当町宮谷の法流山本国寺は日蓮宗妙満寺派に属する寺院であるが、古くは真言宗の寺であり善興寺と称した。文明三年五月に日肝上人の教化で日蓮宗に改宗、寺号を法流山本国寺と改め、京都の日蓮宗の寺院妙満寺の系統に属した。以来当寺は寺運隆盛、末流の寺院十九か寺を有した。天正十九年十一月、徳川家康より寺領十石を与えられた。元和八年に本山第十一世日純上人と幕府の重臣久世広宣の紹介を得て二代将軍徳川秀忠に謁し、当寺に於て檀林開設の允許を求め許された。ここで日蓮宗勝劣日什門派僧侶養成の大学林、宮谷檀林が発足した。当時造営された建物は、当宮谷の山中四方にひろがり、修業のために集まった僧は八百余人を越えたと言われている。
明治維新後、明治二年二月二十日宮谷県庁がここに設置され、本国寺は本堂と学寮五、六坊を残し、他は総て県庁の事務をとるために提供され、明治四年木更津県の発足と共に県庁は木更津へ移転した。
現在は往時の大規模な堂塔伽藍は存在しないが、広大な寺域の景観に当時の盛況を偲ぶことができる。
(『山武郡郷土誌』・『千葉県誌』上巻)
写真 本国寺