.67,792.28.434.7310.92.4
(『山武地方誌』)

 山武郡域全体からみた当町農業(旧町村別)は本項のねらいからみて、あまりくわしくとりあげる必要もないと思われるので、当町の旧大網町の統計資料から昭和二十六年ごろの実態をみていくことにする。なおここにあげた資料は昭和二十六年度の旧大網町役場の作成した「大網町町勢要覧」によったものである。
 この資料によって旧大網町の実態を考えると、当地域は水田が非常に多く田と畑の比は七対三となっていることが資料(3)耕地面積のデータによって知られる。また農家一戸当りの田畑所有面積は十反(一町)となり、農家人口一人当りの面積は田畑あわせて四反歩となっている。これは一般的な見解からみれば仕事が大変多くなることを意味している。したがって、専業農家が五十八パーセントにもなっていることも注目してよいことであろう。
 別の視点からみると、当時はまだ食糧事情がやっとよくなり出した頃で、敗戦後の「どん底生活」がこの前年(昭和二十五年)六月に勃発した朝鮮動乱のため特需景気がおこりやっと一息ついた頃であるが、食料(主食)は配給制度であった。そのため米の配給を受けて生活をしている世帯と、生産者であり米は供出するが家族の食料として保有米を持ち配給を受けない世帯とがあり、地方町村では配給を受ける世帯と、配給を受けず保有米をもつ世帯との割り合いが、その対象となる地域の特色を定めるひとつのキーポイントでもあった。こうした視点からみれば当大網町は生産地帯の中に含まれているといってよいであろう。
 しかも前述の如く一人当り大変多くの田畑を所有していたことから農業機械の必要性はかなり大であり、農業用動力としてのモーター、石油発動機、その他動力作業機もかなり入っているが、まだ動力耕耘機など現在一般農家が用いているようなものは普及していない。調査項目にはあるが、一般化して当地に入って来るまでには至っていなかったのである。農村にまだ、依存できる人手が存在した時代であったといってもよいであろう。
資料 (1) 土地
宅地山林原野その他
115町2反748町8反342町0反493町4反371町2反

 
資料 (2) 人口
(一平方粁)
世帯数総 数人口密度
25.10.11,86910,0994,8855,2144,878
百分比%1004852

 
資料 (3) 耕地面積
総 数%自作地小作地農家一戸
当面積
農家人口
1人当り
面積
総数1106.6反100147.7反158.9反10反4反0畝
750.2    67633.9    116.3    7    2    5    
356.4    33313.8    42.6    3    1    5    

 
資料 (4) 配給人口
配給米に
よる人口
保有米に
よる人口
生産者
世帯
準生産者
世帯
消費者
世帯
7,4172,68293764868

 
資料 (5) 農業
農 家 数
農家総数
1,035
%
100
専 業611 58 
第一種兼業260 26 
第二種兼業164 16 



自作農552 54 
自作兼小作372 32 
小作兼自作74 
小作農39 

 
資料 (6) 農機具
原動機使用農家(戸)動力作業機使用農家(戸)
電動機石油
発動機
脱穀機麦摺機籾摺機カルチ
ベータ
ハンドト
ラクター
4884795247196
(「大網町町勢要覧」昭和26)

 こうしたなかで当地域では作物としてはどのようなものが作られていたのであろうか。「大網町町勢要覧」(昭和二十六年)の中から当町の農産物、畜産、養蚕に関する統計を次に掲げる。
(7)主要農産物をみると、当時(昭和二十六年)は、かなりいろいろな作物を栽培している様子かみられる。このことは(8)畜産にしても同様である。(9)養蚕については当町域の中でも減少の傾向はあるが、県内他地域ではすでに絶滅してしまった地域もあるのに、残っている数少ない地域である。
 
資料 (7) 主要農産物
作 物 名収穫面積実収高反当収量
730.7153,4472.1
大 麦120.022,8001.9
裸 麦2.03801.9
ビール麦6 1141.9
小 麦128.819,3201.5
とうもろこし7.25,0407.0
そ ば34.64,1521.2
大 豆86.87,8127 
小 豆7.93955 
そらまめ10.04,00040 
いんげん8 1,600200 
さつまいも89.8404,100450 
じゃがいも16.842,000250 
えんどう1.02,000200 
蔬菜さといも8.523,750250 
な す4.99,800200 
すいか2 800400 
だいこん13.841,400300 
ごばう3.07,500250 
にんじん2.03,800190 
白 菜3.210,880340 
ね ぎ4.515,750350 
搾作
油物
なたね3.22568 
ご ま2.2221 
らっかせい10.020,200200 
工業
用作
わ た5.32124 
たばこ
しちとうい
12.014412 
収穫面積……反 実収高……石貫 反当収量……石貫

