考古資料 小金原の鹿狩り資料

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(昭和六十一年四月二十日付)(第三章第四節参照) 所在 四天木甲一五四〇・一五〇〇 所有 内山裕隆・内山裕治
 
 古くから牧として知られていた下総国小金原では、江戸時代に前後四回(享保年間二回、寛政、嘉永年間各一回)、将軍による鹿狩りが行われた。
 四天木の内山裕治、同裕隆家には、それぞれ寛政七年(一七九五)、嘉永二年(一八四九)の時の勢子が使用した村小旗と、人夫差出しの請書が残っている。
 鹿狩りの勢子及び諸経費は、総て村高に応じて周辺の村々に割当てられた。四天木村の場合、寛政時で四十人、嘉永時で五十二人を数え、一回の鹿狩りで、数か国総数七万以上にも及ぶ勢子が集まったのである。
 村小旗は県内では他に、白井町や成田市等数市町村に現存するが、本例の場合は請書も揃っており、価値が高い。