図1 大網白里町の地域区分
当町域は、東側の九十九里浜に面した白里地区と、西側の福岡・増穂・瑞穂・山辺・大和・大網地区の農村、市街地とに大別される。これらの土地に住む人びとが祖先の守り伝えた風俗・習慣をどのような形で伝承し、その生活に具現しているか、土地の古老のはなしなどをまとめて、その概要を記録することにしよう。
特に白里地区に関しては、昭和四十三年(一九六八)十月に成城大学民俗学研究室の『伝承文化』(第六号)にまとめられたものがあるので、当町で町史編纂にあたって採訪したものをあわせて引用させていただくことにする。
本来全地域をとりあげていくべきものであるが調査期間が限られていたことと、いろいろ聞いてみると農村地域では年中行事などかなり同じものがあり重複しているものもあるので、意図的に省略したものもある。
ここでは当町の漁村的要素をもった地域と農村的要素をもった地域とに大別して整理した。
大網白里町北今泉―漁村のくらし
北今泉は旧白里町の漁村で本調査にあたっては石田源市(八十二歳)、上代齊(八十五歳)に主として地域の生活について語っていただいた。両氏とも代々当地に住み、地域の実情にくわしく、上代氏は先々代まで代々平左衛門を名のり、当地の網元として漁業を経営され、当家にはかって下田歌子が滞在していたことがあった。同家の古文書類は現在上代家文書として、国立史料館に委託されている。また石田氏は当地でずっと漁業と農業に従事している。
北今泉年中行事について
一月
元旦 この日は特に行事をもたない。
元旦と盆の十五日は浜おれ(り)してはならないといわれていた。
二日 各網主が水夫(かこ)をあつめ漁船に旗をたてて、船に御神酒を捧げ、沖へ出る。沖で船は南まわり一回、北まわり一回海上をまわる。これを「おさえばれ」ともいう。当日は網を海中におろさず、あがってきて、納屋でふるまい酒を飲んで祝う。この行事が、網元にとっていかに大切なものであったかについて上代氏が次のように語っている。
正月二日の船の出るときは、夜中の二時頃おこされて海岸へ行った。海岸では漁師が船出の準備のため元気よく走りまわっていた。全裸であった。漁師たちはいせいよくかけ声をかけ合い船をひき出す。私は網元の子で将来は家を継ぐということからこうした行事には必ず連れ出された。漁師たちは沖から帰って来ると御神酒で祝いあった。
この行事は、昭和三十年頃まで行われた。
三日 出初め 各地区単位で消防団が出初めを行う。当初は手押しポンプであったが、機械の調子をしらべる意味もあり、放水試験をして、あとは親睦会を行った。
七日 若葉の正月 男が仕事を休み朝七草の葉の入った雑煮を作る。また神社に年寄りが集まっておこもりして飲食を共にする。
十日 初寄り合い 仲間の世話人(二~三人)が当番で、その家に十五歳から四十歳ぐらいまでの男が寄り合い飲食しながら、新年度のきめごとをする。
十一日 ぶっちょめ 「みこし」を出して南今泉、北今泉を順に回わり悪魔払いをする。このとき「カゼ」をひいている人は厄払いをやってもらう。
蔵開き 家(蔵を所有する)の主人が米と酒を一升ますに入れて蔵に持っていって供え、大晦日に閉めたままの蔵をこの日、一斉に開く。
当地では片貝から「かっこ舞い」をたのんで、村中を回わらせた。
十二日 「みこし」 不漁の時には海岸の方からの依頼によって、浜に小屋を建て、一昼夜安置しておく。
十四日 柳箸(やなぎばし) 女の人が柳の枝を箸の長さに切り、先の方をとり、中にすじを入れ、わり箸のようにして一膳とする。男の人が餅を作ってそれに刺すのを、二本一組として十二組(一か年分)作り、神様に供えて、魔除けとした。また十五日の朝、小豆がゆや赤飯を食べるときに、この箸を用いたり、この箸を二組に分け、門松をとり払ったあとや、蔵の入り口にたてる。こうしたことをしない家では、ワラで束ねて神棚にあげておき翌年までそのままにしておく家もある。
子どもはこれを用いて「柳の棒がえし」というあそびをする。
また榊や柳の枝に餅をつけた「キワタ」を作る家もあり、木綿(きわた)の豊作を祈った。これは一般に「成木餅」ともいわれている。この日は松納めでもあった。
