(昭和四十七年五月一日付)(口絵参照) 所在 南玉四八〇 所有 不動尊清岸寺
「土気古城再興伝来記」の南玉不動尊略縁起によれば、「嵯峨天皇の御代弘仁三年(八一二)夏の初め、山の中腹の滝の付近から怪しい放光があったので、里人は驚いて、これを除くために山の上の大精舎(善勝寺=千葉市土気町)から住職を招請して不動尊を安置し、小さな祠を建てて清岸坊と称した。以来六八〇年にわたり数代の住職が相続したが、長享二年(一四八八)酒井定隆の改宗令により法華宗に改宗した」とあり、善勝寺も清岸寺もかなり歴史の古いことがわかる。この滝は、山の中腹の湧水で、俗に地下数千尺といわれ、清岸寺境内まで導管で導かれ、銅製の竜の口から落下して、南玉貯水池の水源となっている。この池の蓮の花は、その時期(七月)には非常に見事である。