大竹から大網市街を望む高い丘陵の北側斜面に位置する。
永禄四年(一五六一)に時の大網城主、板倉長門守によって再建されたといわれているが、現在の建物はその後の手になるものである。
中央の本社祭神は誉田別命であり、様式は一間社流造と呼ばれるもので、組物(くみもの)は二手先を用い、彫刻を多く配置する。右側の小社は天照大神、独立した棟持柱を持つ神明造の様式と、流造(ながれづくり)とを折衷した形式である。左側の小社は春日大明神、やはり一間社流造で、ほぼ同じ様式である。年代は、本社が十八世紀の後半、小社がいずれも十九世紀の前半と推定されている。
昭和五十八年に大改修を行い、本社は蟇股(かえるまた)や海老虹梁(えびこうりょう)等はそのまま使用し、復元された。
写真 宮谷八幡宮本殿