四 方言

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 大網白里町は、東京からわずか五十キロ近くのところにあるため、近・現代に至っては、その影響が大きく山武郡内の他地域に比較して、方言といわれるものが姿を消している。
 特色といえば、他地域の人とはなす時は、標準語を自由に使いこなし、一方同一地域内の人とはなすときは発音まで変わり、方言を用いてはなし合うのが全く不自然に感じられないことである。
 しかし、それも次第に変化しつつあり、方言は姿を消しつつあるといってもよい。
 上総地方は、むかしから「ベエベエことば」といわれ、「行くベエ」「もどるベエ」と語尾にベエをつけたり、あるいは「寒かっペエ」とか「よかっペエ」と語尾に半濁音のペエを付けるのが一般的である。この方言も従来の研究では、木戸川を境としてかなり差異があり、当町域を含む山武郡南部では、し・す・ち・つの区別を誤り、「梨」も「茄子」も同様に「ナス」と発音したり、「橋」と「箸」も「ハス」と聞こえるような発音をすると『山武郡郷土誌』は記しているが、これは当地方の「国語教育」の成果といえるか、ほとんど姿を消している。けれども、清音を濁音に発音したり、「イ」と「エ」を混用することは、たとえば「敷居」のことを「シケエ」と言う用法で残っている。ここでは、そのようなことまで、とりあげていてはきりがないので、一応単語で、当町域の方言の特色を示すものを中心としてまとめてみた。したがって、ここにあげたものだけが当町域の方言ではないことを、前もって了承し参照してほしい。次に方言を一覧表の形式でまとめて掲載する(表7)。
表7 大網白里町の方言一覧表
方言標準語
アブクあわ(泡)
アオッチレ青白い
アオノケあおむけ
アガットあがり口
アカマンマ
アカッパジ大恥
アキッペーヤローダあきっぽい男
アクタイ悪口
アサッパラ
アシタンアサ明朝
アジョニモどうにも
アスブ遊ぶ
アタマンケ頭髪
アタツパあたりちらすこと
アッチあちら
アツコムまたぐ
アッペコッペつべこべ
アッポ汚物
アッパトメルろうばい
アナモロ
アニなに
アニサなにさ
アマンダレあまだれ
アマッタレ甘えん坊
アマッチョつば
アラヌカ籾から
アメンボつらら
アリンボ
アンダ・アンシタどうした
アンモ何も
アンヤンドンあの野郎共
アンケェあのくらい
アンベェワリイ調子が(病気など)悪い
アンコ鳶職
アンコロモチ饀餅
アンナゴあの女
アンナゴドンあの女達
アンヤロあの男
アンヤロドンあの男達
アンデェなんで
アンベェあんばい・味をみる
アンサーあのね
イイッペいいだろう
イカッペ
イイアンベェ
イイデンヨーよいではないか
イイデンカイ
イェーおい
イケェスカネェー意(心)が好かない
イシナンゴくるぶし
イスス石臼
イタッパ板きれ
イッカイおりますか
イッチヤ一把
イッサキ一番先
イッテンベェ行って見よう
イッケェ大きい
イッコクモノ剛情者
イビけむたい(煙)
イナゴ乾いた砂
イナサ東南の風
イネンホ稲穂
イグベェ行こう
ウグシ屋根の棟
ウスベッテェ薄ぺら
ウスバカおろかなもの
ウソッコうそ
ウッチョメル埋める
ウッチャル捨てる
ウテェにぶい
ウナウ耕す
ウンテェ重い
ウヌラお主ら
ウンナラガス馬力をかけること
エーサンコ良い気分
エーキブン
エンガワ廊下
エンデェ涼み台
オイネサーいけない
オイネェコッタ困ったことだ
オエル終り
オジッポロ長男以外の男
オシャラク着飾る
オセェーおそい
オセル教える
オッケ味噌汁
オッツァレル叱られる
オッペシ漁船を押す女の人
オッカナガリボーおく病者
オッダガ俺達が
オッカンネェー恐ろしい
オッタス追いだす
オッコロス殺す
オッサヨ相槌をうつ