 
資料 (8) 畜産
名  称乳牛役肉牛山羊緬羊あひる
飼養者数1535510251201993826
飼養頭数2035710210024254204685
年間生産頭数10148172001317
年間斃死頭数296612331

 
資料 (9) 養蚕
桑園面積養蚕戸数掃立卵量収繭高一戸当り
収繭
単位面積
収繭量
154反81戸2399G1755貫19貫12貫
(「大網町町勢要覧」昭和26)

 このように農業が盛んな地域であるため農業の発展のためにいろいろ工夫をした人もある。
 前にも部分的に紹介したが、当町駒込の今井戢は、日中戦争、太平洋戦争と戦争が続き農村からも多くの働き手が出征していき人手不足は災害以上に水田の収穫高を低下させていった。そこで今井戢は従来の四月下旬から五月上旬の苗代での苗の成育、六月下旬から七月初旬田植の方式ではとても増収は見込めないと考え、早目に畑苗代を作り、油紙のカバーをして温度を高め、苗の草丈が十センチから十五センチになった頃の五月二十日頃(従来の方式より約一カ月早く)温暖の日を選び本田に田植えを実施することによって災害シーズンを避けることができると同時に、当時稲の二大害虫であった二化メイ虫と青虫の食害を防ぐことができた。
 昭和二十年八月敗戦により食糧事情が非常に悪く、農家には供出が強要された。連合国最高司令部は事態を重くみて、農家で供米を完納し自家食糧米まで供出した農家に対しては、当時貴重品であった砂糖を特別に配給するなどの対策をとった。
 昭和二十三年八月連合国最高司令部は農業改良普及事業が食糧増産のための急務であるとして、食糧増産指導員制度を発足させた。これは国の実施する試験を受けて合格したものがこの任にあたる制度であった。今井戢は山武郡の普及主任に任命され、山武地方事務所の産業課に席をおき、郡内五か所の農業改良普及所を巡回して県よりの連絡や通達の伝達や農業技術の指導に当った。
 今井戢は特に稲の早植え法の普及奨励に尽力し二~三年間に他の三十名の普及員の協力もあって、山武郡全域の水田に「特種水稲早植」を普及させた。これにより十アール当り八俵から九俵、最高十俵の収穫をあげるようになった。この方式はやがて全県下に普及していき、やがて全国的に早植え方式がひろまった。
 千葉県立農事試験場はこの方式が早い時期に田植えをすることによって、活着を早め、同地域にしばしば発生する旱害の時期には、すでにある程度成長していてその被害を軽減することができると同時に、田植期の労力分散上も効果ありと評価している。

写真 稲作早植法研究による表彰状
(駒込 今井戢家所蔵)
 
 では、現在の農業はどうであろうか。当町は昭和二十九年十二月一日合併し、大網白里町となった。
 農業もこうした地域の社会的変動により少しずつ変っていった。町村合併が実施されたからといって特に水田や畑に変化がおこるわけではないが、地域社会構造の変化はその地域の住民の経済生活や生活行動圏に変化を生ぜしめ、農家の人びとのくらしも変ってきて農業形態もこれに伴って変化していくということである。現在の大網白里町地域は図21に示されているような町村が合併して形成されたものである。

図21 合併前の行政区域図
 
 また、この大網白里町として一つにまとまった地域には全体として次の図22・23にみられるような水田や畑の分布状態がみられる。
図22 水田の分布
図22 水田の分布
図23 畑の分布
図23 畑の分布

 水田が、西側の台地部には少なく、南東の海岸の方へ行くにつれて濃い密度で分布している様子がわかる。ではこうした田・畑をもつ当町の農家では、なにを作り販売しているのか、地区単位でみると表78のようになる。
表78 販売1位部門別農家数単位・戸・%
大 網増 穗白 里全 体
1.販売1位部門別農家数
 水稲736(78.3)380(79.8)590(72.0)1,706(76.3)
 普通畑作物8(0.9)1(0.2)(―)9(0.4)
 野菜類18(1.9)1(0.2)39(4.8)58(2.6)
 工芸作物12(1.3)19(4.0)13(1.6)44(2.0)
 施設園芸8(0.9)2(0.4)99(12.1)109(4.9)
 果樹1(0.1)1(0.2)(―)2(0.1)
 畜産11(1.2)9(1.9)6(0.7)26(1.2)
 養蚕26(2.8)4(0.8)(―)30(1.3)
2.作物別販売農家
 水稲790(84.0)415(87.2)714(87.2)1,919(85.9)
 タマネギ(―)(―)172(21.0)172(7.7)
 カンショ66(7.0)12(2.5)24(2.9)102(4.6)
 トマト10(1.1)2(0.4)131(16.0)143(6.4)
 ピーマン4(0.4)15(3.2)71(8.7)90(4.0)
 ネギ51(5.4)37(7.8)3(0.4)91(4.1)
 サトイモ42(4.5)27(5.5)13(1.6)81(3.6)
注 1.「55年農林業センサス」より(『大網山里町農業基本計画』)

