建造物 小西正法寺の講堂・中門及び扁額

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(昭和四十七年五月一日付)(口絵参照) 所在 小西七五五 所有 正法寺
 
 正法寺は、長禄二年(一四五八)、小西の城主である原胤継が日意上人を招いて開山した。江戸時代には関東法華三檀林のひとつと称され、学僧九百人余を擁したといわれている。
 本堂(元の講堂)は、寛文十一年(一六七一)に将軍の鷹狩りの宿舎であった東金御殿にあったものを移築したと伝えられるが、現在の建物は、江戸時代後期の建築をさらに近代になって修理したと推測されている。建築様式は、四角の柱を用いた住宅風で、おそらくその前身である旧御殿の建築の影響をとどめたものという。
 中門は、延宝六年(一六七八)建立といわれ、唐様の切妻造四脚門で、虹梁に浮彫された象の頭部に特色があり、江戸時代中期のよく整った様式を有している。県内に於ける該期の四脚門としては優れた作であるといわれている。
「妙高山」の扁額は、第一一一代、後西(ごさい)天皇(在位一六五四~一六六三年)の皇女理宝宮の手によるものといわれ、額の中央上段に菊の紋章がある。