当町白里地区四天木字宮脇にあり、祭神は豊受姫命で、この祭神は伊勢皇太神宮、外宮の祭神で稲の精霊の神格化されたものとされている。当社の創立は天正年間以前であろうという伝承もあるが、はっきりしたことはわからない。宝永五年神主佐久間善右衛門を始め、惣氏子がまとまって奉斎し稲荷大明神と奉称し、御神体は寛保二年九月木像で作り、要行寺住職日潤により開眼、宝暦九年山城国から正一位稲荷大明神を当社奉遷安鎮した。
天保十二年には当社殿を再建し、当時は稲荷神社と称していた。明治四年郷社に列せられ、以後稲生神社と称するようになった。
当社には近・現代の庶民生活の状況を描いた、たくさんの絵馬が奉納されていて、土地の人びとの当社への崇敬がたかかったことがわかる。
(『神社名鑑』・『千葉県誌』上巻)
写真 稲生神社