 この表をみると当町域の農家は米を売ることが最も多い。これは米作り農家が多いからである。各地区別にみてもあまり変わらない。ではその農家が経営形態としてみた場合、どのような作物を組み合わせて栽培しているかを調べたものが表79である。
表79 経営組織別農家数単位・戸・%
大 網増 穂白 里全 体
 1.水稲89(57.8)63(50.0)60(33.7)212(46.3)
 2.水稲+露地野菜24(15.6)18(14.3)51(28.7)93(20.3)
 3.水稲+施設野菜+露地野菜10(6.5)6(4.8)43(24.2)59(12.9)
 4.水稲+普通畑作等(―)5(4.0)5(2.8)10(2.2)
 5.水稲+タバコ(―)9(7.1)(―)9(2.0)
 6.水稲+果樹(―)1(0.8)(―)1(0.2)
 7.水稲+植木・花木・鉢花4(2.6)14(11.1)14(7.9)32(7.0)
 8.水稲+畜産3(1.9)3(2.4)3(1.7)9(2.0)
 9.水稲+養蚕24(15.6)7(5.6)(―)31(6.8)
10.水稲+水産加工(―)(―)2(1.1)2(0.4)
154(100.0)126(100.0)178(100.0)458(100.0)
注) 1.  「水稲+施設野菜」が1戸あったが、「水稲+施設野菜+露地野菜」に含めた。
  2.  「58年農家アンケート」より
(『大網白里町農業基本計画』)

 これをみると、当町域では、水稲しかつくらない、単一経営が大網地区と増穂地区に多く、白里地区も水稲単一経営が一位であるが、他地域より数値がやや低くその代り二位の水稲+露地野菜づくりの数値が大網や増穂地区よりずっと高くなっているのが特色である。
 また昭和二十六年度の旧大網町の「町勢要覧」の内容と対比してみると時代とともに作物も随分変化するものであることがわかる。
 第一に麦を栽培する農家がほとんどなくなってきたことである。『一九八五年農業センサス結果概要』(千葉県企画部統計課)の資料をみると、大網白里町で九十四戸の農家が麦の栽培をしている。しかしこれだけでも山武郡内では栽培農家数でも収穫面積でも第一位であり、作物の中で麦が栽培されなくなったかが判る。
 第二は養蚕で、大網地区と増穂地区で三十戸ほどの養蚕をしている家があるが、昭和二十六年の「町勢要覧」からみれば、かつて、大網町一町だけでも八十一戸とあるので、養蚕も時の流れによって次第に姿を消したもののひとつであるといってよいであろう。
 次に林業について、まとめてふれてみよう。当町域で山林となっている部分は次の図24に示したとおりである。これが総てではないが林業関係の仕事のバックボーンとなるわけであり、図をみてもかなり広い範囲(地域にかたよりがあるが)に分布している。

図24 山林池沼現況図
 
 これまでにとりあげてきたように、旧大網町は昭和二十年代はその収入を山林に依存していたが、家庭生活で炊事に炭や薪を使用しなくなったため、現在は植林はされていても枝打ち、間伐等の手入れはほとんど行なわれていない(表80)。当町の山林は樹種として、杉、檜、松が主体であるが、農業の方が収益が高いため主力はその方に向けられ、管理も十分いきとどかないのが現況である。また松は近年「松喰い虫」の被害が甚大で、白里地区の海岸部の松が残る程度になったため、最近は松林からの樹種転換が図られている。
表80 昭和28年度における大網白里町旧町村の林産物生産額について
 種別
町村
素 材製 材木 炭竹 材苗 木
大網町千円
4,500
千円
6,600
千円
320
千円
600
千円
260
千円
35
増穂村7505,100270407
福岡村1509020
白里町90080
(『山武地方誌』)

 したがって、年間の林産物生産量も素材生産がわずかにある程度で、この他きのこ類の栽培がわずかに見られ、これも自家用程度にとどまっている。
 最後に漁業についてみると、これは白里地区に限定されるが、戦後九十九里射撃演習場の影響で沿岸漁業が思うように行なわれず発展を阻害されていた。
 一方砂浜海岸であるため良港にも恵まれず、地域の人びとは次第に漁業から離れる傾向を示している。『山武地方誌』によると、当地白里の漁業の実態は表81に示したとおりである。
表81 漁獲高並に金額表
 町村別
  漁獲
魚種
豊   海白   里
漁獲高金 額漁獲高金 額
いわし
659,000

