山辺郡永田村郷五人組帳
江戸時代の永田村の領主は8名で非常に複雑な支配関係になっていました。当時、領主の違う5軒でつくられた集団を郷五人組、又は五軒組と呼んでいました。これは犯罪の防止や年貢を確実に納めるよう連帯責任を負わせるねらいがあったようです。現在、郷五人組関係の資料が28冊確認されており、光昌寺(永田)にあります。通常は公開されていません。
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大網白里市指定有形文化財 書籍
昭和61年(1986)4月20日指定
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<16>山辺郡永田村郷五人組帳