目次
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第二部 郷土の生活と文化
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一 村のくらし
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(3) 神社・寺院及び祭礼
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① 大網白里町の神社
八幡神社
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当社は宮谷にあるため一般に宮谷八幡といわれている。祭神は市杵嶋比売命、田心比売命、多岐津比売命という「宗像三神」といわれる女の神々で、海の神、航海安全の神で海人系の氏族の崇敬を受けた神々であった。当社はこれに誉田別命を祭神に加えている。当社の歴史はくわしくはわからない。八幡宮と称しかなり古くからあったらしく、当地を宮谷というのはこの神宮があったことと地形が結びついたものといわれている。
写真 宮谷八幡
文明年間土気城主酒井定隆は当社を崇敬し、城の鬼門除として社殿を修造した。永禄四年、酒井胤治が社殿を修造し、毎月卯の日を以て参詣し、あつく崇敬した。酒井氏は本国寺を当社の別当寺としたが、明治に入り神仏分離で大網神社と命名され郷社に列せられた。その後明治十三年四月再度現在の八幡神社と改称した。末社二十四社あり、明治三十九年十二月幣饌料供進指定を受ける。
(『山武郡郷土誌』・『千葉県誌』上巻)