目次
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第二部 郷土の生活と文化
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二 伝説・伝承
⑥ 四天木の地名
1229 ~ 1229 / 1367ページ
当町の四天木は白里の一部であるが、当地の古内家に四天木縁起が残されている。これによると往古は四天寄と書いたという。戦乱で京都の寺が焼失したとき、その寺の四天王像を海中に流したところ、それが当地の海岸に流れついたので四天寄と称する。但しこの四天王像は再び海中に流され、山武郡の緑海村に漂着し、同地松ケ谷にまつられ四天様とあがめられている。四天木の集落はこの四天王像の漂着したあたりから開けているという。