オッパナス放す
オバ長女以外の女
オケイコネッネコ
オボキうぶ着
オヤドン両親
オラゲ我が家
オンカ公然
オンマス追い廻す
カッタテル・カンマスかきまわす
カッポセェやせている
カックラッテル頭がおかしい・大いに食べている
カックラスなぐる
カベッタ稲刈あとの一番耕起
カヤ炊木
カラバカ大ばかもの
カラキッテさっぱり
カンカ(カンコ)子供の下駄
カンピンタンやせこける
ガブクッタ水の中に落る事
カワイソギニかわいそうに
ギタギタひどく疲れる
キッポシレテルたかがしれている
キッタンネェーきたない
キドコネかりね・うたたね
キビショ急須
キノンバン昨晩
キモガイレル腹が立つ
ゲンナリうんざり
クゲンスル苦労する
クタバル死ぬ
クッタイください
クッチャメまむし
クッチャベルよく喋る
クッカクかみつく
クネ垣根
クマゼ熊手
クロ畦畔
クンノムのみ込む
ケエベヤア帰ろう
ケタクソワリイあと味が悪い
ケッタカア帰ったか
ケツネンポけち
ケッポレェ気配
ゲッポ嘔吐
ケッタリイだるい
ケード屋敷入口前の道
ケッタグル蹴っとばす
ケラババおけら(虫)
ケンコ貝がら
ケントンネェ見当もない
ゲーモネェ無駄・無益の意
ゲレッポ最下位
コエー・コワイつかれた
ゴザッパタキ最後まで居残る
コシテクレゆずってくれ
コジャー間食
コスイずるい
コソッペーくすぐったい
ゴーロ土の固り
ゴッタク炊事
ゴモクタごみあくだ
コットズレ俺たち
コッダケこれだけ
コッデサこれで
コッペツクナ文句をいうな
コバッコ端の方
コマッチャクレなまいき
コンヤッドンこの子供等
ゴロンボカジリ間食の好きな者
サルゲオチルおっこちる
サゲオチリ
シケェ敷居
シッケンナンネェどうにもならない
スッカたくさん・いっぱい
シマァベェーおしまいにしよう
シメシおむつ
シャガム(シャゴム)かがむ
ジャンボン葬式
ジョワコ娘っ子
ションネェヤロダしょうもないやつだ
ジョウボ屋敷の入口
ショウシィはずかしい
ショロビクうしろに物を引く
スケル助ける
ススタッケェうるさい
スッタレ泥はね
スッポンズリおいてきぼり
スッケェーすっぱい
スノバ納屋・小屋
スベタ女性にする悪口
ズリィずるい
セグル他人の土地をけずる
セナヤロウ長男
センザシボウ心張棒
センゼェ野菜
ゼンゴぜんまい
ゼンナ蛤の小さいもの
センニ先ごろ
スナッパラェー行事の後の慰労会
ソクソク除々に
ソソビ失火
ソコラントコその辺に
ソウダッペそうでしょう
ソブク引く
ソッポ外の方向
ソンデネクテンそれでなくても
ソロット静かに
ダエソレタ大ごとな
タケェー高い
ダスベー物を与えること
ダダッピレェー非常に広い
タッボたにし
ダッペェーだろう
タテメエ棟上げ
タマゲルおどろく
タマンボ黄金虫
タルイレ結納
タレェたらい
タンケェからす貝
タンゴロマンおたまじゃくし
チヤッケェ小さい
チットバリ少しばかり
チッコ
チャブケ茶うけ
チョウスだます
チョウバックカタルうそをつく
チンドロサッケェー血まみれ
ツットスさす
ツマッカシイ質素にする
テショー小皿
テビ小さいみぞ・水路
テンカラはじめから
テンデンコ自分自分に
トウシミ灯心
トウレエ後妻
ドウコぶりき缶
ドク退く
トッコスとおりこす
トッパグルとりはぐる
トッパドス仕損ずる
トッペッモネェ途方もない
トッツェル取押える
ナゴ女子
ナサネエイカ生まないか
ナシタカ生れたか
ナラシ稲架
ナレェ東北の風
ナント
ナンヨー・ナーヨーお手玉
ニシ・ニシラお前・お前等
ニヤバ母屋の土間
ヌカッポぬかるみ
ヌクトマル暖まる
ヌルマのろま
ネジクルつねる
ネエショ内緒
ネネッコ赤子
ノゲッタぬぐった
ノスタケ外板張
ノーノーさん曽祖父母
ハシケェいたがゆい
ハジッコすみ(角)
