富田から中原へと至る平坦な畑中の低い塚が旧光昌寺跡の経塚である。
伝えるところによれば、真言宗であった当寺が、長享二年(一四八八)、酒井定隆の改宗令によって日蓮宗に改められたとき、法具、仏器類をすべて境内に埋め、経塚と称したということである。同寺は慶長八年(一六〇三)、永田字泉の場所に移転したが、その後火災等により、かつての大寺もその跡を止めるのみとなった。最近になって檀家の熱意により近代的な本堂が同地に再建された。
現在、経塚の周囲には当時の面影とてないが、さえぎるもののない風はその周囲をめぐって音をたて、通りすぎてゆく。塚の上に立って碑面の文字を追うとき、私達はそこに歴史の重みを感ずることができるであろう。
写真 経塚近景