釈迦如来像

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(口絵参照) 所在 小西七五五 所有 正法寺
 
 日蓮宗由緒寺院(小西檀林旧跡)正法寺に木彫の釈迦如来像が安置されている。
 高さ(台座を含む) 一三〇センチメートル
   (座高)    一〇〇センチメートル
 作者は不明であるが厨子扉に次の銘がある
  武州江戸住駿州富士根方 井出黨後胤
右     井出十郎左衛門為成
    法号 正心院覚源日性
      (生前中逆修したもの)
     内方 浄証院妙清日涼
左    先考 正道院日円幽儀
     先姚 本性院日忍霊尼
   慶安四辛卯正月四日
  なお、内封の奉納願札には、亡き父母の供養のため、自身の逆修法号のため、及び六親眷属(血族・姻族)有縁無縁の諸霊位並びに自身の安楽のために題目三百万返、自我偈二千巻を奉誦し、さらに内方(妻)も両親の供養のため題目五万返奉唱したと記され、寛文四甲辰九月大吉辰とある。
 左の銘及び願札をもって、この如来像の彫作年、作者を知ることはできない。
厨子扇の銘にある慶安四辛卯正月四日は、井出氏が亡父母の供養のためこの如来像を仏師の手によって造らせた改眼(ママ)入魂の日ではなかろうか、そして父母の供養と自己の信仰により、経文読誦二千巻、題目三百万返唱(ママ)え、妻と妻の両親の供養のため五万返の題目を唱えることを仏像入手の慶安四年に発願し、十四年後の寛文四年に成就したものと考えられる。何故江戸在住の井出氏が、このように精神を込めた仏像を小西の正法寺に安置したのか、確証の資料は発見できていないが、当時、正法寺は檀林として栄え、駿州、甲州方面や京都から江戸を中継地として学僧、教師の往来があり、さらに檀林の開祖は京都から来ていることなどは所化(学僧)の墓碑等によって証明される。それ故井出氏は関東三大檀林の一つとして栄えていた小西正法寺へ奉納して、自身の安心立命を祈願したものと察せられる。

写真 釈迦如来像