ホックリ この夜、子ども(五歳~十五歳ぐらいまで)の子どもが宿の家に集まり家から餅や薪をもち寄り、ホックリ棒という棒をたたきながら「ホックリ、ホックリ、ホーホー」といいながら家々を回り、食べ物や餅をもらい宿に持ち帰り食べる行事などもある(子供の行事参照)。
十五日 この日から二十二日にかけて「おびしや」がはじまる。(全く実施しないところもある)青竹に稲荷の大明神と書いた紙をはさみこれを立てたり、弓占い(お歩射・お奉射)を実施して、今年の作物(早稲・中稲・晩稲)はいずれがよいか、的にこれを書いて、矢のあたり、はずれで占う地域もあった。このときに「かっこ舞い」(三人一組にわとりの雄、雌、子どもを意味する)が村内をまわったが、後継者がなくて中断したままである。
写真 歩射
十六日 花嫁の年頭日 花嫁が嫁入り先の主人と共に実家に帰ってくる日。
十九日 子安講 家庭の主婦たちがお金と米一升、ごちそう一品ずつ持ち寄って子安様にこもる。子安講は年三回(一月十九日、五月十九日、九月十九日)実施する。最近は簡略化し一定の会費を払って料理店、すし店などで実施するところもある。
写真 子安神社(細草)
二十日 水神講 上代家で、奉謝諏訪大明神と美濃紙に書き竹を割った間にはさみ、捧げ持ち次の当番にわたす。当番になった家が宿となり酒五升、米、その他のものを会合の食物とし飲食を共にする。当番は五~六年に一回まわって来る。免田(ブシャ田)オビシャや講を開くための費用にあてるため村人が共同で耕作する水田、これは上代家の所有になっている。免田は二反ある。
二十日正月 お正月のおわりということで雑煮を食べ仕事を一日休む。
えびす祭 家ごとに、主人が納戸にしまってある、えびす様を外に出して、そば粉でそばを作る。又あげものやお金を供えてお金が倍になるよう祈る。年三回(正月、五月、十一月)ある。
二十二日 太子講 職人が(大工、左官屋、屋根屋)あつまり聖徳太子をまつり、その年の手間賃をとりきめる。
二十三日 二十三夜講 三夜さまともいう、旧暦で二十三夜の月があがるの待ち、男の人が集まり(当番の家)、米五合酒一升ずつ持ちより夜明かしでいろいろはなしをしながら月の出を待つ、庚申様とか青面金剛を描いた軸をかけたり、女の人が烏帽子を被った絵(月読命)の掛軸を用いたりする。片貝の月夜見神社ではこの日夜市が出る。
霜月三夜(十一月)は特に男のあつまりとされている。同時にこれは、正月の最後の行事とされている。
二月
初午 二月の初めの午の日 稲荷様をまつる。この日赤飯、油揚げ、メザシを供えて、この年の豊作を祈る。同じ白里でも、北今泉は漁業が中心であったので、初午はやらないが、四天木では農家が多いので、実施する。
節分 全地区共通の年中行事、年男というきまりはなく、若い男の人が豆を煎って神棚に供えてから「福は内、鬼は外」といって家の中を豆をまいて回る。家の戸口にヒイラギ、メザシの頭を立てておく、これは鬼を招き寄せるえさであると土地では言われている。
厄年の人は紙にお金と豆を包んで道の四つ角におとしてくると厄おとしになるとか、それを拾った人はすぐつかってしまうとよいともいう。
八日 チャワビ 箕に子どもを入れて、米、豆、お酒を供えて子どもの無病を祈る。種痘のすんでない子どもの「ほうそう除け」のためにやる。この日とりあげばば様は米一升三合を持ってくる。そしてシイの葉の入ったお茶と赤飯を三回ずつトウシに通す。
二月一日 ブシャ祭り(武射、歩射) 旧暦の二月一日に男の人たちが十五間もある大きな竿に白地に神功皇后を描いたのぼりを三日間立てる。あがりマチ二日、よいマチ二十八日か二十九日、植木市がたつ。諏訪神社ではこの日獅子舞いをやり、大漁があったときは網主が来ておこもこりをした。昭和十六年に新暦に改めて実施したところ火災がおこったので、その後再び旧暦にもどった。
三月
三日(旧暦) 女の節句 女の子のいる家でおひな様を飾り、海岸にゼンナ(蛤の子)を取りに行く。また草餅をこしらえる。現在はほとんど新暦で行う。