ハダツ事をはじめる
ハッチャセルぶつかる
ハッカスルがをはりあう
バッチョウ大工
ハドス仕損ずる・はずれる
ハバキ田ももひき
ハヤスからかう
バンゲ
バンガタ夕方
バンコ料理人
ハンナグルぶんなぐる
バンドシ夕食の仕度
ヒザッカブひざ
ヒシテ終日
ヒックジケル折れる
ヒッチョウ負ふ
ヒッチョビク引づる
ヒテップシィまぶしい
ヒデェひどい
ヒトカタケ一食
ヒトマルキ一束
ヒマチ休日
ヒヤッケェつめたい
ヒレェキ広い
ビンチョいびつ
ブコッネーぶあいそう
ブタグチ三角袖の上衣
ブッカク割る
ブックスこわす
ブッケッタたおれる
ブックヂク打ちくじく
ブッタクルうばいとる
ブッツァバク引きさく
ブッパタクたたく
ブッタセ出せ
フンヌク引きぬく
ブンマス追いまわす
ヘェッツクバル頭をぺこぺこさげる
ヘクソモナンネェー何んにもならない
ヘナッチ粘土
ヘナサマひなさま
ボウチョウタカリ頭にできもののできた人
ホキルよく育った
ホコス火を焚きおこす
ホソックリ細いひも
ボッカ根株
ボッコス打ちこわす
ホッタラケェス投げやりにする
ボテフリ魚の行商人
ホンコン本気
ホマチへそくり
マガット曲り角
マキザッポまき
マットもっと
マチおまつり
マブル混ぜる
マヤ馬小屋
マルク束ねる
ミテクレみばえ
ムケュドキ丸一年
ムグルもぐる
ムセェ容易にへらない
メエメエタツボかたつむり
モエッチャリ燃え残り
モク
モゲェ可愛い
モジクもぐ
ヤケッツリやけど
ヤッベェ始めよう
ヤッカムこねむ
ヤットンコラショようやく
ヤッケェやわらかい
ヤベ一しょにこい
ヤマ眉(まゆ)
ヤロッコ男児
ヤンデコイ歩いてこい
ヤンメはやり目
ヤンドン野郎ども
ユケ湯手拭
ヨコッピン横鬢
ヨッピテひと晩中
ロクデネェーいじわる
ワケェモンドン若いものたち
ワザントわざと
ワッツァケルわれる

 方言といえば、なにか「いなかくさいもの」と単純に思われがちであるが、その土地の生活の中で長い間に培かわれた貴重なものであり、その地域の特色をよくあらわしているものである。千葉県に於ても県南と県北、東京湾側と太平洋側ではそれぞれ異った特色をもちながらなお全県に共通したものを有している。
 古典落語とか、歌舞伎劇の「生世話物」のせりふの中には、こうした方言を知っているとよく意味のわかる場合がある。このことからも往時の方言は、その活用範囲はかなり広く房総もこの範囲に入っていたのであろう。江戸が東京となりどんどん変化していったのに対し、当地域などは、こと方言に関しては、そのまま往時の用法をのこしていたともいえる。方言をつかえということは時代錯誤であろうが、記録として残すことは大切なことであると考え、特に一項を設けここに記した。
 民俗関係の聞き取り調査にあたっては、次の方がたに、いろいろと御協力をいただいた。本来ならば各項にその名を記すべきであるが、ここにまとめて記しておくことで御了承いただきたい。
 
   大網地区
 三島春枝氏(77歳)、河井清氏(82歳)、立川虎雄氏(82歳)、河野きく氏(74歳)、中島城氏(78歳)、四之宮一義氏(73歳)
   山辺地区
 高山守夫氏(76歳)、山田武雄氏(73歳)、花沢清氏(75歳)、飯田於莵雄氏(70歳)、小金井金市氏(60歳)
   瑞穂地区
 土屋清平氏(75歳)、秋葉平氏(65歳)、岩瀬武雄氏(70歳)、今井戢氏(75歳)
   増穂地区
 土屋一氏(73歳)、石橋順氏(70歳)、板倉利平氏(70歳)、中関邦夫氏(55歳)、岡本佐知氏(60歳)、小川嘉治氏(76歳)
   白里地区
 四ノ宮慶作氏(79歳)、石田源市氏(82歳)、上代齊氏(85歳)、古川久幸氏(76歳)、佐久間明氏(68歳)、吉田一平氏(76歳)、斉藤俊子氏(82歳)