史跡 お塚山

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(昭和四十七年五月一日付)(第三章第五節参照) 所在 大網五七四八 所有 高橋マサ
 
 お塚山は、慶長二年(一五九七)、日経上人三十八歳の時、両総布教のために星谷に建立した宝立山方墳寺の跡である。
 上人は不惜身命(自ら身命を惜しまず)の精神をもって布教に努め、法華宗不受不施(他宗派から布施を受けず、また、供養を施さない)の立場を貫いた強信者であり、まさにその一生は迫害との闘いであった。慶長十四年(一六〇九)二月、熱心な浄土宗信者であった家康の怒りにふれ、京都にて耳鼻そぎの刑(弟子五人は鼻そぎの刑)に処せられたことは有名な事件である。
 上人の教えは弟子達に受け継がれ、上総出身で宮谷檀林にも学んだ日耀は、方墳寺の住職をついでいたが、再度の法難によって、寛永四年(一六二七)獄死したといわれる。それとともに、方墳寺は焼打ち破壊されてしまった。
 日経三百年忌(元和六年=一六二〇没)の記念碑は、明治四十四年十一月二十二日と刻まれ、地元有志により建立されたものである。