鳳凰山要行寺

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 鳳凰山要行寺は当町四天木にあり、当寺は正和四年四月、日報上人が創立した。はじまりは当地字殿里の中村三左衛門が日報上人に帰依し、その邸の一部に寺を創建し、日報上人を開山とした。しかし、その位置がよくなかったため、慶安三年に現在のところに移った。その後安永三年火災になり建物を全焼した。しかし、その後すぐ再建した。
 当寺は本門法華宗中本山で、大本山鷲山寺兼帯所である。元和二年当寺の住職日暁上人がはじめて兼帯所としたが、後に鷲山寺第十二世の住職に昇進したが、鷲山寺にいかず、要行寺に在住したため、兼帯寺の古例をのこし、その往来にあたっては、要行寺は、鷲山寺の資格と同様幕府から十万石の大名と同じ格式を付与されたという。

(『山武郡郷土誌』)



写真 要行寺