増穂地区の木崎字宮面にあり、祭神は藤原長良公を祀っている。藤原長良は仁寿四年権中納言、斎衡三年従二位を授けられ、この年七月に没した。その後太政大臣の位を追贈された。そのため藤原長良を祭神とする当社は太政大神社とか太政神社といわれるようになった。当地に藤原長良が祀られたのは為政者として、国の本たる農民を大切にしたためであるという説がある。一方異説としては中世に京都から身分の高い公家が当地に幽閉され、ここで没したのでその霊を祀ったというものがある。元禄年間に一宇を建立、文久三年現社殿を再建、当地の産土神とした。
明治の初め柴山典が宮谷県の長官として在任したとき、これは菅原道真を祀ったものであろうと考え菅原神社の扁額を自書して納めたが、土地の人は依然として太政神社と称した。明治初年村社に列せられた。
(『神社名鑑』・『千葉県誌」上巻)
写真 太政大臣神社