写真 おひな様
十八日~二十五日 春彼岸 被岸の入りに女、子どもが数人で線香と花をもって墓参りに行く。中日にはお餅、あげものを作って仏様に供える。新仏のある家では、お寺に行ってお経をあげてもらい、七日間のうちに団子を作って、仏様に供える。
下旬、種まきびゃり(ヒヤリ) 苗代に種まきがおわったあとで、集落内の宿の家にあつまり午後から飲食をともにする。
四月
一日 役員引継ぎ(三月下旬に行うところもある)。
八日 おしゃか様の日 花まつり、茶あびといって寺院の共通行事、現在はほとんどみかけない。
十二日 お題目講 六十歳以上の男女が当番の家にあつまって、念仏を唱えて、その後飲食を共にする。
二十三日 春祈禱
五月
五日 端午の節句(共通行事) 餅草と菖蒲の葉と三本ずつはさんで軒に置く。四日の晩に菖蒲湯をたてる。各個人の家で招待された近所の男の人が田んぼで凧あげをしてくれる。正月には凧あげをしない。又この日は数日前より男の子の生まれた家では嫁の親もとや親類から贈られた鯉のぼりをあげる。
写真 鯉幟
六月
一日 タケンコツイタチ 家の主人が竹の子の少し成長して枝の出かかったものを切ってきて苗代に持っていく。この日には農作業を休む。
二十三日 新箸祝 男の人が、ススキを箸の長さに切ってきて、朝一度だけ赤飯を、この箸で食べる。又これを神様にあげると病気にならないといわれている。
このほか日は定まっていないが「さなぶり」がある。これは田植えがおわったあと、田植えを手伝ってくれた人びとを招き餅をつき、苦労をねぎらう。「マンガアライ」とか「ノアガリ」ともいい、農具に餅を供えるところもある。
七月
一日 釜蓋朔日 この日はお盆の仏の来る前触れの日で、女の人が団子を作って仏様にあげる。
四日 新盆市 新盆の人は、東金・茂原に燈籠や仏様のゴザ、菅笠、膳、お椀を買いに行く。
七日 燈籠立て 新盆の家に、近所の男の人たちが朝早く行き新しい燈籠を立てる。
これは二十四日まで立てておく。又二十四日には御前様(僧侶)にフジモン(諷誦)をたててもらう。燈籠の灯は毎晩つける。又、ナスの実に足をつけて飾る。
七日 虫送り 六尺の竹を切って、その先を裂き、おさげ髪のように苗をしばりつける。あるいはネムシがついて芯が赤くなった稲をぬき、縄で竹につけて隣の集落との境まで持っていく。また小麦まんじゅうをつけて諏訪神社にもって行く。諏訪神社では神主がおはらいをして、氏子の主な人が集まってお酒を飲む。
七夕 ワラやマコモで馬を作り四つ車の台車にのせて道をひいて歩きまわった(カヤカヤ馬とかカヨカヨ馬という)。馬の首に短冊をぶら下げたりする。田のヒエを刈りとって、その上にカヤカヤ馬をのせる。
井戸さらい この頃に井戸の掃除をする。お盆のときに使用するものをその後で洗う。
十三日~十六日 お盆 盆棚は高さ三尺、幅は大きいもので、たたみ一枚分ぐらいのものもある。ここに盆ゴザをしき、正面の柱の部分に盆花(夏に咲く赤紫色の野生の花、ミソハギ)とススキをしばりつける。上の四隅にチガヤの葉でなった縄をめぐらし、その縄に色紙で細工をしたものや、稲の穂、ホウズキを飾る。盆棚の下に無縁仏用のものをあげる。新盆の家では十二日に盆棚をつくり、一般では十三日の午前中につくりつける(棚つりという)。団子やお供えものをあげる。
写真 盆棚
(十三日)迎え盆 提燈をもって家中で夕方早く墓参りに行き線香をあげて帰り迎え火をたく。
(十四日、十五日)朝夕ごはんをあげ、仏様に水を供え、昼はそうめんやうどんをあげる。夕方は線香や花をもって墓参りをする。
(十六日)おくり盆 ろうそくをつけて墓参りをし線香をあげて帰り、送り火をたく。里芋の葉や、蓮の葉に盆棚にかざりつけたものや、お供えしたものをくるみ、以前は近所の川に流したが、今は川を汚すということで家の庭のすみに片付ける。
またこの盆の行事は、現在多くの地域では月おくれ、八月の同じ日に実施している。
二十日 ボサマ踊り 男女が海岸に行ってやぐらを建てて、歌をうたいながらおどる(盆おどり)。現在は地域行事として別にやる地域が多いが、盆踊りの起源はここからきている。
