昭和の初期まで、南横川の四百尻を水源とする四百尻川という川幅四・五メートル、深さ一メートル位の小川があった。星谷から南横川へ通ずる四百尻川の今関橋下流約百五十メートル位のところに、釣鐘淵と呼ばれる一か所だけ深い場所があった。ここは今から三百六十年位前、お塚山に日経上人が建てた宝立山方墳寺が怪しい宗教をひろめる本拠地だとして、幕府の代官三浦監物(大網蓮照寺に墓がある)によって焼打ちされた。そのときに当寺の釣鐘が難をのがれてひとりでにごろごろ転がって、この淵へ沈んだということから、この名称があるという。
なお一説には、焼打ちを知った信者がいち早く駈け付け、ここに釣鐘を隠したともいわれる。この説の方が信用できるが、おそらく後の詮議を避けるため、釣鐘がひとりでに転がったというはなしになったのであろう。四百尻川は後に河川改修により、現在の小中川になった。