供養塔のひとつである。本町周辺には緑泥片岩製のいわゆる武蔵型板碑とよばれるものがみられ、その形態はうすい板状を呈する。下部はV字形に造り出し、そこを地中に埋めこみ、立てておいたものである。町内での出土例は少なく、二例を紹介するに止める。
小西宮山遺跡
柏原神社背後の台地上において、近年の発掘調査により、断碑ながら幾多の貴重な情報を提供するものとして特筆されよう。それは第二章第六節において既に詳しく述べているのでここでは詳細についてふれない。
小西某宅
前に紹介した宝篋印塔相輪部と一緒に置かれていたものである。高さ六十一センチメートル、厚さ二センチメートル、左側縁部を欠損する緑泥片岩製の板碑である。中央に多少の刻みが認められるが、意識的なものかどうかはわからない。いずれにしても、全体的に簡略化の傾向が著しい戦国期の所産と考えてよい一例である。