南横川と富田の境に妙法山方墳寺(南横川)というお寺があるが、その境内の北側道路寄りに大きな椎の木がある。この下は昼間もなお暗く陰気なムードがただよっている。
この場所は、かつて江戸時代五代将軍徳川綱吉の時代に、ひとりの百姓が斬罪にされた場所であるという。はなしのはじまりは、この近所に住んでいた百姓の家をたずねた村役人は犬の敷皮をしいている主人を見て「恐れながら」と知行所に届け出た。当時は「生類憐みの令」が出ていて、犬や猫などを殺したら死刑という時代であった。そこで本人は捕えられ斬首、一家は追放、家屋敷は没収され、その首はそこから約二百メートルほど離れた小橋のたもとに晒首にされた。今はその橋もないが、獄門橋とよばれ昭和三十四~五年の土地改良まで残っていた。