55,600,000

1,009,045

100,904,500
かつを1,207663,850299149,500
まぐろ1,000450,00020070,000
さ ば2,832240,7203,815152,600
ぶ り14,1184,941,30042,79614,978,600
さ め16947,3202,440207,400
た い1,4221,564,200130130,000
かれい
ひらめ
10965,400217,350
あ じ65,9556,265,725114,0205,701,000
さんま
その他5,7231,602,440680170,000
787,53571,440,9551,173,446122,470,950
(『山武地方誌』)
表82 漁業の種類別漁船数(動力船)
  漁業
  種類
町村名
旋 網その他
の曳網
延 縄一本釣
上 堺268
蓮 沼31114
緑 海44
鳴 浜426
片 貝392243
豊 海28101140
白 里35102148
11145322163
(『山武地方誌』)
表83 漁業の種類別漁船数(無動力船)
  漁業
  種類
町村
その他
の曳網
採介藻
上 堺55
蓮 沼1313
緑 海9110
鳴 浜66
片 貝516
豊 海64111
白 里819
527160
『山武地方誌』)

 この表によってみると、白里地区の漁業で漁獲高の多いものは、いわし、あじ、ぶりということになる。一般に高級魚というより大衆魚といわれる魚の魚獲高が多く、またこれらは水産加工物として市場に出ていくものも多い。表84は九十九里浜沿岸七か町村の水産加工物の生産量と金額である。
表84 加工水産物生産数量及び金額(昭和28年度4月~3月)
  町村名
種別
上堺村蓮沼村緑海村鳴浜村片貝町豊海町白里町

数量(貫)23,9137,3458101,4008602,98037,308
金額(円)8,802,6001,743,000193,000280,000160,000571,00011,749,600

数量(貫)5,89517,1279,2046,773112,34165,538102,062319,080
金額(円)3,035,8807,315,6602,206,4503,457,33060,032,56030,378,00053,000,230159,426,010

数量(貫)15,64018,73040018,700132,74052,700130,990369,900
金額(円)4,514,0005,174,100171,0003,483,00024,823,50010,535,00016,311,60065,312,200

数量(貫)3201601508,97074,43058,2501,750143,910
金額(円)189,00087,500105,0005,316,00037,575,00029,956,250932,00074,160,700

数量(貫)105205001506001,375
金額(円)69,80015,8008,160,400150,000420,0008,816,000

数量(貫)100100
金額(円)18,00018,000
数量(貫)45,96343,43210,66435,843319,891177,438238,382871,673
金額(円)16,611,28014,336,0602,693,45012,536,330130,591,46071,479,25071,234,830319,482,660
(『山武地方誌』)

 これをみると昭和二十八年当時の白里地区での煮干しや、丸干しの加工が盛んに行なわれていたことがわかる。さらに九十九里浜沿岸七か村中でも当時の片貝・豊海に次いで、第三位の生産順位を占めていたことに注目してよいであろう。
 それが現在ではどう変化しているか、最新版の『第七次漁業センサス結果概要』(昭和五十九年・千葉県企画部統計課)をみると表85のようになる。
表85 白里地区の漁業について
項 目実 数備 考
漁業経営体数25 


専 業5 
兼 業20 
沿岸漁業24 
中小漁業1 


無動力船1隻
船外機付船1〃
動力船26〃3t~5t,24
5t~10t,2


家 族47名
雇用者281名
総漁獲金高10,020万円
一経営体
 平均漁獲金高
401万円



小型底びき網25 
刺 網3 
はえ縄1 
地びき1 
採 貝20 


水産加工業1 
遊魚案内業1 
民 宿5 
その他1 
(『第七次 漁業センサス結果概要』千葉県企画部統計課)

 かつて昭和二十八年度の資料でみると、四十八隻(表82)もあった動力船も二十六隻と半数近くにへり、当然これに従って漁獲高も後退し、漁業のほかに民宿などを経営する人びとが出てきた。しかも二十八年当時は採貝は統計に上ってきていないが、現在は増大している。白里地区に直接漁港がないこともマイナス要因ではあるが、隣町(九十九里町)に県が技術の粋を集めて漂砂を防ぎ、近代漁港が作られているので、海に面した白里地区の魚業の発展は今後の重要な課題となろう。
 農・林・水産業いずれをとってみても、当町域は今後の住民の理解と協力と、それに従事する人びとのさらによりよい努力があれば、今後より多くの発展が期待される要素をもっているといえよう。
 農業の例をとってみても、米作りを中心にしていろいろな作物栽培を組み合わせ、施設園芸の発展などもこの中に含め工夫がこらされている。この点は町政の面でも農村総合整備計画や、農業基本計画などを立案して主産業の変ぼうに対応するだけではなく、将来を指向した方向づけが考えられているようである。