二十四日 盂蘭盆 仏に団子を供える。
七月の土用 長生郡から神主さんが来ておはらいをして、神社で御神酒をいただく。子どもが稲の穂を切ってきて、それを竹に小麦まんじゅうと一緒にくくりつけ田の中にさしておく。
八月
一日 八朔の節句 台風の害を軽くしてもらうように祈り、しごとを休む人が多かった。この日には、おはぎを作って食べた。
十五日(旧暦)月見
九月
九日 重陽の節句
十日 神渡し
十三日(旧暦)月見 女の人が里芋、サツマ芋、栗、枝豆をますの中に入れて供える。
二十九日(旧暦) 諏訪神社で、若い人たちが獅子舞いを奉納する。
二十日~二十七日 秋彼岸 中日には団子を作り仏様に供え、墓参りをする。
十月
一日 おたち 餅をついて神仏に供える。
十二日 御難のぼた餅 日蓮聖人の小松原法難の日にあたって、ぼた餅を供える。当地では、このぼた餅をたべずに出漁した漁師が沖で突風にあたってひっくり返って死んでしまい、あんこだけでもなめて行こうと、できるまで待った漁師は助かったという伝承があり、信じられている。
二十日 エビス講 従来は旧暦でやったが、現在は新暦で実施している。エビス様にお金をあげてお金がたまるよう願をかける。メダカ、フナなどを神棚や床の間にあげる。
十五日 月見
二十九日(月遅れ)奉謝祭 ウブスナ様諏訪神社の神主がおはらいをして、氏子の主な人が集まり祭典に列席し御神酒をいただく。
この日は嫁に行った女の人は、実家に帰る。甘酒、餅、赤飯を作って稲荷様に供える。
三十日 おかえり 餅をついて神様に供える。
写真 大網の秋祭
十一月
十五日 ヒモトキの節句(七五三) 七歳の子どものいる家では、親せき、隣近所の人が祝儀をもって祝いに来る。嫁の実家から祝もいをもってくる。惣領の子どものときは一番盛大にやり、他の子どもの時には、おばばのヒモトキといって簡単に行う。この日は氏神様へ参拝に行く。
二十三日 三夜講(一月の項、参照)
十二月
一日 はなみだちの朔日 餅をついて神様に供える。
十三日 煤払い ささのついた青竹を切ってきて、それで煤を払う。雨が降りそうな時は前の晩に切ってきて、家の中に入れておく(ふだん笹竹は家の中には入れない。葬式の時だけは例外)。この日は、たたみ、母屋のものすべてを外に出して、庭で干す。
十二月の甲子の日 網元などの家では餅をついて神前に供える。世帯主が当番の家に酒二升を持ってあつまり、甲子の掛図をかけて飲食を共にする。甲子は六十二日ごとにあり、正月の最初の甲子の日は初子といい、年内に七回あり、一回ずつ持ち回りでやる。
三十一日 晦日そば この日はお風呂の水を落し、下水の水を汲みあげてしまい年越しをさせない。総てのしごとをおえて除夜の鐘をききながら晦日そば(年越しソバ)を食べる。
以上は年中行事を月別にとりあげたもので、北今泉地区は行事が比較的多い土地の例としてとりあげた。当地には「嫁、むこをもらうなら今泉」という俚言があり、祭礼や行事が多く、今泉から嫁やむこに行った人は公然と帰って来られるし、先方はその度に招待されるので一方的にもらいものが多いので得だという意味があったという。
最近は虚礼廃止、新生活運動などが盛んに言われるようになり、次第に簡素化の方向にすすんでいるし、食糧事情もよいので、餅をついて食べたり、酒を飲みあうことも(自動車の普及、飲酒運転の禁止などから)少なくなっている。
正月の子どもの楽しみに「お年玉」があり、今は「何万円も貰った」という驚くべきことがあるが、むかしは下駄とか新しい着物を祝ってもらい、それを身につけて、お年玉としてお金をもらうことはほとんどなかった。年頭回りといって親のおつかいに親類などへ物を持っていくと、「ごほうび」としてわずかなお金をもらい大喜びしたものである。現金収入が特定時期に限られる農村生活では現金は大切にされ、わが子といえども、むやみに現金をもたせたり、与えたりはしなかった。それでも人びとは年中行事をみると、季節ごとにいろいろな行事をもって生活を多様化する工夫をしている。飲食を共にする機会が多いのは注目すべきことであるが、ここにあげたものが総て今も行われているということではないが、きびしい重労働である農作業をやりぬくためには行事をもって、いろいろなものを食べあうことが栄養のバランスをとる上で大切であったのだと語ってくれたかたがあった。
