② 家号と家印

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 当町にかぎらず、むかしの家はすべて家号(やごう)をもっていた。当主の名前でたずねるよりも、家号でたずねたほうがはるかにわかりやすいというのが家号の効用でもある。それは名前は代がわりすると変わってしまうが、家号は変らないからであろう。
 またそれと似たものとして家印がある。成城大学民俗学研究室の『伝承文化』に四天木新栄の調査があり、そこに次のように当地区の家印の使われ方を紹介している。「家印は昔、浜で鰯などを分ける時、山にした鰯の上に、貝殻の中に家印を印して山の上にのせて他家と区別するのに使った……」こうしたことは年貢の貢納のときに俵につめた年貢米の区別をするときにも用いたであろう。文字が読めなくても記号として判別の手がかりになり用途は多かったと推測できる。ここに全町域をあげることはできないが、編さん委員の佐久間孝三・地挽勝三が調査した当町山辺・瑞穂・増穂地区の一部の家号と家印の関係を事例としてとりあげてみた。すでに家印の効用は失なわれており、わからないとか、家の実印と感ちがいされたりしたものもあり、家号と家印双方がのこっている事例が大変少なくなっていることにも注目したい。
 このようにして家号と家印を対比してみると、この両者が相互に関連していることがわかる。家号は大体その家の数代前の当主の名前などをとっているものが多いが、家印はその人の名前の記号化である。むずかしい文字は略字化、カナ書き化して同表現の文字には○(マル)・□(シカク)などの枠がこいをしたもの、∧(ヤマ)・「(カギ)などがつけられ区別されている。このこと自体江戸時代以降のことであるので、家印の成立も江戸時代以前にさかのぼることはない。但し商業の場合は別である。したがって同一地区内に同じ家印が残っているとすれば、それはどちらかが後に分家などの相続行為があり、家印も二~三戸の家で同じものを使用するようになったのであろう。しかし近・現代においては、家印は実用よりも形式的なものとなり、何軒の家が同じものを用いたとしても支障はないので、問題にされない。しかし原則としては同じものが同一地区に存在しないというのが家印の正しいあり方を残しているものといってよいであろう。

表2 家号と家印