史跡 稲葉黙斎の孤松庵跡

1259 ~ 1259 / 1367ページ
(昭和五十三年七月二十日付)(第三章第五節参照) 所在 清名幸谷一七九二 所有 地区共有
 
 稲葉黙斎は山崎闇斎学派(崎門学(きもんがく))の学統を継承する朱子学者で、父の迂斎とともにひろく知られる。享保十七年(一七三二)江戸日本橋の生れ、江戸で過す。天明元年四十九歳の夏、父の弟子鵜沢幸七郎(近義)をたよって清名幸谷に来住、学舎孤松庵をひらいて数多くの著作をものし、近郷の子弟に教えた。大網、東金、成東などの農民で影響をうける者おおく、上総道学の名を史上にとどめた。
 寛政十一年(一七九九)に六十七歳で没。成東町元倡寺に墓地(県指定)がある。