次に、当町各地域で聞きとり調査によって出てきた年中行事を表1に整理した。
月 | 日 | 行事名称 | 内 容 | 備 考 |
1 | 元旦 | 氏神様へ初詣 御嶽神社のりと交換会 | 2日、4日お寺に年賀に行く | |
2 | しごとはじめ | くわ入れの行事をやる。 | この他正月、五月、九月に観音講をやる | |
5 | お武射(おびしゃ) | 神主が来て榊の木で弓を作り的に稲穂、野菜を書き弓で射ってこの年の豊凶を占う | ||
14 | ドンド焼・木綿(きわた) | (子供の行事参照) | 3日には山初めあり | |
15 | 小豆がゆの神事 | 7日は山に入ってはいけない | ||
23 | 二十三夜講 | 一月・五月・九月・十一月掛軸をかけて月の出るまで飲食する。 | ||
25 | 天神講・子安講 | 26日 女のヒヤリ | ||
2 | 初午 | 初午講 | ||
節分 | (二月の項参照) | |||
8 | 子安講・題目講 | |||
10 | 琴平講(こんぴら) | |||
11 | お武射 | 御嶽神社に神官を迎え御マト弓の神事。 | ||
〃 | 熊野神社祭礼 | 熊野神社の神事。 | ||
16 | 子安講 | |||
28 | 不動様 | 僧侶の的射は珍しい行事、第一矢早稲、第二矢中稲、第三矢晩稲の出来を占う。 | ||
3 | 3 | ヒナ祭り | 女の子の節句 | |
彼岸 | 彼岸普請 | 川普請を行った。用排水路を清掃し流れをよくした。 | ||
月末 | 地区総会 | 一年間役員交代、予算、決算の承認 | ||
4 | 8 | 花祭り | 各自の家でやる。 | |
川ざらい | 水路清掃この頃より種蒔をはじめる。 | |||
三峰講 | ||||
5 | 5 | 端午の節句 | 男の子の節句、鯉のぼり、タコをあげる。 | |
6 | 7 | 天王様、八坂神社祭礼 | 6月1日新箸の行事をやった。戦争で中断 | |
旧27 | すすき箸 | |||
7 | 6 | 虫送り | 稲の害虫駆除祈願(七月の項参照) | |
7 | 七夕・カヤカヤ馬 | (子供の行事参照) | ||
〃 | とうろう張り | 新盆のうちでは盆の準備、現在は月おくれで八月に行う。 | ||
8 | 1 | 八朔の祝い | 餅をついて祝う。 | |
〃 | 柏原神社清掃 | 現在は八月第一日曜日区民全員による | ||
〃 | 川ざらい | 水路の草刈り清掃、区民全員による。 | ||
8 | 犬の供養 | |||
16 | 正法寺施餓鬼法会 | |||
9 | 1 | おたち、祭礼 | 豊作を祈念したもの、祭礼執行者の打ち合わせ。 | |
6 | 中祝 | 赤飯、油揚を供える。 | ||
9 | 稲荷祭 | |||
12 | そろい(仕上げ) | |||
13 | 月見 | |||
19 | 悪魔払い | 獅子舞い、芝居をみる。 | ||
20 | 悪魔払い | |||
〃 | 子安講 | |||
21 | のぼり返し | 祭礼がおわる。 | ||
10 | 9 | 柏原神社祭礼 | ||
10 | 13・15 | 御会式 | ||
15 | 八幡社祭礼 | |||
20 | エビス講 | エビス様、お金、メダカ、エビ等を床間にあげお金がたまるように願をかける。 | ||
11 | 3 | 秋祭り | ||
12 | ご難の餅 | |||
15 | 七五三の祝い | (十一月の項参照) | ||
12 | 31 | 晦日ソバ(年越ソバ) |
行事内容は最初にあげた北今泉地区のところに記されている。またここに記述されていないから、その地域の行事としては、行なわれていないということではないことを付記しておきたい。